奥武蔵ハイキングその17(小川町駅〜腰越城跡〜氷川神社〜萩平〜粥新田峠〜釜伏峠〜塞神峠〜小林山〜波久礼駅)

年月日: 2014年11月23日(日)

行程: 小川町駅(06:29)〜腰越城(07:20)〜氷川神社(08:20)〜407.6m三角点峰〜林道萩平線終点・375m(09:50)〜萩平(395m)〜新井・195m(11:05)〜粥新田峠東で舗装路に合流・520m〜皇鈴山近くの林道接続点・645mで休憩(約15分)〜釜伏峠・540m〜塞神峠・455m(14:05)〜葉原峠・465m〜小林山・538.6m(14:45)〜521mポイント〜長瀞C.C.最奥部・395m(15:20)〜波久礼駅(16:00)

休みを取りにくい立場のため今年は紅葉狩りのタイミングを逸してしまった。せめて低山の残り紅葉でも愛でに、今年も奥武蔵で駅と駅をつないで歩いてみようか。外秩父七峰縦走ハイキングコースのような長時間・長距離の歩きをするつもりはないが、明るい時間帯を目一杯使って体を動かしたい。

土曜日夜にコースを検討。外秩父七峰縦走ハイキングコースの近隣に幾つか気になる未訪の場所がある。これらを繋いで歩くと時間も運動量もちょうど良さそう。始発に乗るために十分な睡眠時間が確保できない。少しでも寝る時間を確保すべく、以前使った地形図コピーをかき集めてコースの8割方の地図を準備した。残りはなんとかなるだろう。

東武東上線の朝霞台から小川町までちょうど一時間。少し眠れるかなと期待していたのに、会話するオヤジ達のでかい声が耳障りで、おまけにドアが開くたびに冷気が入って眠れやしない。徐々に空が白み、奥武蔵の山並みのシルエットが浮かび上がる。森林公園駅辺りまで来るとすっかり明るくなって黄葉したコナラ主体の雑木林が美しい。東武東上線のこの眺めが好きである。

国道254号と別れて槻川沿いの県道11号線を進み、最初の目的地:腰越城址のある尾根突端に近づく。県道に腰越城跡入口の案内が在り、民家の敷地の境目に歩道が整備されている(地形図に記されている破線路ではない。その150m北東にある実線が相当する。)。簡単に上がれる場所だと思っていたのだが、なかなかどうして、尾根鞍部に上がるまでが結構きつい。鞍部から一旦下るようにして急斜面を横切って尾根先端側に抜けてから頂上に上がる。道はとても良く整備されていて歩き易い。

現地説明板に拠ると、松山城主上田氏の家老として仕えた山田伊賀守直定(1562歿)の居城とのこと。どこの山城についても言えることだが、山の上では仕事にならないし、生活に必要な物資を運び上げることも汚物処理も大変。小規模な山城は敵に攻め込まれたときに一時的に立て籠もる避難所であって、居城ではなかったのではないかな。

本郭とされる山頂はさほど広くない。眺めはまあまあといったところか。本日辿ろうとしている第二の目的地:小川町と東秩父村の境界尾根の様子を観察して、どこから取付こうか思案。小さな谷沿いに林道がありそうだが、民家があって入り込みにくそう。道が見つけられなかったら氷川神社から取付くか。あの銀杏の木がある場所がそうかな。

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腰越城址から見る笠山方面(小川町と東秩父村の境界尾根)


できれば往路と違う道で下山したいと思い往路と違う歩道を辿ってみた。ところが、麓に下りられる現役の道は存在しない。歩道は迷路のごとく尾根末端を巡り、往路に復帰。ちょっと立ち寄りのつもりが腰越城跡案内図に描かれたコースのほとんどを歩かされて、肝心の尾根歩きの前に疲れてしまった。鞍部から249.3mポイントを経て官ノ倉山に向かう道があるようであるが、本日そちらに向かう余裕はないので鞍部から往路を戻った。

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腰越城跡案内図


腰越城址入口に車を停める場所は無い。車でアクセスする場合は、入口から350m程山崎側に進んだ場所から分岐する槻川に向かう道の路肩に停めるのがよいだろう。一度は訪れてみる価値はあると思う。

内出地区から山に上がる道が判らないので氷川神社に向かった。

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氷川神社


現地説明板に拠れば、「素戔嗚命(スサノオノミコト)、奇稲田比責命(クシナダヒメノミコト)、大那牟遅命(オオナムチノミコト)を祭神として祀り、腰越の鎮守として氷川様と呼ばれている。」とのこと。

