奥武蔵ハイキングその18(小川町駅 〜 仙元山 〜 物見山-1 〜 小倉城跡 〜 正山 〜 嵐山渓谷 〜 武蔵嵐山駅)

年月日: 2015年4月19日(日)

行程: 小川町駅(11:09)〜高西寺〜見晴しの丘公園〜休憩所〜仙元山〜青山城跡〜物見山〜仙元大日神〜小倉城跡〜正山(14:30)〜嵐山渓谷〜武蔵嵐山駅(15:45)

土曜日は平日の疲れを癒し体調を整えるための完全静養日としており、早朝から外出することは希。18日はまあまあ天気は良かったものの一歩も外に出ることなく家に引籠り。日曜は天気が下り坂で午後から雨が降る可能性があった。気象庁の短期降水予報を見る限り日中は問題なさそう。近場で未訪の場所として、小川町からときがわ町と嵐山町にかけて広がる山体に注目。東武東上線で小川町駅に向かう際に最も近くに見える山体である。尾根上に破線路が記されているし、場所的におそらくハイキングコースが整備されているであろう。尾根縦走して嵐山渓谷見て槻川沿いの田園風景見て戻ってこようか。急ぎ地形図を印刷して10時前に出発。朝ご飯が多めだったので、エネルギーを費やすべくお茶500mlだけを持っていく。

小川町は町並みに気品があって、埼玉でお気に入りの場所のひとつだ。ただ歩いているだけでも退屈しない。国道254号をしばらく歩いて八高線を過ぎてから槻川の橋(青木橋)を渡って仙元山の麓に近づいた。

仙元山
       


山麓沿いに走る道路のT字路に至ると、右方面に見晴しの丘公園の存在を示唆する標示があった。駅から歩いてくる際に見えた中腹の東屋らしきものがそうなのかな?思いつきで出かけたので予備知識は一切無い。右側に進めば遊歩道の正規の入口から、左側に進んでもカタクリとオオムラサキの林から登れたはずなのに、その間の高西寺の参道に入ってしまった。

画像
仙元山周辺案内図(後日撮影)


高西寺の墓地の奥に不動明王(だったかどうか未確認)らしき像が数体立つ平坦地があり、その先には道が無い。見渡す限りクマイザサの藪が続く。なんでこんな場所にクマイザサ藪があるんだよ。しかもびっしり。よく見ると道跡らしき窪みが続いてる。この程度の藪で戻るのは癪である。道がないなら直登するつもりで藪に突入。いきなり笹の節周りの埃で全身が白くなり、くしゃみも出る。くそったれ。

この窪みはかつて遊歩道として整備された過去があるらしく、笹薮の中に道標が残されている。

高西寺墓地奥から続く遊歩道(廃道)の道標
       


現役の遊歩道に抜けた。もうすこし慎重に入口を探せばこんな苦労をせずに済んだものを。想定外のとんだ藪漕ぎだった。

画像
遊歩道(現役)の雰囲気


特に見るべきものはなくても新緑の林の中を歩けるだけで楽しい。

見晴しの丘公園は予想通り少なからぬ家族連れがいた。仙元山の中腹まで車で上がってこれるのである。仙元山山頂を指す案内に沿って未舗装林道をやや下り気味に進むと休憩所(東屋)に達した。八宮神社方面から上がってくる道が整備されている。槻川沿いの谷と対面の山がよく見える。ポツポツと雨が降っている状態だが、空は概ね明るく雰囲気は悪くない。

槻川左岸の山
休憩所から見た槻川左岸側
バライチゴ、仙元山
仙元山は至る所でバライチゴが満開。
ジュウニヒトエ
ジュウニヒトエ


曇りでハイカーが少ないことを期待してきたのだが、ちょうど昼飯時ということもあって、要所に一組づつ陣取っていた。仙元山の三角点も青山城址の案内板もでんと座って飯食っているハイカーがいたので、挨拶だけして素通り。この類の人達は他人に対する配慮が欠如している。

