木ノ俣川遡行(2014年7月)

年月日: 2014年7月26日(土)、27日(日)

初日行程: 塩那道路・川見曽根出発(05:10)〜降下予定地(05:45-06:00)〜木ノ俣川へ降下(06:50)〜標高900mのゴルジュ・護岸された軌道の最終地点(時刻不明)〜流路が北東を向くゴーロ・標高920m(12:05)〜1045mポイント西の左岸支流の滝・標高約980m(時刻不明)〜大佐飛山から下る右岸支流の滝・標高約1070m(時刻不明)〜左岸支流の滝・標高約1150m(時刻不明)〜大佐飛山と名無山間の鞍部から下る右岸支流の滝出合・標高1240m(時刻不明)〜二俣・標高1330m(16:09)〜1622m(17:44)〜塩那道路跡(18:22)〜瓢箪峠でテント設営(19:00頃)

最後に野外に遊びに行ってから一ヶ月以上ワーカホリックな状態が続いている。土日のいずれかに遊びに行くことは時間的に可能であるし、野外の遊びに対する興味を失ってもいないのだが、天候が安定せず川の状態もいまいちということで、たまの休日は終日家に引籠り。川崎在住時の20代の頃もこんな生活だったな。26日と27日は久々に天候が安定しそう。アユ釣りは魚の保存の関係で日帰りせざるを得ないので、この週末をアユ釣りに費やすのはもったいない。梅雨明け以降で最も高い気温が予報されていた。日帰りでも炎天下のアユ釣りはつらかろう。人一倍発汗量の多い自分には山歩きもつらい。一年にせめて一回はフライフィッシングもしてみたい。一回釣行するに十分なフライの作り置きがあったので、一泊前提で木ノ俣川で渓流釣り兼ねて山歩きをすることに決めた。野球親爺さんのレポで最近知ったことだが、現在は塩那道路の板室側にも深山園地なるものがこしらえてあって、川見曽根まで常時車で入れるようなのだ。以前のゲートがあった場所から歩くのに比べればなんと楽なことか。初日は川見曽根から塩那道路跡を歩き、途中で木ノ俣川に降下して瓢箪峠まで釣りしながら遡行し、瓢箪峠で一泊。翌日は午前中に塩那道路跡を歩いて戻り、早い時間帯にさいたまに帰る。

25日22時にレンタカーを借りて、板室側の旧ゲート手前の広場に着いたのが26日01:30頃。ここならば携帯電話の電波が入るし、就寝中に他の登山者に邪魔されることもなかろう。カメラ用に予備の単三乾電池を買うのを忘れた。今から買いには行けない。撮影枚数を抑えることにしてとりあえず就寝。

明け方周囲でヒグラシの大合唱が発生していたみたいで、様々な音色でけたたましくヒグラシが鳴く不思議な夢を見た。適温で寝心地は良かったのだが、体内時計のせいで平日と同じ4時半に目が覚めてしまった。睡眠時間はたったの3時間。日頃寝不足なのに無理して大丈夫だろうか。川見曽根に向かう前に家にメール打っていたら車が一台奥に向かっていった。ゲート跡から川見曽根に向かう途中、先ほどの車が停車中。登山者ではなかったのか。別の場所にもう一台。景色も見えないし何も目ぼしいものもないこんな場所に早朝何をしに来るんだろうな。で、川見曽根の駐車場には先客無し。今日は山域全体貸切ってことね。

直射日光に晒されることなく降下予定地まで塩那道路跡を歩き、過去に2回下った実績のあるルートで順調に400m降下して木ノ俣川到着。湿度が高くて谷底から見上げる山々がモヤッとしている。涼しい沢底で渓流釣りする選択はアタリかな。

アユタイツに着替えて遡行開始。取水堰より下流側は水量が少なくドライフライ投げるのに向いている。魚の数はあまり多くないみたいだが、良型2匹を含む計4匹のイワナと対面できて満足。

