厩嶽山馬頭観世音

年月日: 2015年6月6日(土)

行程: 林道北堰・赤枝線と参拝道の交差点出発(15:15)〜観音堂(16:55)〜駐車地に帰着(17:55)

6日は午前中に雨が上がらす、濡れた薮中歩く気になれずネマガリダケの筍採りを延期。午後になって雨が止んだ。親父が車を貸してやるからどこか遊びに行って来いと言う。そう言われても、ネマガリダケの筍採り以外何も予定していなかったもので行先が思いつかない。「何処に行くんだ?」と母に問われたが、「決めてねぇ。」とだけ答えて家を出た。

釣りもしないし、めぼしい山菜も無い時期だから、午後二時過ぎてこの天気で吾妻山方面に行く選択肢はないよな。本格的に山歩きする気がなかったので、とりあえず西側(猪苗代町翁島地区と磐梯町)方面に向かった。埼玉に帰るのは8日だから今ワラビ採っても鮮度を保てない。以前から気になっていて未確認の事項として、磐梯町から厩岳山経由で猫魔岳や雄国沼に向かう道のことを思い出した。

厩岳山が会津の馬頭観音の総本山であるかのような紹介もあるが、一般民衆にとっての馬頭観音とは荷役に必要不可欠な馬の霊を弔うものであって、なんでそんなものが厩岳山の上にあるのか不思議に思っていた。慧日寺資料館の情報に基づくと、会津盆地においては亡くなった人の霊は厩岳山から馬に乗り磐梯山へ向うと信じられていたとのこと。磐梯山は古くはいわはし山と呼ばれ、祖霊の赴く所、すなわち、幽界への入口を意味していた(梯とははしごであるから、磐梯山はさしずめ Stair Way to Heaven てとこですかね。)。馬は神霊の乗り物で幽界と現世を去来すると信じられ、祖霊が馬に乗って去来すると考えられていた。このため、厩岳山の高みに馬頭観世音が祀られるようになったらしい。猪苗代町土田(はにた)出身の父から聞いた話では、昔は毎年、村(集落)でうまやさん(地元ではうまやさんが通称。まやたけさんとは呼ばない。)の参道の草刈りを行っていたとのこと。広範囲に信仰を集めていたことが伺える。

磐梯町の慧日寺は磐梯吾妻修験行の起点であり、厩岳山に登る道は修験道に起源をもつと思われる。興味があるのだが、いつも帰省してからその存在を思い出すもので、下調べゼロで何処に入口があるのか判らない。確か「福島の山 浪漫紀行」の alcocabahol さんの記録を見た記憶があるのだが、詳細を覚えていない。何年か前に龍ヶ沢湧水に行った際に林道北堰・赤枝線の存在を知った。この林道はどこかで登山道と交差しているはず。そう考えて、栄川酒造手前から林道を数百m進むと、あっけなく『厩嶽山馬頭観世音祭礼』と書かれたのぼりが立つ参拝道入口に達した。

厩嶽山参道との交差点
厩嶽山参道との交差点
厩嶽山の説明
説明文


慧日寺資料館を訪ねた時、敷地内に厩嶽山馬頭観世音覆堂なるものがあって、「今は訪れる人も少なくなったので、御厨子を山上より移し、この地に安置することにした。」なる説明があった。その説明を見て、既に元の場所には観音堂は無く、昔の道を辿る者などいないのであろうと思っていた。でも、この立派なのぼりを見るとかつての信仰の道は健在ということになる(帰宅後に調べてみると、結構メジャーな場所であった。しぼれさんの記録もありました。)。しかも、少なくとも最初は細々とした山道ではなく、現役の林道である。天候は冴えないが雨は上がっている。沿道にシオデが出ているのではないかというスケベ心で、入口に車を置いて説明板を読みもせずに谷奥に向かう林道を進んでみた。この時、既に午後三時を過ぎており、参道の様子見するだけにとどめるつもりであった。

しばらく比較的若い植林地が続く(造林してから十数年経っているらしい。*1)。十数分歩いて少しばかり開けた場所に福島ナンバーの車が在った。ニッコウキスゲの咲いていない時期に、しかもこんな天気の日に登山?もしそうだとしたら、かなりしっかりした装備で入山しているに違いない。時間的に途中で行き合うものと思われた。