氷川神社は崖の真下に位置している。神社左手から崖に上がる道があり、崖上には「御嶽山大神、三笠山大神、八海山大神」と彫られた碑が建つ。かつてこの辺りでも木曽御嶽信仰(注釈1)があったということか。その奥に向かう道は無く、適当に竹林の斜面を登っていくと不明瞭な踏み跡に出合いこれを辿る。踏み跡には至る所イノシシの糞が落ちており、踏まないように気をつかう。植林地帯に達すると山仕事用の古い踏み跡に出合う。この踏み跡は浅い谷奥の植林斜面を横切って北隣の尾根に至り、尾根の反対側(北側)の谷から上がってくる作業用林道のヘアピンカーブにすんなり抜けることができた。以降はこの作業用林道を終点まで辿り、再び植林斜面を適当に登って308mポイント付近で境界尾根に到着。境界尾根には古い抉れた道跡が存在する。以降はこの道跡に沿って植林尾根を登っていく。境界尾根の植林はどこも良く手入れされており、中は適度に明るく林床に緑が豊富で、雰囲気がよろしい。

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407.6m三角点峰北で西上武幹線と交差


送電線鉄塔巡視路は帯沢の奥から上がって407.6mポイントをかすめて東に向かう。おそらく館と小貝戸の間のどこかに巡視路の入口があるのだろう。巡視路から離れて山頂から南に少し下ってから地形図で現在位置を確認。明瞭な道は無く、407.6m三角点の存在にも気付かなかったが、進路は誤っていないようだ。

しげしげと地形図を眺めていると50m程度離れた北側植林斜面を移動する物音がする。数頭の雌鹿が上がってきた。こちらの存在に気づきしきりに正体を確かめんとしていたが、当方が微動だにせずにいたので、人間ではないと判断したらしくゆっくり東に移動して行った。遠くから猟犬の吠え声が聞こえる。今朝、遠くから響く銃声を聞いたので、本日追い込み猟が行われているのは間違いない。鹿はハンターが待ち構えている場所と反対の方向に移動して行ったようだ。

標高300mの細尾根を渡って330mポイントにさしかかった辺りで猟犬の吠え声が最も近づいた。誤射されるのを避けようと、彼らがいる側と反対側に寄って身を隠しながら進行。前方から尾根を下ってきたハンターと少し言葉を交わした。狩猟の集団とうまくすれ違ったので後は安心。程なく、林道萩平線終点の表示がある場所で舗装林道に到達。林道にはハンター達の車が数台停めてあった。昨年同時期も外秩父七峰縦走ハイキングコース上で複数の狩猟者集団を見ている。この時期は基本的に道無き場所を歩いてはいけない。

林道は外秩父七峰縦走ハイキングコースに合流する最高点に向けて徐々に高度を上げる。帯沢地区のある谷最奥部付近に眺めの良い場所在り。

407.6m三角点峰
林道・萩平線の十月桜


萩平を過ぎて新田に向けて下る間、十数名のハイカーと遇った。笠山登山者の多くは新田までバスで来るらしい。

肉刺防止のために舗装路ではジョギングシューズに履き替えているのだが、この靴がどうも足に合っていないみたいで、舗装路下りの間に足裏に違和感を感じるようになった。昨年外秩父七峰縦走ハイキングコースを歩いたときは長年履いて底が半分すり減った安物の靴で何ともなかったのに。靴選びは難しい。

新井から二本木峠に向かう車道に入り、尾根上まで300m超の登りとなる。一ヶ所山道によるショートカット区間がある。栗和田の標高385mで、粥新田峠に向かう細い車道が分岐する。最奥の人家を過ぎると未舗装となり、古の峠道の雰囲気が残されている。

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粥新田峠近くの道祖神(馬頭観音?)


舗装路に抜けて粥新田峠から下ってくる車道との三叉路を経て秩父高原牧場方面に向けて北上。ここからはしばらく外秩父七峰縦走ハイキングコース歩きとなるので特筆すべきことなし。蓑山方面から上がってくる車道が接続する辺りから秩父一帯の山並みが良く見えた。

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秩父高原牧場から見た秩父側の眺め


昼過ぎて気温が上がり、ちょっとした登りでも汗が出る。寝不足の体にあまり負荷をかけたくない。過去2度訪問済みの皇鈴山と登谷山の山頂はパスしてひたすら舗装路歩きに徹する。舗装路最高点となる皇鈴山西側で通行止めの未舗装林道が接続している。車道から林道に少し入り込んで休憩。眠気を感じて仮眠しようとしたのだが、サワサワと風が吹くと寒気を感じて眠れん。さっさと予定のコースを歩いて帰るとするか。

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登谷山入口のカエデ


2011年に見た梨の大木は今年も実をつけていない。それらしき大木は朽ちかけているようにも見える。2011年に見たたわわな実りは子孫を残さんと最後の力を振り絞った姿だったのかもしれない。

