野門から三界岳〜女峰山〜帝釈山

年月日: 2012年10月8日(月)

行程: 堰堤工事用林道封鎖地点出発(05:04)〜林道終点・標高約1490m(06:00)〜金冷泉・標高約1750m(06:40)〜1972mポイント付近(07:18)〜野門沢源流の伏流帯・標高約1860m(08:06)〜三界岳(09:34)〜霧降からの登山道(11:26)〜女峰山山頂(11:55)〜帝釈山山頂(12:36)〜標高2350mで登山道離脱して西北西に下る〜廃林道・標高1890m(13:43)〜金冷泉復帰(14:30)〜林道終点復帰(15:05)〜車に帰着(15:51)

日光(というより旧栗山村の)三界岳の存在を知ったのは確かウェブでナスノガルーダさんのレポートを読んだのがきっかけであったと思う。女峰山から向かうと途中に藪と切れ落ちた危険な痩せ尾根が存在するらしい。地形図ではそのような場所の存在が読み取れないのだが、経験豊富な方の記述を信じ、自分の山歩きの対象とすることはなかった。その後、@宇都宮さんが日帰りで鬼怒川から野門沢右岸の急勾配の藪尾根伝いに三界岳に登り、特殊な用具を使うことなく女峰山の主尾根に至り富士見峠を経由してヘッデンで周回を果たした記録をサイト:日光連山一人山歩きの掲示板に掲載した(記録をコピーしていないので年月不明。)。周回の可能性が証明されたことで改めて三界岳の存在を認識したが、自分は急峻な藪尾根を敬遠するのでさすがにこの真似をする気にはなれなかった。その後、山部さんが2009年に女峰山経由で往復を果たし、烏ヶ森の住人さんも今年三界岳の手前まで達して、地形図上に表されない情報が少しずつではあるが明らかになってきた。

問題の危険個所は2189mピーク南の鞍部の手前(南側)に存在するらしいのだ。山部さんの記録では「露岩」、烏ヶ森の住人さんの記録では「大岩」と表現されている。山部さんはザイル使用で突破、烏ヶ森の住人さんは西側に下って薙を渡り2189m ピークに登り返している。@宇都宮さんの突破方法は記録が手元にないので不明。大岩(露岩)なる存在を実際に目にしていないので、どう突破するのか具体的なイメージが湧かない。結果的には@宇都宮さんと同じ方法で突破することになるのではなかろうか。

過酷な@宇都宮さんのルートを除くと、日帰りで三界岳に至る可能性のあるのは@霧降出発ルート(烏ヶ森の住人さんが辿ったルート)、A志津乗越出発ルート(山部さんルート)の2つ。しかし、@は日の短い季節には若干時間的にきつく、@もAも一般ハイカーが多いのが難点。できるだけザイルを使うことは避けたいし、どうせ難所を巻くために一旦西側に下って登り返すのであれば、最初から西側から登った方が早くて楽なのではないか。元来、古い火口跡と思われる野門沢源流域に興味があったので、途中まで野門から富士見峠に上がる登山道を利用し、野門沢源流域を東進する案が浮上。女峰山の神様に酒をお供えするついでに三界岳を経由して未訪の帝釈山も併せて周回することにする。

標高1972mポイント付近から尾根伝いに標高1850m辺りまで楽に下れそうであり、標高1850m前後の緩斜面を水平に移動すれば安全に野門沢源流右俣を渡渉可能で、且つ1897mポイントへの登り返しを最小限に抑えられそうである。どうせ野門沢源流域を横断するなら、直接三界岳南の鞍部に上がってしまいたい。鞍部から西側に向けて野門沢源流左俣の谷が下る。地形図の勾配を信ずる限りでは、この谷の左岸側を登り標高2050m前後で北に移動できれば鞍部に上がれそうな感じがする。今年は休日の天候に恵まれず、行動に移せぬまま秋になってしまった。三連休の最終日に秋晴れが期待できるので、今年最後のチャンスに賭けてみる。

不確定要因に備え時間的余裕を確保するために、暗いうちに出発して林道を歩いて時間を稼ぎ、十分に明るくなってから登山道に進入して午前10時までに三界岳、正午までに女峰山に到達すれば、自分の脚力なら明るいうちに下山できそう。2189m南の危険個所が突破できないようなら、再び野門沢源流地帯に下って来たルートを戻れば良い。


駐車地(堰堤工事用林道封鎖地点)〜金冷泉〜三界岳

東の空が白みかけた頃に出発。まだ暗いので旧道(廃道)ではなく舗装林道を歩く。朝方の気温は摂氏5℃程度程度で発汗が抑えられて快適。先週の筑波山の極悪路で痛めた両足が完治していないのが心配だったのだが、この好条件下で挑戦しない手はない。

