中吾妻山 〜 継森 〜 ヤケノママ 〜 吾妻山神社

年月日: 2012年10月14日(日)

初日行程: 猪苗代町金堀・秋元湖岸林道ゲートから出発(06:00)〜穏婆菩薩(06:45)〜登山道最高点付近から藪漕ぎ開始(08:40)〜1900m級ピーク(10:15)〜中吾妻山頂(10:35)〜中吾妻北峰(12:17)〜継森南側鞍部の湿地(12:43)〜継森(13:30)〜ヤケノママ(15:00)〜右岸崖上の幕営地(15:30)

実家に置き忘れてきたカメラのSDカードを回収して画像追加(2013/01/05)。

悪意のバックリンクを回避する目的で、2日間の記録を統合したファイルを新規作成(2018/09/23)。

なんとか百名山とやらのピークハントには全く関心ないのであるが、出身地の猪苗代町の山域は一通り訪問してみたいと思っている。全国的に登山対象として名の知られた磐梯山、吾妻山、安達太良山はいずれも他の市町村との境界に位置し、登山道も整備されていて登るのは容易だ。山体が完全に猪苗代町の中にあって且つ名前が付されている山が幾つか存在するが、登山道がある川桁山を除けば全て藪漕ぎを強いられる。その代表格である中吾妻山と継森(いずれも三角点峰)のうち、未訪の継森をどう歩くかが猪苗代における最大の関心事であった。

これまでの経験上、吾妻山山系の道なき原生林を歩く危険性は重々承知している。破砕した溶岩が積み重なる粗い素肌の上に植生が形成され、密なチシマザサや灌木の藪に気をとられて足元の注意がおろそかになれば、倒木で躓くか若しくは踏み抜けて大怪我しかねない。大出血や骨折は致命的。広大な山域であるから捜索しても見つかる可能性は極めて低い。安易に何度も入り込める場所ではないのだ。最良のタイミングを得るべく、秋にまとまった休みを設定した。

2005年に中吾妻山に登った経験では、浄土平から谷地平を経由して直登すれば、少なくとも中吾妻山に登るよりは少ない労で継森に到達できそうである。日帰り往復も可能かもしれない。しかし、藪山のつまらない単純な往復をする気にはなれない。安易に入り込めない場所ならではの特典がないとモチベーションが足りないので、過去の山行で満ち足りていない部分を補完する目的を付加した。初日は澄んだ空の下で中吾妻山からの眺めを見てから継森を経由してヤケノママのオンドルで一泊し、翌日は消滅した道筋を南下して吾妻山神社を経由して下山する。

秋元湖岸林道の金堀側ゲートに車を置いてスタート。今回も歩き始めて10分くらい経過してから忘れ物に気づいた。汗拭きタオルはどうせ激藪で失ってしまうであろうから無くても良しとして、予備の電池を置いてきたのは痛い。継森に到達するまで撮影枚数を抑える。

出森山を間近に見る林道の最高点付近で栗のイガが一面に散らばっていた。イガは全て空っぽで栗が転がっていない。こまめに何者かが拾っているようだ。人間が足でイガを押えて剥いたような跡はない(正体は翌日の帰りに判明。)。

吾妻山神社の登山道を指し示す道標は朽ちかけていた。登山道入口近くにある穏婆菩薩にご挨拶して林道に戻り、林道をそのまま進んで唐松川の橋を渡って林道支線に進入。春先の増水時に唐松川を渡渉しなくて済むオプションの可能性を確かめるのが目的である。林道支線の途中から尾根筋を素直に辿れば吾妻山神社に向かう登山道に行き当たる。しかし、幅広の尾根の唐松川側は全てスギ植林地であって間伐材を跨いで行かなければならない。残雪の状態次第では使うメリットがあるかもしれない。