釜伏神社の駐車場の紅葉が見頃であった。釜伏神社の裏側に続く関東ふれあいの道を辿れば自動的に釜伏山に至るものと思っていたのだが、いつのまにか車道に下りてしまった。足裏が痛かったので戻る気になれずそのまま塞神峠に向けてゆったりと下る舗装路を北上。子供連れの集団が登ってくるのに出会った。3年前の同時期と全く同じ光景である。現在歩いているのは長瀞駅から塞神峠と釜伏峠を経る関東ふれあいの道だが、ハイキングにしてはちょっと時間が遅いような気がする。何を目的とした集団なのか不思議だ。

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塞神峠


塞神峠から先は足に優しい起伏の少ない山道が続く。2011年時は仙元峠から風布に下った。未訪の奥武蔵最北端部が本日最後の目的地である。道から離れた雑木林の中に「小御嶽 石尊 大権現」(注釈2)と彫られた石碑がポツンと残されているが現在誰かが祀る様子は無い。見ざる言わざる聞かざるの三匹の猿が彫られた道祖神(庚申大神)は何者か(坂本家?)が日常的にお参りしているようである。誰にも遇わなかったし、奥武蔵南部に較べて情報も少ない地域ではあるが、道の状態は良く、踏まれ具合から察する限り歩く人も少なからずいるようである。

山道は505mピークの東側をかすめていく。雑木林の山頂には大神部山と書かれた板があるのみ。

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大神部山(505m)


大神部山北の鞍部を跨ぐ舗装車道の峠が現在の葉原峠である。その先の地形図を所持していないが、歩きに支障はなさそうなのでそのまま尾根歩き続行。しばらく山道を進むと幅広の未舗装林道が北から延びてきている。道が538.6mピークを離れていくように思われたので東側から植林斜面を登って山頂に至った。

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小林山(538.6m)


その先に行く明瞭な踏み跡は見当たらなかったが、北に見える高みに向かって少し雑木藪を進むとうっすらとした踏み跡が現れ、鞍部で小林山をぐるりと巻いてきた未舗装林道に再び合流。未舗装林道は寄居方面に向けて高度を下げていく様子であったので、尾根筋を進む。これまでと違って踏み跡は不明瞭であるが歩くのに支障はない。めでたく最北端の521mピーク到着。もし地形図を所持していたらここから北西の尾根を下って276.3m三角点を経て下山する判断をしたのではないかと思うが、この時は確実性を最優先で人が辿った形跡のある北東尾根を下った。北東尾根は進行方向右側が植林地で左側が明るい広葉樹林である。

尾根筋には何ヶ所か登山目的で設けたと思われるトラロープやうっすらとした踏み跡が残されている。長瀞C.C.最奥部の打ちっ放し練習場の近くまでくると栃木の雲雀鳥屋みたいに林の中にゴルフボールがたくさん散らばっている。とんでもない飛ばし屋がいるものだな。練習場の東側に道があるようなので、適当にスギ林を横切って道に降り立ち、ゴルフ場の舗装路に抜けてゆったりと山を下った。

金尾山から寄居橋にかけて道路が拡幅・新設されており、2011年に歩いた時とのギャップに少々戸惑った。秩父帰りの車の交通量が多く、寄居橋の手前から国道140号線まで渋滞。波久礼駅は寄居橋を渡ってすぐの場所にある。暗くなる前に着いてよかったけど、次の便まで42分待ち。歩道の無い国道140号線を歩くのは危険であるので、安全最優先で波久礼駅で待った。乗った列車は秩父帰りの客が乗っていて座れず、熊谷まで立ちっ放し。暗くて景色見えないし、寝不足と疲れで眠くて仕方がない。立っていて眠気で何度かガクッとしたのは久しぶり。これなら時間がかかっても寄居で東武東上線に乗り換えて帰ればよかったかな。熊谷駅で蕎麦食べてから高崎線・埼京線で順調に帰着。

注釈1: 三笠山大神は三笠山大神を祀る神社であり、御嶽山王滝口にあります。八海山神社は御嶽山5合目にあり、越後出身の木喰行者(もくじきぎょうじゃ)と普寛行者(ふかんぎょうしゃ)が御嶽山王滝口を開いたときに、越後国の八海山大頭羅神王と上野国武尊王を勧請して八海山大神とし、それからこの一帯は八海山と呼ばれるようになったそうです(http://kamakura-guide.jp/ontakejinjyaから引用。)。

注釈2: 小御嶽(こみたけ)石尊大権現」は、実際の富士山の五合目にある富士山小御岳神社のことで、かつては石尊大権現ともよばれていた(http://yama-heiwa.moo.jp/sub%201%20mt-10-2-tonaino-yama--fuji.htmlより引用。)

山野・史跡探訪の備忘録