奥武蔵ハイキングその15・外秩父七峰縦走ハイキングコース

年月日: 2013年11月24日(日)

行程: 東武東上線・小川町駅着(06:29)〜石尊山(07:46)〜官ノ倉山(07:57)〜萩平の笠山登山口(10:04)〜笠山神社(11:03)〜堂平山(11:40)〜剱峯(11:57)〜大霧山(13:50)〜粥新田峠(14:08)〜二本木峠(14:53)〜皇鈴山(15:20)〜登谷山(15:44)〜釜伏峠(16:00)〜釜伏神社参拝(約10分)〜中間平(時刻不明)〜秋山付近で着替え(約10分)〜鉢形城跡(時刻不明)〜市街で道迷い約10分〜寄居駅(17:58)

自家用車を廃車し、今後しばらくは公共交通機関を利用した行楽となる。車を運転する労から解放されても、土曜日に出かけるのは肉体的にきつい。10月末に黒滝山に登ったときは慢性寝不足+肉体疲労が原因で上唇にヘルペスが出た。当日は地力でなんとかなるとしても、翌日以降の影響を考えると無理はできない年齢になったってことだ。土曜日は自宅に引籠って静養し、体調を整えて日曜に遊びにでかけることにした。2010年から毎年この時期に紅葉の見納めに奥武蔵を歩いている。尾根上にカエデ類の樹木が少なく派手さはないものの、全般的に眺望が良くて秋晴れの日の散策にもってこいの場所だ。外秩父七峰縦走ハイキングコースなる存在が気になる。2010年に西吾野から堂平山経由でときがわトレッキングコースに下ったときに初めてこの名称を知った。その後も2回、たまたま歩いたコースが部分的に外秩父七峰縦走ハイキングコースと重なっていた(2011年11月27日に外秩父七峰縦走ハイキングコースの後半部の約7割を順方向で、2012年11月25日に外秩父七峰縦走ハイキングコースの前半を逆方向で歩いた。)。毎年春に全長42.195q(本当か?)のハイキングコースを歩く大会が開かれていて5000人も参加するそうな。ハイキングコースのくせに大会では12時間の時間制限が設けられているので、実体は過酷な強歩大会である。6時間程度で走りきって自慢するトレラン野郎もいれば、小学校の女の子に制限時間内に完歩させる親もいる(子供にそれだけの体力があって、しかも楽しんでいるのだから驚きだ。俺には考えられない。)。そしてそれを批判する連中もいる(彼らも強歩大会に参加しているのだからたいして違いは無いと思うが。)。こんなアホな強歩大会が奥武蔵に存在することが気に入らない。毎年大勢の老若男女が参加し、しかも完歩している事実に何故かムカつく。「俺だってできるわ。」という思いと、実績が無いことの乖離から来る感情なのだろうな。小生は大勢が参加する大会なるものが大嫌いで参加する気などさらさらないが、体力があるうちに一度全コースを通しで歩いてみるか。2012年に歩いたコースがたまたま外秩父七峰ハイキングコースの逆回りで道標が見え難くかった。順方向ならどんな感じなのだろうという思いもあるし、モチベーションの維持にも好都合。

北朝霞・朝霞台で武蔵野線から東武東上線の各駅停車小川町駅行きに乗り換え。都心に乗り入れる電車は見栄張って押しボタンによるドア開閉の仕組みが無いので、霜が降りる寒さなのに森林公園駅でしばらくドアが開きっぱなしでとても寒かった。

小川町駅で降りたハイカーは自分だけ。大会は人気があっても、普段は全コース歩いてみようなどと考える人はめったにいないようだ。昨年逆回りに歩いたときは小川町の市街地の道筋が判り難かった。前半部の不安はこれだけ。駅前に案内らしきものが見えないので(気付かなかっただけかもしれない。)適当に当りをつけて進むと、赤い矢印付の道標が出てきた。以降は案内に沿って歩くだけ。街中の紅葉や畑の菊の花がちょうど見ごろを迎えていた。

平地は霜が降りて冷え冷えとしているのに山の中は暖かい。できるだけ汗をかかないようにゆっくり登って行った。

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石尊山から見た官ノ倉山(背景は皇鈴山〜登谷山)


官ノ倉山から下りて在家で県道11号に出ると案内の間隔が開いて少し不安になる。昨年の逆回りでは萩平と在家の間のコースが判らず、御堂川沿いの舗装路を下って県道11号を歩いた。本来のコースは御堂川右岸側の尾根上の舗装路であるらしい。この舗装路の入口は御堂川側にあるのだが、コース案内は「和紙の里」を指している。「和紙の里」の裏手から「居宅介護支援事業所みどうの杜」の横に抜けて尾根上の舗装路に近道するようになっているのである。以降はたいして眺めの良くない傾斜の緩い舗装路をしばらく歩く。