広葉樹林帯(標高1,000〜1,100m)とカラマツ植林帯(標高1,100〜1,350m)の2つの急坂をゆっくり登ってブナ林帯に抜けた。登山道の最高点付近(幅広の中吾妻山南西尾根横断地点)で登山道を離脱し藪突入。いきなり密なチシマザサ藪につかまり遅々として進まない。細い涸れ沢を横切って南側の針葉樹が生える尾根に移動。こちらは大岩だらけだが順調に登っていける。

標高1650m以上ではアオモリトドマツが主体の針葉樹林帯となり、断続的に存在するチシマザサ藪を右に左に回避しながら藪の薄いところを選択して登っていく。先を見通して針葉樹の多い方向に進むのがコツだが、それでも明るい疎林にぶつかり藪でもがくこと幾たびか。チシマザサ藪にハリブキが多数混じっているため迂闊に笹を掴めない。幸い、勾配が緩いために藪を掴んで体を持ち上げる必要がなかった。

山頂が近づき勾配が緩くなるとイヌツゲ、ハクサンシャクナゲ、サクラ等の灌木藪が現れる。見晴らしの良い1900m級ピークに到達。眼下に鞍部の植生を見て待ち受ける藪漕ぎの労を思うと、中吾妻山の山頂がはるか遠く感じる。幸い、鞍部の藪は行く手を阻む険悪なものではなく、比較的スムーズに進行。

密なハクサンシャクナゲ藪に囲まれた中吾妻山三角点到達。測量に用いた木材が風化しただけで、2005年当時からさほど藪化が進行していない。

中吾妻山三角点


本日は空気が澄み、南側も2005年訪問時よりすっきり見える。

画像
左から川桁山地、山ノ神峠(中央部左手前)、猪苗代湖、那須連峰(中央奥)、磐梯山、秋元湖(右手前)


磐梯山
安達太良山


吾妻山修験が盛んなりし頃でも先人は中吾妻山頂に至る道を開かなかった。吾妻山の聖域を残してくれた先人に感謝。吾妻山神社と谷地平を結んでいた登山道も歩く人が絶えて自然消滅した。地域興しや功名心による登山道復活や新道開拓を企てることなく、人が安易に近づけない貴重な山域が永遠に残されんことを願う。

中吾妻山東側の眺めも秀逸である(2005年時の眺めと同じなので画像省略。)。今年の紅葉は今一つで、大倉川渓谷の小滝周辺を除いて鮮やかに紅葉している場所は少ないようであった。

中吾妻山の北側鞍部は倒木だらけ。7年前に較べて荒廃が進んだように見える。倒木を伝いながら北に移動。

画像
鞍部東側から見る中吾妻北峰


中吾妻北峰の上部は広くて起伏が少なく、果てしなく一様な藪が続くかの如し。尾根西側の最も標高の高い樹林帯を北上するつもりであったが、2005年時の記憶より密でしつこい藪にゲンナリし、北峰最高点に向けて直進すべく中央部にある明るい草地を突っ切ろうとした。ところが、この草地の周囲は体に傷つけずに突破するのが困難な灌木密藪にがっちりガードされている。ほうほうの体で草地に飛び出し休憩。

中吾妻北峰中央の草地にて


北に向けて藪に再突入しようとしたら、あまりに密で弾き返されてしまった。時間的余裕がだんだん少なくなってきた。これからも同じような藪が続くのなら継森行きはあきらめて帰りたいところだが、引き返すにしても藪漕ぎするのに大差ない。ここから引き返す場合は権現沢を下って吾妻山神社を目指すことになるのだが、権現沢下りの踏み抜け恐怖を再び体験したくない。後日今回と同じコースで再挑戦する気にもならないだろう。穏やかな晴天に後押しされ、北上すべく藪をこじ開けた。

