房総丘陵ハイキングその2(安房天津駅〜清澄山・妙見山〜元清澄山〜三石山〜上総亀山駅)

年月日: 2014年12月14日(日)

行程: 武蔵浦和駅(4:58)〜武蔵野線〜(5:51)市川塩浜駅(5:56)〜京葉線〜(6:24)蘇我駅(6:36)〜外房線〜(7:19)上総一ノ宮駅(7:22)〜外房線〜安房天津駅(8:21)〜松野先生記念碑(09:10)〜清澄山(時刻不明-10:30)〜三石山分岐(12:24)〜元清澄山(12:45-13:05)〜三石山分岐復帰(13:24)〜三石山(14:40-15:00)〜(16:00)上総亀山駅(17:06)〜久留里線〜(17:24)久留里駅(17:37)〜(18:21)木更津駅(18;23)〜内房線〜(18:34)君津(18:59)〜(19:39)蘇我(19:47)〜(20:08)南船橋(20:10)〜武蔵野線〜(21:02)武蔵浦和駅

13日(土)遅く帰宅してから14日の行動を計画。今年1月5日に予定の始発に間に合わず行けなかったコースを試すことにした。その時準備した地形図が残っていたので印刷の手間も省ける。国土地理院の印刷機能が満足に機能しなかった時に画面コピーして他のアプリで印刷したものなので、道路と地名をかろうじて識別できる程度の代物だが、藪歩きしないのでなんとかなるだろう。

乗り換えは予定通り順調だし、余裕で座れるのであるが、それぞれ乗っている時間が1時間未満であるため寝られないのがちとつらい。本日はびっしり霜が降りる程冷え込みが厳しく、扉が開くたびに冷気が車内に流れ込むため、じっとしていると冷えてしまう。

本納や茂原の辺りは過去に何度か仕事で来ているため、目立つものは何もなくても個人的には懐かしく感じる光景だ。照葉樹林の山肌が見えてくると海岸は見えなくとも南房総に来た感じがする。行川(なめがわ)アイランドは営業していないみたいだが、無人駅は残されている(鹿沼にある行川も同じ読みだったような気がする。後日ネットで調べた情報では行川アイランド2001年に廃園したらしい。家族で南房総に旅行して鴨川シ―ワールドや勝浦水中展望塔に行ったのはそれより前だったと思うが、何故かここには寄らなかった。現在房総丘陵にいるキョンはここで飼われていたものの子孫らしい。)。

安房天津(あまつ)の読みをてっきり「てんしん」であると思っていた。安房天津駅を降りて右側に移動して清澄養老ライン(県道81号線)に出て、外房線の清澄街道踏切を渡る。

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清澄街道踏切にて


国道128号線の下を抜けると道幅が広くなり、谷奥に向かう。この辺りは早朝は東側の山の陰になるため寒い。急勾配の斜面を折れ曲がって高度を稼ぐ浪切不動尊の辺りで再び道幅が狭くなる。斜面に巨大な構造物が見られる。県道改良工事としてループ橋を建設しているらしい。

急勾配区間を抜けると陽当たりが良く、視界も開けて気分爽快。人家が無く歩く人なんてほとんどいないのに谷側斜面に公衆トイレが在る。この辺り一帯が東京大学の千葉演習林となっているからだろう。サルの群れを見た。

公衆電話ボックスが設置されている尾根切通しの高みになにやら記念碑のようなものが建てられている。外国樹種見本林と書かれた標があるが、一見して周囲の山肌と同じ植生に見える。どれが外国樹種なのかさっぱり判らん。碑は2つあって、そのうち奥にある大きい碑は明治43年建立の松野先生記念碑である。漢文で書かれた碑文から、松野先生なる人物が日本の林学に多大な貢献をしたらしき人物であることが伺えるが、山口県出身者であることが記されていること、この地に記念碑を建てた理由が不明であること、碑文を撰んだ川瀬善太郎が林学博士であるのに松野先生の肩書には博士の文字が無いこと等、幾つかの疑問を抱いた。(ネットで調べてみたら、千葉演習林沿革史資料(6) 松野先生記念碑と林学教育事始めの人々」なる長大な論文が公開されていた。とても興味深い内容で、つい1時間近く読みふけってしまった。日本の林学の黎明期に関する史実を著した論文であり、その中の松野先生(松野礀)に関する記述を読んで自分の疑問は全て解決。大久保利通や西郷従道といった明治の重鎮との関わり、日本最初の林学を教える学校であった東京山林学校(→東京農林学校林学部林課→帝国大学農科大学林学科→東京大学農学部)の設立に尽力したこと、松野と直接関わりのなかった千葉演習林に記念碑が建てられた経緯等が詳細に著されている。ちなみに、この論文では松野記念碑のある場所を「切通し」と呼んでいるので、当記録もその呼称に倣う。「切通し」の駐車できるスペースは私有地で、かつては茶屋があったとのこと。)。