取水堰下流側の雰囲気
最初に対面したイワナ
          


何度か修復した形跡のある左岸側のステップを利用して取水堰上流に移動。

木ノ俣川取水堰
上流ゴーロから見る取水堰方面


2008年遡行時よりも水量が多く、上流側でドライフライを投げるのに適した場所は無かった。何ヶ所か水が弛む場所で試してみたが魚の気配なし。竿をたたんで遡行に徹する。魚釣り用の高級なプライヤをどこかに落してしまった。どなたか見つけたら使ってくだされ。

第7渡渉点橋脚跡は2008年時から変わった様子は無い。『栃木県那須郡誌』から推察すると軌道跡は大正時代の森林伐採時の遺構ということになるのだが確証はない。木材も金属のボルトも90年以上前の遺物であるとはとても思えないくらい保存状態が良いのがその理由だ。

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第7渡渉点橋脚跡


軌道跡は長いゴーロ区間の左岸側藪中に在るようで、川中を遡行しているとその存在に気付かない。2008年は標高880mで引き返した。雪田爺様の情報ではその先にも軌道跡が続いているとのことであった。その情報通り、再び左岸側にしっかりと護岸された軌道跡が現れる。

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標高890m前後の護岸


この辺りではきれいなナメ床が見られる。男鹿山地の地質は火成岩ではなくて凝灰岩の類が変成してできたと思われるのだが、小生は地質の知識が乏しく正確なことは判らない。石は概ね薄い青灰色で硬く、ヤマビルが好むグリーンタフ由来の地質とは異なっているようだ。

標高900mのナメ床
ナメ床のモザイク模様
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ナメの奥・ゴルジュ区間の入口
左岸がきれいに護岸されている。


川中を遡行できない場所があって、タオルが巻きつけてある場所から右岸側を巻いた。護岸されてはいないが、一斗缶の名残のような錆びついた薄い金属が有ったので人為的に形成された場所かもしれない。自分が沢中を遡行して確認した限りではこのゴルジュが遺構の最終地点である。

ゴルジュ区間を抜けて北東に流れが向くゴーロで一休み。時刻は12:05。瓢箪峠までまだ4q近くの行程を残しており、簡単には脱出できそうにない区間がしばらく続く。沢奥の上空に雲が発生しているが、降雨する気配は無く沢底まで日光が当たって雰囲気良好。当初案通り遡行を続行する。

1045mポイント付近のゴルジュ区間で一ヶ所巻きにくいところがあった。ザックやロッドケースを藪にひっかけながらの斜面トラバースは厄介だ。こんなところ戻ってくることにならないと良いが。

1045mポイント西の左岸支流の滝・標高約980m
ゴルジュの碧い渕


流れが東北東を向く約2qの区間に入ると、ほぼ500m間隔で右に左に滝が出現する。先ずは右岸支流が美しい滝を懸ける。雪田爺様が紹介されていた滝だ。

大佐飛山から下る右岸支流の滝
標高約1070m
左岸支流の滝(雪田爺様が飲んだ水?)
標高約1150m
右岸支流の滝出合・標高1240m
大佐飛山と名無山間の鞍部から下る。
水蒸気が水流に冷やされて靄が発生


幾つか支流を経てやや水流が細ってきたものの、フライフィッシングに向く場所は現れない。樹木が倒れ込んだり流木が引っ掛かっていてやや荒れ気味。餌となる水棲昆虫が安定して生息できる環境ではなさそうで、上流部で魚が走る姿を一度も見なかった。冬季は完全に凍結して水流が無くなってしまうのかもしれない。

岩に挟まれたコンクリート製人工物を発見。現在地は塩那道路跡からかなり離れており、人工物が直接転げ落ちてくることはあり得ない。二俣最奥部から塩那道路跡に突きあげる源頭部急斜面の補強工事跡から雪崩で転げ落ち、増水時に土砂とともに流されてきたようだ。

右俣上流から流されてきたと思しき人工物
二俣手前のシャクナゲ帽子を被る大岩


瓢箪峠まであと少し。左俣の入口の等高線が密であるが、ガレているおかげで楽に突破できた。

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二俣左俣の急峻なガレ場


標高1420mで次の二俣に至りここも左を選択。最後の詰めが楽そうなので左俣を選択したのであるが、標高1450mで想定外の2段のナメに至った。ホールドが無くて左岸側のチシマザサを掴んで巻くしかない。上段の上に出るには掴まる樹木のない草付斜面をトラバースしなくてはならない。滑落したら軽傷では済まない。一歩踏み出してみて安定した足掛かりが得られなかったので止めた(雪田爺様はこのナメ上で引き返したとのこと。)。