仙元山と物見山の間で一時雨脚が強まり傘をさして歩く。この天気で昼過ぎてから登ってくる人は居るまいと思っていたら、十数名の年配ハイカーのご一行が小倉城址方面から現れた。

物見山は標石も見晴も無いつまらない植林ピークである。物見という名称からして、この辺りが砦として用いられた過去があるらしい。物見山東肩の270m小ピークに仙元大日神がある。石碑の向きや石灯篭の配置から見て、坂下地区が祀る神様なのであろう。幕末に流通した文久永寶が置いてある。

仙元大日神の文久永寶
仙元大日神の文久永寶
       


この辺りの尾根上に築かれた山城の中では小倉城が最も規模が大きい。埼玉県の山城の跡は、いずれも戦国時代に戦いのためにだけに存続した砦の類であり、有力な武将が本拠地として城下を整備することはなかった。太平の江戸時代に入ると無用となりその存在自体忘れ去られてしまった。たいてい、麓は普通の田園であって城の存在を感じさせるものは何もない。そして、いつ誰が築いていつ落城または放棄されたのか定かではない。

小倉城跡
小倉城跡


県道を歩いて小倉地区を南下し正山に近づく。正山だけを目的に往復する気にはならないが、設定したコース上にあるからついでに立ち寄ってみる。まず、正山北西端から取付けるか探ってみた。作業道の名残のようなものがあるが藪化しているのでパス。槻川に沿う正山北斜面は岩が露出する崖であり、嵐山渓谷でもっとも険しい場所である。

県道の緩やかな峠を越えてすぐ、左側の新興住宅地に向かう舗装道に入った。住宅地の最奥から先に道は無い。林に入って10m程度進むと篠竹の藪が無くなり歩き易くなる。適当に高みを目指して植林を歩いていくと、進行方向左側に車が見えた。地形図には記されていないが、未舗装林道が南側から上がってきて自分が登ってきた尾根に延びている。車の横に男の姿が見えた。こんな所に何しに来たんだか、山仕事に来たようには見えなかった。林道支線の末端が正山山頂である。山頂は篠竹と茨のひどい藪。こんなつまらん場所にも山名板在り。

正山三角点
正山
       


予定では正山の東側に下る破線路を辿って嵐山渓谷に近道するつもりであった。方位磁石を持ってこなかったので地形図を確かめることなく林道を素直に辿ったら正山の南側に降りてしまい、だいぶ遠回りとなった。雨は相変わらずパラパラ降っている。家を出てから何も口にしていないので腹が減った。途中にコンビニでもあればエネルギー補給して槻川沿いに歩いて小川町に戻るつもりであったが、コンビニの類は見当たらないし、ここまで無休憩で疲労感もある。よって、行く先を武蔵嵐山駅に変更。

嵐山渓谷・冠水橋
嵐山渓谷・冠水橋から


冠水橋を渡って武蔵嵐山駅方向である右に向かう。たった30m程度の標高差でもだらだら登りがつらい。国道254号交差点のファミリーマートで最中アイス食べて少し元気を取り戻した。

武蔵嵐山駅のトイレで着替えを済ました時、15:52発の池袋行きの急行が発車するところだった。隣の小川町始発のはずなのに何故か混み合っている。ということは、次の16:22発の快速も混んでいて武蔵嵐山駅で乗り込んでも座れないということか。小川町駅の始発に乗るべく、16:01発の小川町行きに乗った。小川町駅で停車中の快速電車は既に空席が少ない状態であった。よく見るとほとんどの乗客がハイカーである。東武線の催した大会でもあったのか?寄居方面からハイカーで満員状態の4両編成の電車が到着。どどっと溢れ出たハイカーが慌ただしく快速電車に乗り換えると間もなく発車。帰宅後に知ったことだが、この日、あの外秩父七峰縦走ハイキングが開催されていたらしい。

山野・史跡探訪の備忘録