北峰最高点は谷地平を俯瞰するのに最適な場所の一つ。障害物(樹木)が無い点では中吾妻山東端の方が優れている。

画像
谷地平全景


北側鞍部に向けての下り初めはコメツガの枝の位置が低い。何度か這いつくばって潜り抜けた。中腹は高い針葉樹が少なく、みすぼらしく黄葉したカエデ類が混じる。チシマザサにイヌツゲやシャクナゲが混じる平坦部の藪は一様に濃い反面、進行を妨げるような険悪さは無い。

鞍部から見る継森は針葉樹に被われたぱっとしないピークである。湿原の水溜り(地形図に記されている。)の横を通過し、できるだけ西側に寄って登っていった。中腹は高い針葉樹が多くて笹藪の薄い場所を選んで登っていける。山頂に近づき勾配がきつくなると針葉樹の丈が低くなって灌木藪の密度が増す。

画像
継森直下から見る往路全景と裏磐梯

倍率の異なる2枚の写真の倍率を合わせてパノラマ合成したのでちと不自然。


南西尾根の山頂まであと登り20mというところで、びっしり這いつくばるようにして枝を張るコメツガとハイマツの藪に行く手を阻まれた。上から下まで体を入れる隙間なし。密で険悪な藪だ。西南西尾根を辿って山頂に向かうことは不可能である。退却して少し東側に移動してから山頂に再接近。枝渡りしながら近づいていくと、ようやく体を滑り込ませる隙間が出てきてどうにか継森山頂に到着。

継森三角点
除草後


毎度のことだが、最深部に至った喜びは全く感じない。下りのことで頭が一杯。折しも空に雲が広がって太陽が隠れ、冷たい西風が吹きつけて雰囲気悪し。曇り空を背景にした高層湿原だらけののっぺりした西吾妻山がとても不気味(気持ちに余裕が無くて写真撮る気が起きなかった。)。

手早く炭水化物と水分を摂取して下りのルートを検討。藪で移動不可能である山頂直下の西南西尾根の利用をあきらめ、山頂から西北西に向けて勾配に忠実に標高1,700m辺りまで下って、1,745mポイントのある尾根に入ることにする。この尾根の末端部標高1550m前後が断崖状であるため、中津川に安全に近づくには尾根南側斜面の勾配の緩いところを標高1,550m まで下ってから北北西に向けて標高1,500mまで斜めに下る必要がある。斜めに下る区間は消えた昔の道筋とほぼ同じであり、2005年に歩いた実績がある。

下り始めの針葉樹藪が手強い。少しハイマツの枝渡りをしてから垂直に地面に降りて潜り込んで突破。尾根筋ではないために概ね藪が薄く、標高1,700mまでは順調に降下。1,745mポイントのある尾根筋はチシマザサ藪が濃そう。沢通しで中津川に出ることも不可能ではないと思うが(2006年の中津川遡行時、合流点に滝が無いことを確認済。)、沢靴が必須である。沢筋の右岸側(北側)の斜面を藪の薄い場所を選んでジグザグに下っていった。

登山用具にかける金をケチっているので、藪用の服装は手袋も登山ズボンも靴もみな使い古し。ボロ服は針葉樹の尖った枝に引っかかり易い。継森の凶悪な藪を相手にしているうちに全てボロボロになってしまった。手袋なんか甲の部分がかろうじて残っているだけ。ズボンは鉤裂き2箇所で太腿が露わ。スパッツが嫌いで付けていないため裾が裂けて輪っかになっている。乞食同然。後日母から聞いた話では、我が田舎の昔の人は「山仕事に行くときはボロ服を着てはならない。」と言っていたそうだ。まさにその通り。

替えを持たない靴の劣化状態が深刻だ。福島に向かう途上で新しい登山靴を買うつもりだったのに、手頃な価格で自分に合う靴を見つけられないまま時間切れとなり、3年以上前に購入した靴を履いて臨んだ。靴の外側の縫い目がほつれて口が開きつつある。内側の布が破れたら藪歩きの続行は困難となる。