もっと上部の藪まで登って十分に安全を確保してから沢に復帰しようと思った。沢靴がチシマザサで滑る。腕力に頼って20m程度登るうちに疲れてしまい沢に戻る気力が失せた。そろそろやり直しのきかない時間帯だ。安全を最優先し、藪歩きの服装に着替えて1622mピークに詰め上がることにする。想定外の場所で沢を離れることになり、飲料水の確保も顔を洗うこともできなかった。明日のことを考えると心理的にちとつらい。

詰めは勾配がきついものの行く手を阻むような性質の悪い藪は無い。普段ならどうということはないレベルだ。しかし、本日は寝不足と長距離遡行で疲労しており、おまけに高温・多湿でほんの数m登っただけで汗が吹き出る。熱中症になりかねない。できるだけ明日に向けて体力と飲料水を残すべく、残された時間を最大限有効に使って熱冷まししながら超ノロノロペースで登っていった。1622mピーク北東の縁にある密なアスナロ藪を躱して踏み跡に到達。

瓢箪峠に向かう連絡尾根は大蛇尾川側から木ノ俣川側に向けて適度な風が吹き抜けており涼しく快適、順調に塩那道路跡に抜け出ることができた。夕刻になってガスってしまい周囲の山並みは一切見えない。無数のトンボが舞う。俺にまとわりついているヌカカを食ってくれ。

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塩那道路跡にて


スペースハウスの窓を開けて換気して荷物を整理していたらチリンチリンと熊避け鈴の音が聞こえる。板室方面から男性1名が現れた。まさかこんな暑い日に登山者と遇うとは思わなんだ。

男性は茨城の方で、大佐飛山は初めてで連絡尾根鞍部に下る場所が判らなかったとのこと。入口に何の案内も無いし、ガスっていて周囲の景色が全く見えないのだから無理もない。テン場に移動する際に入口まで案内した。翌日、大佐飛山まで往復して川見曽根駐車場まで戻るとのこと。この暑い時期に自分にはとても真似できない。

横川から上がってくる資材運搬路跡方面には現在も草地が残っている。100m程度進んで、苔の生えたフカフカの場所を見つけた。まるでベッドの上にいるみたい。夕刻になってヌカカの大群の攻撃性が増す。テント設営中に何ヶ所か刺された。テントの中に入りこまれないよう、一旦テントから20m程度離れて、猛ダッシュしてテントに飛び込んだ。

着替えと夕食を済まし、ラジオを聴く気にもならず8時前に就寝。まどろみつつあった頃、ドーン、ポンポンという花火の音が聞こえて目が覚めてしまった。小玉の音まではっきり聞こえる。場所的に栃木県の花火の音が聞こえるとは考えにくい。福島県境を越えて南会津町(旧田島町)から響いてくるのだろうと思った(帰宅後調べた結果、下郷町が開催した第9回下郷ふるさと祭りの宵夜祭の花火(打上げ開始 08:30)だったようだ。)。

10時頃に目を覚ました時、入口の透かしを通して星が見えた。透かしを開けて見回すと、全天晴れており天の川がくっきり見える。時折星が流れる。ヌカカも既に就寝中。入口を開けたまま仰向けになってしばらく夜空を眺めていた。

年月日: 2014年7月27日(日)

二日目行程: 瓢箪峠出発(05:00)〜貫通広場近くの坂で昼寝〜塩那道路・川見曽根到着(09:22)

日付が変わって3時台に目を覚ました時には再びガスっていて、明るい星が見えたり隠れたりしていた。横川側から勢いよく霧が流れている。まあまあの天気だ。本日はお気楽に塩那道路跡を歩いて戻るだけであるから何ら問題はない。

たくさんのウグイスが鳴き競う。みんな上手だ。2008年6月時にはカッコウやホトトギスの鳴き声も聞こえていたのだが今回はウグイスのみ。やつらウグイスに托卵してさっさと別の場所に行ってしまったのか。

