菅神社から伊羅沢山周回

年月日: 2015年5月3日(日)

行程:菅神社(12:43)〜伊羅沢山頂(13:43 - 14:15)〜破線路の谷を下って帰着(15:15)

安全策をとって鬼面山周辺の山歩きを手短に切り上げたため時間が余った。こうなることは想定の一つで、実家に向かう途中に代替の探訪候補地を幾つか設定してある。標高1000m前後の分水嶺の北側(猪苗代盆地側)では高井原山が最も山体が大きくて存在感がある。高井原山の近くは山頂訪問含めて過去に何度か歩いてだいたいの様子を把握済み。その北側に存在する伊羅沢山を訪ねてみる。

周辺に伊羅沢に関係ありそうな地名が存在しないので、その名前の由来が少し気になっていた(帰りにその由来が判明)。南側の沢沿いの破線路が利用できるのであれば簡単に登れそうだが、余所者としては元唐沢地区の林道に進入するのは避けたい。国道294号沿いにある神社から東尾根伝いに登ってみる。帰りのルートは気分次第。

午後になって国道294号の帰省客、行楽客の車の交通量が多く、落ち着いて駐車地を見極める余裕が無い。神社がある辺りに車を停められそうなスペースがあることを確認して一旦通り過ぎ、北側の上野地区から引き戻して鳥居の脇に車を停めた。

神社の名前は菅神社。菅とは湿地帯に生えるスゲのことを意味する。なるほど、神社の前に湿地帯があって神秘的な光景だ。スゲは繁茂していないが神社の周辺はオオバイケイソウの群落になっている。三代地区の中心的神社である隠津島神社(菅神社)境内の説明板に拠ると、宗像三社(奥津宮、中津宮、辺津宮)に擬して、三代の菅神社が中津宮、元唐沢の菅神社が辺津宮の位置づけとなる。

菅神社前の湿地
バイケイソウとシシウドの群落


清水や小川による水の供給は無く、雪解け水や雨水が溜まる場所であるため、最近干上がった場所からかすかに腐臭が漂う。丹沢並みに密集したオオバイケイソウ群落が一斉に花開いたとしたらさぞ臭いことだろう。

折れ曲がったトチノキ
神社傍の折れ曲がったトチノキ(緑の葉を付けている樹木はトチノキではありません。)


神社裏手からスギが植林された尾根末端部に取付いた。山襞を水平に走る導水施設が存在する。そう昔の建造物ではないようだが、現在は用いられていないようだ。

勾配が緩くなると明るい雑木林となる。踏み跡と呼べるものは存在しない。たまに貧弱なゼンマイを見かける程度で、特に目を惹くものは存在せず、標高750mまで単調な登りを続ける。景色が期待できる場所ではないため、ヤマザクラの花が咲く早春の雰囲気が無ければ退屈な場所だ。

標高750mから上のやや勾配がきつい区間が植林であり、チマキザサを掻き分けて登る。午前中に一山登って足が疲労しており、午後になって気温が上がって発汗するため、なんども立ち止まって休憩をはさみながらゆっくり登って行った。

850m級の平坦地はただの雑木林。北西に進んで伊羅沢山頂と思しき場所に到着。期待していた地元住民の関わりを示すもの(たとえば祠や山道)は一切無かった。それどころか、三角点が見つからない!地形図で当りをつけてしばらく探したが見当たらない。消えるはずはないのだから、元々飛び出し量が少なくて、引馬峠の水準点みたいに長いこと調査の対象にされずに落ち葉に埋もれてしまったに違いない。三角点探しでこんなに苦労したのは高原山八方牧場の草むらをウロついた時以来だ。

午前中に登った鬼面山の三角点には四方に石が置かれていた。最近設置したものでないならば、伊羅沢山の三角点にも石が置かれているのではないか?そう考えて、山頂部をくまなくスキャンし、石の頭が飛び出ているのを発見。少なくとも石の飛び出しが2つあるので、これに違いない。朽ちた木の枝を持ち上げてみると三角点の頭が出てきた。

伊羅沢山三角点・発見時
発見時
伊羅沢山三角点
腐葉土と笹を除いた状態


これで心置きなく帰れるぜ。この程度の山で往復するのはつまらないので、帰りは破線路を探ってみる。南に下る尾根筋も上部が雑木林で、山道らしきもの無し。たまに雑木を切った跡が認められるが、伊羅沢山の標高800m以上は人との関わりが極めて薄い。

陽が射さない暗い植林斜面に入っても現役の山道には出合わない。植林時に使用したと思われる道跡のようなものが何本か水平に走るが、破線路の道筋とは一致しない。幸い、間伐等による樹木の倒れ込みが無いのでしばらく沢底を辿った。沢沿いにミヤマイラクサが目につく。会津ではイラと呼び、ちょうど今頃の柔らかい茎を御浸しにして食する。すこし貧弱だが数は多い。夏場だったらミヤマイラクサ地獄で痛くて歩けないだろう。伊羅沢山の伊羅沢とは"ミヤマイラクサの生える沢"に由来していた訳ね。納得。

右岸側に破線路に相当するしっかりした山道が現れるのは標高650m辺りからである。次第に林道然と化し、山中の畑地を通って元唐沢に抜けた。

山野・史跡探訪の備忘録