慎重を期したつもりであっても、衣服やザックが枝に引っ掛かったタイミングで足元の笹で滑ったり枯れ枝が折れたり、躓いてバランスを崩したりして何度か転んだ。そのうち2回は危険な転び方だったと思う。幸い太腿と上腕の打撲で済んだ。見覚えのある小尾根に至り、樹木の枝を掴んで中津川左岸の平坦部に降り、川岸のチシマザサを掻き分けて中津川到着。場所は地形図上で中津川右岸側に1509と書かれた断崖の対面である。

画像
中津川


地形図の中津川の流れは不正確である。ヤケノママ付近における中津川はまっすぐ流れており、左岸側支流の合流点はもっと南に在る(合流点の場所は longitude=140.16923347023&latitude=37.735906898221 *1)。実際に噴気を上げている場所は営林署の小屋(現存せず。)らしきマークのある辺り(longitude=140.17020211974&latitude=37.737516576176  *1)であると思う。

ヤケノママ地蔵は健在であるが、最初に見た2005年当時に較べて周囲の雑木が成長し簡単には見つからない状態になっている。記録をまとめていて写真のお地蔵さんが寸詰りのように感じたため昔の写真と比較してみた。2006年8月から2008年10月の間にお地蔵さんを固定するセメントが現在の高さまで盛られたことが判明。設置者がメンテしているのか?

画像
ヤケノママ地蔵


右岸の崖上に這い上がりヤケノママのオンドル上にテントを設営して、ほぼ予定通りに初日行程を無事終了。

画像
リンドウ残り花


*1 GPSのデータではありません。電子国土ポータルの地形図で見当をつけた場所の経緯。

年月日: 2012年10月15日(月)

二日目行程: ヤケノママ出発(08:00)〜権現沢(09:47)〜吾妻山神社(10:00)〜姥神様(10:30)〜唐松川渡渉点(12:22)〜車に帰着(13:05)

冷え込みが強くなかったためオンドルが少し熱すぎ、夜間にテントを移動して温度調整。暖かいヤケノママの崖上はまだ虫の音が聞こえる。細切れながら7時間程度睡眠できたようだ。夜になって雲がとれて空は満天の星。朝も青空が広がり、曇り時々晴れの天気予報が嘘の様。

結露したテントを乾かすべく朝日が射すのを待った。対岸(1,745mポイントから下る尾根)の崖が高いために7時過ぎてもまだ日光が当たらない。まだかまだかと思いながら朝日が当たる西吾妻山方向を見ていたら西側から雲の領域が出現した。朝日の方向を見やるといつのまにか継森の上空辺りにも雲が発生。ゆっくりしていると完全に曇ってしまいそう。どんより曇った空の下で暗い道なき原生林を歩きたくないので、急いで撤収。

ヤケノママ撤収直前


上下ともに替えの服を着用。手袋はボロボロで使い物にならなくなったので、普段の山歩きと同様素手。ボロ靴が破けないように慎重を期す。時間的には朱滝に寄ることも十分可能だが、青空が望めないのでは前回訪問時と大差無いし、ボロ靴に負担をかけることもできないので自重。

前日中津川に出た場所から左岸平坦地に上がる。地形図では読み取れないが、平坦部を突っ切って突き当りの小尾根に上がらなければならない。昨日滑り降りた場所より右側に明瞭な足掛かりがあった。廃れた登山道の名残のようだが、小尾根に上がってからの道筋は判然としない。小尾根の南側にも地形図に記載のない涸れ沢が切れ込んでいるので、小尾根をすこし登って高度を稼いでから斜め上に向かって山肌を移動するのが正解である。

継森から下る大きな沢を横切るまではやや勾配があって歩きにくい。沢を越えて美しいアオモリトドマツ原生林の緩斜面に入ると概ね快適に南進可能で、標高1,500m前後を維持して進んでいった。

画像
アオモリトドマツ原生林


前方が明るくなってやや深い沢の右岸に達した。権現沢にしては小さいし沢音も聞こえてこない。2005年に北上したときはこんな深い支沢を横切った記憶が無い。昔の登山道よりも低い場所にいることが判り、上方に移動して高度を50m程度上げた。