切通しを過ぎるとようやく清澄山(きよすみやま)一帯が視界に入り、道の勾配もなくなる。清澄山に向かう交差点に至るはるか手前で何軒か人家が現れ、清澄山に通じる標示はないが舗装された細い車道が右側に分岐しているのでこれを辿った。道傍に幾つか石碑や祠が残っているので旧参道と思われる。

道横の岩壁には見たことのない植物が這っている。照葉樹の森を歩く機会が滅多にないもので、目にする植生が新鮮に感じられる。本日は神社仏閣よりこっちの方が面白そう。

名前不明(こいつだけはどうやってもweb上で名前を同定できない。)

ウラボシ科マメヅタ
こいつだけはweb上で名前を同定できない。


清澄寺の門前町らしき集落の最下部に至り、車道と別れて階段を登っていくと清澄茶屋の後ろから十兵衛駐車場に抜けた。いまどき歩いて詣でる人なんて皆無だから、こちら側にも旧参道の案内は無い。

安房地方において清澄寺が現在どれほどの信仰対象であるのかよくわからないが、バス亭があって土産物屋が立ち並ぶのだから多くの参拝者や観光客が訪れるのであろう。現地説明に拠れば、千光山清澄寺(せんこうざんせいちょうじ)は宝亀二年(771年)に開基された天台宗の寺であったが、江戸時代に真言宗に転宗帰属し、さらに大正時代になって寺存続のために日蓮宗に転宗帰属したということだ。どの宗派も個人的に馴染がないし、特に日蓮にあまりよいイメージがなかったもので、とりあえずお参りはしたもののおみやげは買わず。

清澄寺
日蓮上人の像
          


最奥の仏舎利塔みたいな建造物まで行って引き返し、清澄の大杉のところで行程を思案。せっかくここまで来たのだから妙見山まで行ってみるとするか。清澄寺の裏手の高みが相当するらしいが、道が判らないので清澄寺本堂の右手の狭い石段を登って寺の境内を抜け、藪化した道跡を辿って植林地を抜けて山頂に上がった。地形図には神社マークが記されているが、鳥居が存在しないし、案内もないし、参拝する人が居るようにも見えない。

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妙見山


参道はいちおう手入れされてはいるものの、土留め階段の木が朽ちて、整備されてから時が経った遊歩道の様(後日植物名の調べものをしていて、千葉演習林維管束植物目録なる資料で知ったのだが、この辺りにナチシダが自生しているらしい。)。

参道は清澄寺の裏手に下りてくる。参道の両側に(南無妙法蓮華経と書かれていたかどうか未確認)赤いのぼりが並んでいるので、奥に神社があるようには見えない。清澄寺が自らの守り神として管理して(祀って)いるように見える。

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十兵衛駐車場から海岸(安房鴨川、太海方面)を遠望


車道を下っていくと関東ふれあいの道に関するお知らせが掲示してあった。なにやらどこかで通行止め云々と書かれていたが、よく判らん。本当に通れないのならば戻ってくればよいし、単に工事中という理由であれば日曜だからなんら問題ないはず。予定通り、関東ふれあいの道に入った。関東ふれあいの道の前半は郷台林道そのものであって、未舗装林道をお気楽に歩いていける。

この辺りは房総丘陵と呼ばれ、浸食されやすい砂岩や凝灰岩から成るため、とても複雑で急峻な地形をしている。隆起した同程度の高さの広大な丘陵が浸食されたため顕著なピークは存在せず、谷が奥深く切れ込んでアップダウンの少ない薄い屏風みたいな山襞が延々と続く。山の中を適当にほっつきあるくのが好きな自分にとってはなかなか面白いフィールドである。

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郷台林道から元清澄山らしき場所を遠望


通行止めのはずだが、池の沢番所跡に地元ナンバーの車が2台あり、傍らに刈り取ったばかりのサカキが束ねられていた。近くに池の沢歩道なるものも分岐しているので、かつて山越えの要所であったらしい。わざわざ奥深い場所に山中に番所設けても採算成り立つほど昔は山越えの交通量が多かったということか。

郷台林道のゲートが現れ、その先は進入禁止。元清澄山に向かう歩道に入る。歩道沿いの至るところでイノシシが地面を穿り返した痕を見る。房総丘陵はヤマビルの生息地域であり、林道区間は問題ないと思うが、暖かい時期の歩道通行はやめたほうがよさそうだ。実際に被害に遭った方の記録が公開されている。

三石山に向かう分岐の存在を確認して、予定通り元清澄山に向かった。尾根の起伏がやや大きくなり、斜面にむりやりこしらえた水平道よりも忠実に稜線を辿る区間が多くなって発汗する。関東ふれあいの道の名称:「モミ・ツガの道」らしく、元清澄山の周囲は山肌が急峻でモミ・ツガが多い。急峻な場所にはカエデの紅葉の残滓が見られた。2週間前に来ていたら美しい紅葉も楽しめたのではないだろうか。