一台の軽自動車があって、ハンターが斜面を下りていくところだった。早朝遠くから響いてきた運動会の合図のような音は銃声だったようだ。舗装道路から山道に入る前にも別のハンターに遇い、挨拶を交わした。ハイキングコースが狩猟可能なエリアの中にあり、実際にハンターがいるのだから、本日はどんなにかったるくても登山道を維持して歩くことに決めた。

山道は斜面を下り気味に横切って別の舗装林道に抜ける。そのまま緩やかな尾根を登っていけば笠山に近道できるはずだが、舗装路は萩平方面に下っていく。初めから御堂川沿いに歩いて萩平に上がってきた方がはるかに楽であろうに、わざわざ無駄歩きさせるコース設定に腹が立った。萩平のバカ地主は相変わらずで、わざわざ道路に面した場所で仲間とたむろして監視している。暇な野郎だ。

笠山登山道を登っていく途中でも別のハンターと遇った。遠くから犬の吠えるのが聞こえてきたので、鳥ではなくシカやイノシシの追い込み猟をしていたらしい。登る間に銃声は聞かなかったが、山頂から「六根清浄!」の大きな叫び声がしつこく響いてきた。笠山山頂部に上がると、笠山峠からお手軽に上がってきた多くのハイカーと出遇う。笠山神社横まで行ってはみたものの、お姉ちゃんとオバチャンの中間ぐらいの女性ハイカー達の声が響き渡っていたので忌避して踵を返す。

堂平山でパラグライダーが飛び交う光景も、堂平山からの奥秩父方面の眺めもいつも通り。特筆すべきこと無し。

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剱峯のボロ階段


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剱峯を下る途中で見た縦走コース後半部


剱峯から先、しばらく誰にも遇わず。獅子岩付近で一組の男女と行き交ったのみ。

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大霧山南724mポイント付近から見た笠山〜堂平山


人気の大霧山では下山中のハイカーが10名程、山頂でも3組のハイカーが残っていた。2011年は鉄道会社が主催したハイキング大会とぶつかって景色を眺める余裕がなかった。標高の高い丸山や堂平山の方が眺望に優れている。

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大霧山から見た秩父高原牧場〜皇鈴山〜登谷山〜釜伏山


午後二時前に大霧山を通過できたので日没前に登谷山を降りられそうだ。

秩父高原牧場南から見た観音山跡(珪石採掘場)
秩父高原牧場北から見た縦走路(笠山〜堂平山〜剱峯〜大霧山)


秩父高原牧場は家族連れで賑わっている。アクセスの便と眺望の差が秩父高原牧場と登谷高原牧場(廃業)の明暗を分けたのだろうか。

二本木峠・愛宕山で紅葉を愛でて道草。


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皇鈴山手前の茅野


無人の皇鈴山で最後の軽食休憩。登谷山頂ではバイクでタンデムしてきたと思しき若い男女が佇んでいた。邪魔しては悪いので通過。2011年に見た大きな梨の木には一つも実がついていなかった。枯れてしまったのか?おかげで梨目当てで道草することなく釜伏神社へ直行。参拝中に太陽が山入端に隠れた。

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釜伏神社参道で日没


釜伏神社の近辺は大きなイロハモミジの木がたくさんあって、紅葉盛期の頃にくれば見事なものだろう。今年は奥武蔵の紅葉の進行が早く、紅葉狩りには1週間遅かったようだ。終日穏やかで天気が良かったのが救い。

釜伏神社から先は延々と舗装路下りが続く。中間(ちゅうげん)平を通過して谷あいのスギ植林地の中を下る頃に真っ暗になった。暗闇でもなんとかハイキングコースの案内が認識できて街中に入るまではコースを誤ることはなかった。荒川の橋を渡ってから真っ直ぐ進めば寄居駅に行けるはずなのに、何故か案内は横道方向を指している。その後の案内を見落としたらしく、次の案内が見たらない。大通りに出て中心部と思しき方向に向かって寄居駅に到着。

名前は「外秩父七峰ハイキングコース」であっても、山歩きでもハイキングでもなく単なる舗装路歩きという感じ。前半抑え目に推移したおかげで、バテることなく順調に歩き通せた。道草した約30分を含めても11時間半以内には完歩できたのだから、大会参加者の標準レベルといったところか。大会が行われるのはもっと気温の高い春なので、その条件下で同じタイムで行動したら今回より確実に疲労度が高いだろう。

釜伏神社から寄居駅までの舗装路歩きがおそろしく長い。地図を良くみていなかったため所用時間を1時間程度と見ていたのだが、着替えや日没後の街中での進路誤り等で20分程度のロスがあったにせよ1時間半以上要した。舗装道路の長い下りのダメージが大きく、尻の筋肉痛が3日間続いた。足に合ったジョギングシューズとトレッキングシューズをマメに使い分けたことで一番心配していた足裏の肉刺を作らずに済み、翌日以降の出勤には影響無し。

自分に似合わないハードな歩きではあったが、とりあえず気に入らんものを片付けてせいせいした。せっかく行くのならゆったりと野山の雰囲気を満喫したいものだ。この類の歩きはもうやるまい。

山野・史跡探訪の備忘録