権現沢を見下ろす場所に達したものの顕著な下降点が見つからない。こんな時に限って空が暗くなって雰囲気が悪い。10m程度権現沢に向けて藪を下ってみると、上流側に針葉樹の大木が生える小尾根が突き出ているのが見えた。小尾根の派生箇所から下っていく過去に人に踏まれたような跡を見て、2005に登り降りした時の記憶が蘇った。2005年当時かすかに残っていた赤ペンキマークや赤布をここに至るまで一切見かけなかったので、昔の道筋は一貫して標高1,550m前後にあったと思われる。

小尾根中間部から下は密なチシマザサ帯であり、2005年当時は笹が刈られてトンネルの様になっていた。その後人の手が加えられたことはないらしく再び藪化している。古い笹が無い分密度が薄いため、かつてのトンネルの跡を識別することは可能だ。権現沢近くまで下ってから上流側に横移動して岩が積み重なる権現沢渡渉点到着。靴が破けることなく藪漕ぎ完了。この先は登山道歩きであるので気持ちに余裕が生まれた(ちなみに、吾妻山神社の周辺では携帯電話が通じる場所があります。ここに来たら家族に一報を入れておくと良いでしょう。)。

権現沢にて


2005年に見たヤケノママ方面を指し示すペンキ印は全く残っていない。自然に完全に消えることは考えにくいので、猪苗代地区遭難対策協議会が道迷い遭難防止のために消したのかもしれないな。

休憩後、岩場を少し下って道を進んで7年振りに吾妻山神社に参拝。

吾妻山神社の御神体


吾妻山神社からの下山道に不明瞭箇所無し。昭和50年5月に行方不明になった方の関係者が置いた「お願い」がまだ残っていたが、ビニールに穴が開いて中の字が読めない状態になっていたので回収した(回収物はしっかりした造りで、印刷したシート(裏地が布で表がビニール)をさらに透明なビニールで密封してあった。シートは回収時泥が被っていたが、泥を落としてみたところ全く傷み無し。回収物は自らが山に入るときの戒めとすべく大切に保管します。)。

吾妻山神社の参拝道は必要以上にアップダウンがあるのが欠点だ。少なくとも姥神様南側の標高差50mの上り下りは無駄であると思う(2018/09/23 訂正。この上り下りは危険な巨岩帯を避けるために必要。2014年に身を以て確認済み。)。

姥神石像


南下するにつれて雲間が広がって快適。登山道は針葉樹と広葉樹の移行帯にあって、美しい紅葉を散見できる。

画像
標高1550m付近の紅葉


11:10頃、登山道最高点付近で吾妻山神社に向かう単独行の男性と遇った(自車の隣に宇都宮ナンバーのホンダのハイブリッド車が置いてあったので、栃木県の方であったようだ。)。曇りの日のこの時間帯に吾妻山神社を目指すとは強者ですな。自分より若くて馬力ありそうだから時間的には余裕であっただろう。

ブナ林帯(過去に人の手が入った二次林)の緩斜面を下る際、登山道の幅が広くて両側に溝があることに気づいた。伐採時に車がここまで上がっていた可能性がある。標高1,400m付近で南東に向けて下っていくチシマザサ藪に覆われた溝がある。唐松川沿いにある廃林道奥からブナ林帯に上がる作業道があったのかもしれない。

時々日が差して、カラマツに絡まる紅葉したツタウルシが映える。しばしカラマツ植林帯で道草。

画像
カラマツ林内のツタウルシ


靴が破けることなく順調に下山し、余裕を持って秋元湖岸林道を金堀に向けて戻った。林道最高点付近でサルの大きな群れが総出で栗拾いをしていた。道理で栗が一粒も残っていなかった訳ね。

山野・史跡探訪の備忘録