舗装路に面した山の神の鳥居に至った頃にはだいぶ明るくなっていたので、旧道を辿って見晴台までショートカット。旧道沿いに点々とベロンとしたピンクのテープが付けてあった。昨年夏には無かったので過去1年以内に旧道を忠実に辿った者がいるらしい。放棄されて数十年経過し自然に回帰しつつある廃道にわざわざテープ(ゴミ)を付ける理由は何なのか理解しかねる。

標高1410mの見晴らし台から見る高原山
標高1410mの見晴らし台から見る布引の滝・上の2段


山の神様、子育地蔵や金冷泉の標示は初めて歩いた2004年当時に在ったものだ。いずれも文字が薄れつつあり、金冷泉の標示は板が割れ落ち、予め知らなかったら見落としてしまう。

金冷泉から適当に尾根稜線を目指した。いきなり密なアズマシャクナゲの藪に阻まれて進行が滞る。幸いなことに延々と続く性質の悪い藪ではなく、概ねコメツガ林の中の獣道を拾って1972mポイント付近に達した。この辺りから野門沢に下降開始。若干北側に逸れていたので、途中で適当に南側に方向修正。2000m辺りから下るとすんなり降りられそうである。

事前検討通り、標高1850m前後で現れる緩斜面を水平移動して野門沢源流の奥へ移動。何度か切れ込む沢筋を横断していく。たいていは獣道が使えるので沢筋の横断は苦にならない。藪は皆無。下生え無しのコメツガ樹林がほとんどで、下の写真のような場所は少ない。

野門沢源流左岸の雰囲気


野門沢源流右俣との高度差が縮まってから、支流の枯れ沢を下って畔に出た。野門沢源流右俣の豊富な水流は標高1850m辺りで突然伏流となり、その上流には水流が全く存在しない。

野門沢源流の伏流帯・標高1860m
左の写真奥拡大図・2189mピーク南の鞍部
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野門沢源流右俣の紅葉


取付き易そうな場所から右岸側に上がった。こんな秘境と呼ぶにふさわしい場所までもが、昭和40年代の伐採の対象であり、大木が存在しない。

10月31日加筆 この日巡ったほぼ全域を国土画像観覧システムの C5B-6(1976年撮影)が収めている。1,897mポイント(野門沢源流右俣と左俣に挟まれた丘陵)から2189mピークの麓にかけて激しく収奪(皆伐)された痕が生々しい。

当時、女峰山に登ったハイカーは皆この所業を眼下に見ているはずだ。これだけ広範囲に伐採を行う以上、寝泊りする飯場があったはずだし、作業員が登降する道もあったはず。それがどこだったのか気になる(布引の滝の左岸上空にワイヤーが張られているので、伐採した樹木が富士見峠経由ではなく野門沢左岸沿いに搬出された可能性がある。)。

皆伐の跡・1897mポイント付近


伐採の跡は東に行くにつれて顕著となる。高度を上げながら野門沢源流左俣の谷に接近。こちらは標高2000m辺りでもしっかりとした水流がある。左岸尾根は地形図には表されないが尾根形が明瞭で、途中まではスムーズに登っていける。三界岳南の鞍部に近づくと両側が切れ落ちた痩せ尾根となり勾配もきつくて崖登りの感覚に近い。掴まる樹木が無くなり横移動もできなくなった時点で退却を余儀なくされる。備えあれば憂いなし。結果的に出番は無く重い荷を担いだだけであったが、懸垂下降の装備を持ってきて良かった。

ついに掴まるものが無い斜面で行き詰った。幸いなことに、事前検討で地形図を見て期待した通り北側にルンぜを渡って移動できた。移動先の密な灌木藪の小尾根を登り、急傾斜とルンゼ渡りを繰り返してなんとか三界岳南の鞍部到達。懸垂下降の装備をもってしても来たルートを忠実に戻れるか自信が無い。

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三界岳の姿(鞍部到達前)


鞍部から三界岳まで楽勝と思いきや、結構藪が密で時間がかかる。誰かが灌木藪を鉈で"刈った切った"(出身地の方言です。)跡があったので少しは楽ができた。タイムリミットに約30分余裕を残して三界岳到着。

三界岳にて
三角点標柱


この後に懸案事項が控えているので嬉しいという感情も達成感も湧かない。眺望があまり良くない藪ピークなので長居せずに退散。足に一抹の不安があるが、ここまで来たら引き返すも先に進むも同じようなもの。本日の主目的は三界岳登頂ではなくて女峰山の神様に酒をお供えすることだ。予定通り女峰山を目指す。