朝露でテントはぐしょぐしょ。5:00に撤収。塩那道路跡に出るまでに草露でズボンがぐしょぐしょになってしまった。大佐飛山を目指す男性はもっと早く出発したばずであるから、今頃は名無山に向けて登っている途中であろう。

板室方面
早朝の名無山
          


2010年時、この眺めを見ることはもうないだろうと思ったものだが、再び見ることができて満足だ。

大佐飛山
木ノ俣川奥部


笹の沢付近の山側で大型獣がチシマザサ藪をガサゴソ移動する音が聞こえた。何か食べているような音も聞こえる。筍の季節はとうに過ぎているから、熊が伸びつつある柔らかい新葉を食べているのであろう。まだ開いていない新葉をそっと引き上げると節の最下部の柔らかい芯がそっくりついてくる。これが柔らくておいしい。ビタミンと繊維質及び水分補給のために、チシマザサの柔らかい芯を食べながら歩いた。歯ブラシを持ってこなかったので道路にはみ出たダケカンバやヤシャブシの小枝を折って歯ブラシ替わりに使ってみた。結構いける。

塩那道路跡の変わり様に驚く。最後に歩いた2010年秋の時点ではまだなんだかんだ理由をつけて塩那道路をきれいに維持管理していた。現在は完全に放置され、法面や路肩の崩落が部分的に進行し、路面に樹木が倒れ込み夏草に被われている場所もある。特に沢筋の路肩崩落が進んでおり、あと10年もしたら道路跡を利用することはできなくなり、安易に人が入り込めない自然の姿に回帰するのではないだろうか。

路面跡ではオトギリソウが、山襞の陰では発色の良いヤマアジサイの花が多数目につく。現役の頃の塩那道路はフキだらけだったものだが、放棄されてからはその地位をテンニンソウに譲り渡したようである。

オトギリソウ
ホタルブクロ
ヤマアジサイ
シモツケソウ


塩那道路は下りでもうんざりするな。貫通広場に至る手前にある岩盤の坂は木陰があって涼風が得られるので、ここに至るといつも昼寝の誘惑に駆られる。路面にひっくり返ってすこしまどろんでから歩行再開。4時間以上かけて川見曽根に帰着。

湿ったシュラフ、濡れたテント及び前日の汗ぐっしょりで臭い衣服を陽当たりの良い駐車場に広げて天日干し。10分に1台程度の頻度で車が上がってくるので落ち着かない。なんとかテントだけは乾燥させて帰り支度をしていたら、1台の小型トラックが現れ、運ちゃんがニヤニヤしながらいろいろ釣りのことを聞いてくる。栃木の話し方ではない。北茨城からいわきにかけてのイントネーションである(車もいわきナンバーだった。)。「俺らは鳥海に(釣りに)行くんだよね。」と言っていたから、釣り場を物色に来たのかもしれない。ご年配のハイカーの御一行様も現れて深山園地へ向かっていった。天気の好い日なら那須岳から大倉山にかけて好眺望が得られそうだ。

ゲート跡付近の木陰で数十分仮眠して10:45頃に目覚めた。平野部が分厚く雲に覆われ、樹木が風に激しく揺れている。山の奥の方はまだ青空が残っていたので、昨日遇った登山者は無事大佐飛山に登頂されたのではないだろうか。

幸の湯で一風呂浴び(\700)、黒滝山大日尊で延命水を汲んで水分補給。車を返すまで時間がたっぷりあるのでアユ釣りの下見をしたかったのだが、雷雨で竿を出している人はおそらくいまい。さくら市の押上では突風(竜巻かもしれん)により国道4号線の分離帯の生垣やボロ民家がバラバラになって道路上に散乱。アユ釣りの小物を買足すべく宇都宮の上州屋に向かう途上でも激しい雷雨に見舞われた。反面、南下する途上で強い西日に晒されることなく帰りの運転が楽であった。

翌日以降、心配していた免疫力の低下によるヘルペスの発症はなかったし、筋肉痛も水曜には消えた。しかし、体の重さとむくみがなかなか解消せず、完全に回復するのにまるまる一週間を要した。自分の体質が夏山向きでないこと+オッサンであることを再認識。

山野・史跡探訪の備忘録