奥武蔵ハイキングその16(正丸駅〜旧正丸峠〜丸山〜金昌寺〜西武・秩父駅)

年月日: 2013年12月15日(日)

行程: 西武秩父線・正丸駅(07:04)〜旧正丸峠(07:55)〜虚空蔵峠(08:36)〜牛立久保(09:02)〜カバ岳(09:12)〜大野峠(09:42)〜丸山(10:20)〜秩父札所四番・金昌寺(14:23)〜秩父札所五番・語歌堂(時刻不明)〜秩父札所十番・大慈寺(時刻不明)〜秩父札所十一番・常楽寺(時刻不明)〜西武秩父線・秩父駅(13:35)

JRを使うハイキングは年末年始の(中年オヤジではあるが)青春18切符で安く済ませるつもりで、その前に私鉄利用でどこか歩いてみようと思った。青春18切符が12月10日から使えることを知らずに奥武蔵にでかけたのだが、それはそれで快適で且つ面白い山歩きであった。

自宅出発の段階では正丸峠から関東ふれあいの道を歩いて丸山に向かうことしか決めていなかった。それだけではちょっと物足りない。どうせ正丸駅で下りるなら伊豆ヶ岳に寄りたいものだが、正丸峠と伊豆ヶ岳の間をどのルートで歩いてスムーズに後の行程に繋げようか正丸駅に着くまで迷っていた。伊豆ヶ岳は山伏峠から登ったことがあるし、正丸峠から正丸駅までの区間も歩いたことがある。正丸峠と伊豆ヶ岳の間の関東ふれあいの道が未訪問だ。伊豆ヶ岳の北側には男坂と女坂がある。長い鎖場がある男坂は足場が脆いため現在は通行禁止とのこと。女坂も崩落個所があって通行禁止。現在はその中間に登山道が設けられているらしい。嫌いな鎖場を通過する必要が無くて結構なことだが、人気の場所であるが故に人が多いことを考えると今一つ気乗りがしない。せっかく登っても山頂に先客のハイカーが大勢たかっていたら、車で展望台に行くのとたいして違いは無い。とりあえず正丸峠に上がって、その時の気分次第で伊豆ヶ岳に立ち寄るかどうか決めることにした。

飯能駅で西武秩父線に乗り換え。通路の反対側のボックス席に一人のハイカーが居て、次の東飯能駅で乗り込んできたハイカーと話し始めた。どうやら連れ立ってハイキングに行くようだが、片方の男性がややえらそうな口の利き方をしている。俺は休みの日に同じ会社の人間とつきあうのは御免だな。

正丸駅で下りたのは自分を含めて3、4組か。二つ折りした地図をひっくり返しながら正丸峠に向かう道筋を確認し、駅を出て国道299号線を正丸トンネル方面に向けて歩いていった。2011年の東日本大震災前に正丸峠から正丸駅に下ったときは駅のすぐ南側に下ってきたように記憶していたのだが、最近酒の飲み過ぎか自分の記憶にちょっと自信がないのでたいして疑問に思わずそのまま進行。他のハイカーは真っ直ぐ伊豆ヶ岳に向かったと思われた。

旧正丸峠と書かれた道標に従って集落の中を抜けて植林された谷筋を登って行った。こんな道を下ってきた記憶は無い。確か祠と秩父の信仰に関する説明板があったはずだが、それらしきものは見かけない。谷の左岸側に派手に潰れたトラックのような車の残骸がある。上方から落っこちてきたと思われるが、周りは大きく育った植林であるから事故があったのは少なくとも30年くらい前の出来事だろう。これも見た記憶が無い。

舗装道路を横断するに至ってようやく予定の道と違うことを確信。植林地帯を登り続けて辿りついた旧正丸峠は、道標がポツンと立つ冷たい風が吹き抜ける寂しい場所であった。何故に道の選択を誤ったかというと、二つ折りにしていたために破線路の続きを正確に追えず一本隣の破線路とかん違いしてしまったのだ。最近老眼が進行して眼鏡をかけたままでは字も書けないし本も読めない、地図も読めない。かといって、地図を見る度に眼鏡を外して顔を紙面に近づけるのも面倒なことだ。

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旧正丸峠


南に約1q離れた正丸峠に行くには標高差約100mの山越えをしなければならない。わざわざ伊豆ヶ岳まで行って同じ道を戻ってくる気にはなれないので、伊豆ヶ岳行きをあきらめて旧正丸峠から北に向かう。いきなり行程を短縮してしまって楽勝かと思いきや、忠実に稜線を辿る区間が多いので歩きごたえがある。こりゃあ、道間違えたおかげで伊豆ヶ岳に行かなくて良かったのかもしれないな。