三界岳〜女峰山〜帝釈山〜金冷泉〜駐車地に帰着

2189mピーク北側のシャクナゲ藪がとても鬱陶しい。2189mピークの北側でも伐採された形跡を見て口あんぐり。伐採の作業員はどうやってここまで上がってきたのだろうか。

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2189mピーク北端西側から見る女峰山〜帝釈山


2189mポイント北側の痩せた藪稜線を辿る気がしない。尾根西側のコメツガ幼樹が生えるやや勾配の緩い場所まで20m程度下って巻いて南側の鞍部へ移動。鞍部の西側直下は野門沢源流右俣の伏流帯につながる大規模な薙である。地形図の表現よりはるかに大きくて危険。そのまま南側に尾根稜線を登っていくと、灌木の生えた傾斜のきつい痩せ尾根にぶつかった。灌木が邪魔で体を持ち上げるのは無理。下って薙を巻く気は起きない。「うーむ、女峰山行きはあきらめざるを得ないのか?」(行く手を阻まれた場所が大岩の北にある崖直下であったと思われる。野門沢源流右俣で撮った写真に鞍部の薙ぎ、その南側の崖及び大岩らしきものが写っていた。)

真似されても安全を保証できないためここの突破方法は記述しません。結果的に噂の大岩(露岩)を目にしなかった。女峰山方面からすんなり尾根を下ってくると大岩(露岩)にぶつかり、このルートの存在には気付かないと思われる。

難所を突破して尾根上に向けて登っていたら、「こんにちは。」と人の声がする。よもやこんな場所で人に遭うと思っていなかったので驚いた(この方の記録がヤマレコに載っています。先方は熊かと思ったそう。熊は標高1500m以下の広葉樹林にしか生息していないので心配無用ですよ。)。

その直後に腿がピクピクしだし、騙し騙しゆっくり移動して尾根上で休憩。標高2300mを超えると尾根幅が広がり別天地の如く快適。ナナカマドの紅葉が綺麗だ。霧降から来る登山道に出でて、雲竜渓谷に雲が満ちている光景を見てちょっと落胆。南側の景色は次回までお預けである。

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本日横断した野門沢源流地域(火口跡?)


藪の存在により三界岳から女峰山まで予想以上に時間を要したが、予定通り正午前に女峰山に到着して気持ちに余裕ができた。


2008年に女峰山に登った時、お供えのお神酒(紙パック)をいただいた。ようやくそのお返しをかなえることができた。普段は血糖値対策で焼酎しか飲まないもので、久々に神様と飲んだ日本酒のなんと旨いこと。ほろ酔い気分で帝釈山に向かった(やや危険な岩場の下りです。私のようなおバカするのはやめましょう。)。

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帝釈山東側直下から見る三界岳の尾根
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帝釈山から見た男体山と富士山


帝釈山山頂到着時は無人。登山道で遇ったハイカーは十数名。天気が良かった割には少ないような気がする。志津乗越まで車で入れなくなった影響かもしれない。帝釈山山頂は広々として眺めも良い。大事沢方面を俯瞰する眺めが新鮮だ。

富士見峠方面に登山道を下り始めてすぐ若い単独行の男性が前方に見えた。追いつかないようにゆっくり下って予定通り標高2350mで登山道を離脱し西北西に下った。帝釈山の斜面ほぼ全てがかつて伐採された歴史があり、部分的にコメツガやシラビソの幼樹の藪が濃い。標高1900m以下の緩斜面では藪が一切無くスムーズに移動できる。

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帝釈山中腹


今回、時間があれば2004年時に遭遇した遺棄物を再確認するつもりであった。目印となる倒木は切除されていたが、怪しい踏み跡は当時のまま残っている。遺棄物は登山道からそう離れていない場所に在った。発見当時、荷物はきれいにまとめられていたから遭難とは考えにくい。しかし、使えるものをそのまま置いていくという行為も理解し難い。真相は如何に。身元を特定できるようなものは無かった。サンライン社の釣糸:パワードの発売開始が昭和59年であるので、伐採が行われた頃(昭和40年代)の遺棄物でないことだけは確かだ。

2004年に金冷泉近くで遭遇した遺棄物(リュック、テント、シュラフ、コッヘル類、釣り糸)の検分


午後3時前でも山の裏側は暗い。旧道を辿って時間を稼ぎ、午後4時前に無事車に帰着。涼しくて発汗が少なく、且つ足に優しい藪歩きの割合が高かったため、標高総和が大きい割には翌日以降に筋肉痛が無く、足に少し張りを感じる程度で済んだ。

山野・史跡探訪の備忘録