雄飛橋からスッカン沢遡行

年月日: 2013年5月26日(日)

スッカン沢・雄飛橋の駐車場・標高約890m出発(08:10)〜第二堰堤(09:05)〜第三堰堤(09:25)〜本流の二段滝〜第四堰堤(11:10)〜右岸支流ちょっと見〜左岸支流大堰堤上(12:15)〜(沢遡行終了・着替え)〜鹿股川治山資材運搬路・標高1300m(12:40)〜(昼寝)〜鹿股川治山資材運搬路を離脱(13:20)〜雄飛橋に帰着(14:20)

スッカン沢は水が酸性であるが故に魚が棲まないという。その酸性水の源に興味を抱き、過去に二度(2004年と2005年)、鹿股川治山資材運搬路を歩いて最奥部を訪問したことがあったが、自身にとって雄飛橋から林道終点までの区間は林道支線末端の古い堰堤を除いてポッカリと空白域になっている。

春にスッカン沢沿いの稜線を周回して久しぶりに眼下にスッカン沢を眺めて、未知の区間を探索してみようと思った。雄飛橋から下流部は遊歩道が整備されて良く知られている。一方、上流部は渓流釣りの対象にならないこともあって情報が希薄。事前に唯一目にした記録は2012年の沢屋さんの遡行記録(*1)のみ。沢屋さんは主にスリルを味わいながら源頭部まで詰め上がることで満足感を得る人達であるから、平凡な渓相のスッカン沢に関する記述は極めて簡素だ。しかし、遡行可能なことが判っただけでも十分。古い堰堤が幾つかあって、朱いナメが多く、滝と呼べるものが一つあるらしい。過去に古い堰堤を一つだけ見ている。他にも存在するとは意外だった。廃なるものに魅力を感じる者としてはむしろ遡行意欲が湧く。

雄飛橋駐車場には既に車が3台あった。うち1台はフキ採りに来た人のもの。駐車場で奥さんが採ったフキの葉を処理していた。駐車場の右岸側の階段を下りてみると、旦那さんがフキ採りしている際中だった。邪魔するのも何なので、そのまま旧雄飛橋を渡って左岸側を歩いて行った。左岸側には踏み跡がある。

踏み跡が無くなった場所で川原に降りた。沢底の幅が広くて右岸側に平坦な場所があるので、沢中を歩く必要が無い。興味があった右岸側の崖に近づくと石積みが見えた。スッカン沢に森林軌道(土橇道かも)が在ったらしいという情報をだいぶ前にどこかで見たことがあったが、これがその跡だろうか(事後調査の結果、塩ノ湯森林軌道であった。*2)。予期していなかったものの出現で面白さ3倍増し。

軌道跡の石積み
軌道跡傍らのカツラ大木


軌道跡傍らに在る多数のひこ生えを従えたカツラの大木は、雄飛の滝線歩道沿いのカツラ大木と似ている。軌道跡は第二堰堤の右岸側を越えていく。

第二堰堤
        


軌道跡は、平坦な場所では石積みできれいな形を残しているのと対照的に、小さな沢筋を跨ぐ場所ではその形跡を全く残していない。その乖離度合は木ノ俣川の軌道跡よりもはるかに大きい。現在進行中の荒廃箇所が無いため極めて古い時代の遺構のように見えるが、広場に一升瓶や昔のビールの瓶が散らばっているので、木ノ俣川の軌道より新しいと思われる(*2に拠ると、昭和21〜34年頃)。火山起源の地質が極めて脆いということと、木ノ俣川の軌道のような木材敷設による堅牢な補強が行われなかったことが原因だろう。

確か、第二堰堤と第三堰堤の間であったと思うが、軌道跡が大きくS字を描いて高度を上げる場所が存在する。軌道跡が崩落・消失した地点で沢底に降りて朱いナメのゴルジュを行く。

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第三堰堤より上流側に見事なクサソテツ(コゴミ)の大群落が存在する。雪国の会津では珍しくない光景だが、栃木県でこれほどまで太いコゴミが群生する場所を小生は他に知らない。若芽の頃に採取した痕が認められる。

第三堰堤(スッカン沢堰堤群の中で最も美しい。)
クサソテツ群落


左岸側の顕著な支沢の谷を覗いてみた。最初はチョロチョロ水流があるのだが、その奥には涸れた滝の形があるのみ。さらに本流を400m程度遡った右岸側にある支沢の谷(1160mポイントの北北東)も覗いてみたが、奥はごく穏やかな谷である。この辺りまで軌道跡が続いているが、終点は未確認(*2の調査記録に拠れば、終点に植林があるとのこと。1160mポイント南側の針葉樹マークがある緩斜面が森林軌道の最終目的地であったと推測する。)。

1160mポイントの北北東で流れ込む支沢の谷 (10:25)
        


この先さらに400m進むと左岸側にヒノキ植林が出現し、土木工事若しくは林業関係者が最近付けたと思しきピンクのテープが目に入った。どうやら鹿股川治山資材運搬路支線の終点が近いようだ。支線終点に至る前に本流の滝が出現。

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二段の滝(下段は約5m)