旧正丸峠と虚空蔵峠の間
(正丸トンネルの南側)
にある急な階段
虚空蔵峠


虚空蔵峠がいかなる役割を果たしていたのか現地に説明は無い。正丸と芦ヶ久保の往来に用いられていたのか、それとも刈場坂峠に抜ける道として用いられていたのか。名前の由来となったと思しき石祠がポツンと残っているだけ。

少しだけ林道・刈場坂線を歩いて再び山道に入る。灌木がまばらに生える広くなだらかな窪地を通る。居住地や耕作地として用いられた形跡はないようだ。程なくして刈場坂峠近くの縦走路に接続する。道標に牛立久保と書かれているので、昔はあの窪地で牛を休ませていたのかもしれないな。

牛立久保の北側の雑木林の雰囲気が好きである。トレニックワールドin 越生エリートコースの標示が目障りだ。おバカにエリートもクソもあるもんか。

2010年晩秋に縦走路を北上したとき、道標を見過ごして舗装路を歩いてパスしてしまった区間があった。この縦走路ではめずらしく稜線が岩ゴツゴツの区間が存在する。カバ岳南側のヒノキが北西方向に向かって倒れていた。葉がまだ青々としているから今年秋の暴風で倒れたと思われる。よくこの程度の浅い根で立っていられるものだ。引馬峠の近くで見たシラビソ倒木のかた焼きそばみたいな根を思い出す。

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カバ岳南のヒノキ倒木


大野峠の東屋で2名のハイカーが休憩中。歩き始めてから初めて人に遇った。大野峠からひと登りした場所にあるパラグライダー離陸場からの眺めが良い。

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大野峠北のパラグライダー離陸場から見た堂平山方面


丸山の山頂は意外に静か。展望台屋上でお父さんと中学生くらいの息子が休憩していただけ。日溜まりで軽く栄養補給して先に進む。

関東南部で冬枯れの山を歩くと、陽当たりの良い藪に白い花が咲いているかの如き蔓性植物の種子を良く見かける。出身地の会津では積雪するためか見た記憶がない。庭に植えたら廃屋とかん違いされかねないが、冬枯れの野山には良く似合う。個々の花も種子もよく見ると可愛い植物である。

ボタンヅル


丸山から森林学習展示館に向かう途中、芦ヶ久保方面から登ってきた多くのハイカーと出あった。キノコ型の建物が並ぶ森林学習展示館は12月1日から冬季閉鎖中で誰もいない。道標の秩父に向けて西進する方向は金昌寺と書かれている。あまり辿る人はいないようだ。落葉した明るい雑木林の尾根道の雰囲気が良い。森林学習展示館から920mポイントから舗装道路を横切る場所まで砂利を敷いてあって山道らしくないのが少し惜しい。

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秩父盆地に向けての下り・標高約800m


地形図には尾根の南側斜面に破線が記されている。現役の登山道は880mポイント付近を除いてほぼ一貫して稜線の北側斜面に在る。標高750m辺りで(たぶん)道がどんどん稜線から離れて北に下っていくので道を無視して稜線を辿った。うっすらとした稜線上の踏み跡は明瞭な山道となり今度は植林の中を南に向けて下っていってしまう。再び道を離れて道無き稜線に復帰。植林地帯を抜けると稜線上に古い山道が続く。

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秩父盆地に向けての下り・標高約700m辺り? 背景は武甲山


(たぶん標高508mポイントの東側で)稜線南側の使われていない公園のような場所をかすめる。管理者がいないらしく、公道も走れるバギー2台が近くの道無き雑木林斜面を走行して荒らしていた。この場所を過ぎて程なく尾根北側を下ってくる現役の登山道に合流し、508mポイントの北側の急勾配の下を巻くようにして金昌寺に向かう。この辺りの道筋も地形図の破線と一致しない。道は抉れて落ち葉が積もっているためやや歩きにくい。ネットの扉を抜けると金昌寺の裏の墓地に下りてくる。森林学習展示館から金昌寺まで見かけたハイカーはほんの数名。

金昌寺は仏閣が好きな方にとっては訪れてみる価値がありそう。

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秩父札所四番・金昌寺の阿形・吽形


大きな通りに出ると西武秩父駅に向かうバスが利用できる。気温が低くてほとんど発汗しなかったし軽めの歩きで疲れもないため、ジョギングシューズに履き替えて徒歩で西武秩父駅に向かった。途中で3つの札所に立ち寄ってみたが、金昌寺に較べると印象が薄い。語歌堂の阿形・吽形はややチープなヒップホップ系。大慈寺の阿形・吽形はガラス張りで中が良く見えなかった。

山野・史跡探訪の備忘録