かつて清澄寺がここに在ったという言い伝えが元清澄山の名の由来とのこと。山頂部に建物跡らしき平坦地は見当たらない。仮に本当の話であったとしても、清澄寺開基の頃に修行僧の宿坊が置かれた程度のことだったのではなかろうか。

頂上の石祠にサカキが供えられていた。単に元清澄山こ登ることだけを目的にするならば金山ダム側の方が近い。山頂から保台ダム方面に下ることも可能なようだが、整備された道ではないようだ。なお、君津市が設置した案内に拠ると、鍋石方面に向かう破線路は何らかの理由によって通行できないとのこと。私有地の存在が原因らしいのだが、はっきり理由を書かないということは、地権者がヤバイ存在なんだろうか。

元清澄山にて
元清澄山の祠
元清澄山近くで見た植物 アカネ科アリドオシ


三石山に向かう歩道が関東ふれあいの道に接続する場所の斜面の勾配がきつく、旧道(トラバース道)が危険な状態であるため現在は稜線を歩くようになっている。この区間を除いてほとんどの区間は古道の雰囲気を残す尾根道を快適に歩ける。

三石山に向かう途上の植林地で見た植物-T
マメ科ミヤマトベラ
三石山に向かう途上の植林地で見た植物-U
サクラソウ亜科イズセンリョウ


三石山に向かう尾根道の雰囲気(元清澄山方面)


Web 上に公開されている記録を見ると、時期によってはこのルートの利用者が少なからずいるようなのだが、一切整備はされていない。北進するにつれてオフロードバイクのけたたましいエンジン音が近づいてきた。三石山の車道を走るバイク音だと思っていたら意外な光景が出現。西側に広大な平坦地があって、何台かのオフロードバイクが走り回っている。おそらくは工事用に山を削って大量に石を採取した跡地なのであろう。房総丘陵にはこの類の場所がたくさん存在しているようである。オフロードバイクの音から遠ざかって程なく、岩体に彫られたすり減った階段を下りて三石山観音寺入口に到着。自分が歩いてきた歩道の入口には何の案内もない。今年一月に今回と同じ行程で歩こうとしたが乗るべき電車を逃して未遂に終わった。その時、代替案の反対方向に歩くべく上総亀山駅に向かったのだが誤って久留里駅に下りてしまい、これもまた未遂。あのとき、降りる駅を誤らなかったとして、果たしてちゃんと歩けたであろうか。どチョンボしたのはむしろ幸運であったかもしれない。

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三石山観音寺


三石山観音寺訪問時、お客さんが10名程度いた。岩場下にある本堂の中が見えないのではありがたみを感じませんな。いまひとつ愛想の無い寺である。岩場に上がり景色を眺めてすぐに退散。駐車場の向かいに神様があって、三石山観音寺の守り神であるようなことが書いてあった。清澄寺と妙見山の神社らしき存在の関係と同じか。

三石山から参道を下れると期待してきたのであるが、それらしき案内も参道らしきものも気付かず。今年一月に作成したメモに拠れば、上総亀山駅始発時刻が16:12 。あと1時間しかない。冒険する時間的余裕がないのはもちろん、普通に車道歩いたら絶対に間に合わない。走りこそしなかったがかなりの早足でショートカットを交えながら舗装道路を下った。平地に出て国道465号にぶつかり、どちらに行けばよいか判らない。右に向かって亀山大橋を渡ってみたが、今年1月に見た光景と違う。橋を渡った先にあった案内図によるとどうやら反対方向に歩いてしまったみたいだ。あわてて戻り、見覚えのある藤林大橋を渡って16:00 に上総亀山駅到着。

よかった、間に合った!と思って駅の時刻表見て愕然。ダイヤが改正されて、12:19分の便の次は17:06 まで無い!暖房の無いふきっさらしの駅舎で1時間以上も待ちぼうけ。ホッカイロ2枚を使っても体が冷え切ってしまった。しかも、17:06の始発は久留里駅止まり。久留里駅のホームで始発を待つ間にさらに冷える。木更津でホーム反対側に停まっていた内房線の電車に何の疑問も持たず乗りこんだら、すぐに君津行の発車のアナウンスがあった。待ち時間が短いので怪しいとは感じたが、君津と木更津の位置関係を理解していないものだから反対方向の電車に乗っていることを瞬時に判断できなかった。君津駅に電車が到着するのと入れ替わりに本来自分が木更津駅で乗るはずだった電車が出発していった。てな訳で君津駅でも20分以上待ち。疲労した体で体温が低下するとなかなか元に戻らない。帰宅後に風呂に入ってもダメ。その後2日程体調が戻らなかった。

山野・史跡探訪の備忘録