いびつな形をしており、木ノ俣川大滝のスケールを一回り小さくした感じ。ヒノキが倒れ込みせっかくの景観が台無し。

左岸側を這い上がれる。

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上段約7m)


滝上のゴルジュを見下ろす突端部にヒノキの切株があった。2005年時、林道支線は完全に廃道状態で植林の手入れも行われていなかったが、その後この地に再び人の手が入ったことを示す。その目的はすぐに明らかになった。滝のすぐ上流側の第四の堰堤下に副堤を築いたのだ。プレートには、「平成21年度 スッカン沢No.1コンクリート副堤 株式会社谷黒組 林野庁 塩那森林管理局」と記されている。表面が間伐材で覆われている。

第四堰堤 (11:10)
        


間伐材の使用には、@コンクリートの使用を減らせる、Aコンクリートを流し込むための合板型枠の代りに使用している、Bただの化粧である、という3つの情報があるのだが、こいつは名前がコンクリート副堤だから@は該当しない。Aはコスト的に見合わないと思われるし、Bはムダ以外何ものでもない。木が腐ったら見栄え悪いし、コンクリート部の浸食も早まるのではないだろうか。2004年のスッカン沢の記録でも間伐材使用堰堤について言及しているので、悪口はこの程度にしておこう。第4堰堤がボロボロであるのは事実で、何らかの補強は必要だが、どうせ補強するなら同じ高さにしないと意味が無いと思う。

明神岳方面の上空に雲が発生し始めていた。更新された林道支線を歩いて楽に戻ろうと思って、一旦は広場に上がって着替えする準備を始めた。現在時刻を記入しようとして地形図コピーを眺めると、現在地のすぐ先で左右から支沢が合流している。どちらも滝がありそうな気配がする。せっかくここまで来たのだから覗いてみない手は無い。

第四堰堤上のゴーロに出るとすぐに右岸から流れ込む水量乏しい沢が小さな滝を懸ける。奥は穏やかな渓相で、斜瀑を見るのみ。

斜瀑
フデリンドウ


第四堰堤が最後の堰堤と思っていたら、さらに奥に第五堰堤があった。これを左岸側から巻いて左岸支流の入り口に至る。左岸支流の奥は激しい浸食が進行中らしく、ガレガレ。入り口に古い堰堤があったようだが崩れて原型を留めていない。その少し先にある石積みの堰堤も痛みが激しい。この支沢が初期のスッカン沢治山の主な対象であったのかもしれない。第五堰堤の上流側とこの支沢の沢床に頭が朱く塗られた木の杭が何本も打ち込まれていた。支沢の左右両岸にテープで目印があり、石に赤ペンキでナンバーが書いてある。治山工事の予備調査が行われたらしい。数年後にはまた光景が一変していることだろう。

支沢入り口
二番目の堰堤


地形図では奥に大きな堰堤が2つあることになっている。その手前に滝の一つでもあれば儲けもの。沢を遡行して適当な場所から植林斜面を登って鹿股川治山資材運搬路に抜けることにする。この支沢はとにかくガレガレで何も見どころがないまま単調に高度を上げて行く。うんざりした頃に大堰堤から静かに流れ落ちる白い水流が見えてくる。近づくと、大堰堤の手前に6、7mの滝が存在していた。苦労が少し報われた感じがする。

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大堰堤はスッカン沢本流の堰堤群と似たデザインを持つ。スッカン沢の堰堤群よりも高い。右岸側から巻ける。堰堤上はゴーロでとても穏やかに見えるが、砂防堰堤工事前は上流から下流まで全てガレガレだったと推測する。


左岸側の傾斜が緩いため、最上流の堰堤まで行かずに鹿股川治山資材運搬路に這い上がった。山襞の小さな沢筋にも石積みで砂防工事が施されており、この荒れ沢の治山に注力してきたことが覗える。支沢の右岸側に滝があるのが見えた。

鹿股川治山資材運搬路の変貌ぶりにも驚いた。少なくともここ数年は支線分岐以遠は使用されておらず、完全に廃道状態である。路面にカラマツが実生で育ち、部分的に土砂で埋まっている。たった8年でこれだけ変貌するのであれば、50年も経てばスッカン沢沿いの森林軌道跡の如くなってしまうだろう。


昼過ぎて眠くて足が重くなり、木陰で10分程度仮眠休憩。適温でまだアブもいなくて快適。

この林道は単調な下りではなくて60m強の登りがあることを忘れていた。強烈な日差しを浴びながらの林道ダラダラ登りはちとつらい。野地湯沢-スッカン沢の峠で林道を離脱し、2週間前と同じルートで雄飛橋に順調に帰着。スッカン沢左岸尾根ではツツジ(特にシロヤシオ)、雄飛橋近くの湧水群ではキバナウツギが満開。お気楽で且つ面白い発見が連続した沢遡行であった。


以下、参考資料

*1 ブログ「さわぐるのやま」(sawagurumi.blogspot.com/2012/07/blog-post_8833.html)

*2 サイト「SIMPLE PLE@SURES」(http://c4ngo.web.fc2.com/shionoyu1-1.htm)

山野・史跡探訪の備忘録