思いつきで小汚い軽装で家を出たもので、途中で会ったら服装見て軽蔑されそうだな。

シオデを何本か収穫しながら林道終点到着。ここから山道となるが、笹が覆い被さっているような場所は無く概ね快適に歩ける。谷沿いに進んできた道は途中から山肌を登っていくはず。そこまで行くつもりで進んでいくと、予期せぬものが現れた。

御寶前・第一番
御寶前・第一番


こんなもの見たら俄然興味が湧くというもの。周囲は既に旬を過ぎてはいるもののイヌドウナやミヤマイラクサが生えている。植林地内に細いシオデも出ている。少し進むと第二番、第三番の石仏が現れる(各石仏の説明については他者の記録を参照されたし。)。

第二番観音石仏
第二番


参道入り口の案内板を読んでこなかったから、何番まであるか当然知らない。終点は第八番辺りだろうと思い、観音堂跡まで短時間で行けると思ってしまった。時刻は16:05。

尾根上の勾配の緩やかな場所に出て第八番を過ぎても観音堂跡らしき場所に着く気配は無い。それどころか、第九番、第十番と続く。これは参った。中途半端で終わるのは気に入らん。曇り空だが時折日が射し降雨する様子はないので、時間が許す限り探ってみる。高度を上げると密度は薄いがチシマザサ藪もある。ガサガサとクマらしき大型獣が逃げて行った。

参道は急な山肌を九十九折で登っていく。あくまで足に優しく、幅も十分にあって危険個所無し。第三十二番に達して観音堂跡どころか観音堂そのものが目に入った。とっくの昔に失われたものと思い込んでいたので、嬉しい発見だった。知らなかったが故に得した気分。

厩嶽山馬頭観世音堂
厩嶽山馬頭観世音堂


これは仁王門の阿形吽形に相当するものなのか。明らかに此処は一般の馬頭観音と異なる場所だ。

仁王像?


傷みが進み、板場が一部崩れ、正面扉のガラスが部分的に失われている。おかげでカメラを中に入れてなんとか撮影できた。

馬頭観音道正面の造り
正面の造り
馬頭観音道内部
馬頭観音道内部の様子


後日調べたところ、馬を引き連れて毎年6月に祭礼がおこなわれているとのこと。話題作りの為に最近は白馬を使うようになったらしいので、中に飾られている絵はそう古いものではないのだろう。

観音堂再建之碑
観音堂再建之碑(かな?)
       


別の碑には明治四十一年と刻まれていた(現在の建物が100年以上前の建築物なのか不明。)。後日、碑文を精読してみたい。第三十二番から観音堂に直登してしまったのだが、ぐるりと回って東側から上がるのが本来の道筋らしく、東側に第三十三番が在る。行基清水は涸れていた。時刻はちょうど引き返す目安としていた17:00。時間的に余裕がなく、この天候では景色も期待できないので、山頂に行くのはまたの機会にして急いで戻る。

順調に参道を下っていくと、ある場所でムニュッと何かを踏みつけた。さっきいたクマの糞を踏んでしまったらしい。まさに、クソッて感じ。ちょうど旬のネマガリダケの筍を食っているらしく、糞の中に繊維が入っていた。

林道に抜けてからは余裕でシオデ探しながらのんびり歩き。最も日が長い時期とはいえ既に18:00近いというのに、福島ナンバーの車はまだ残っていた。途中で誰にも会わなかったのだから、これから下山してくるということなのか?それともなにか別目的(フキ採りとか)で入山していたのだろうか。藪が濡れているのでそれも考えにくい。昨年の川桁山の不審車の事例があるので、ちょっと気味悪い。

時間が気になって急いたことと、涼しかったこともあって、シオデ採りして道草していた割に短時間で往復してしまった。参道入り口に帰り着いて案内板を見たら、三十三の観音石仏があると書いてあった。よく見ておけば登らなかったかもしれないな。

帰宅後に父に聞いた話では、土田地区から行く道は尾根伝いの道で、今回辿った石仏の建つ参道ではないとのこと。帰りに急いでいたので気付かなかったが、第三十二番の辺りからスキー場ゲレンデに抜ける道があるらしく、どうやらその道が土田地区からの参道の名残らしい。いずれこちらも歩いてみるつもり。

厩岳山
中央がうまやさん(厩岳山) アルツ磐梯スキー場東側ゲレンデから(2015/06/08撮影)


*1 造林したばかりの頃の様子は下記HP 参照。

福島の山々 (http://yamayama.jp/mayadake/mayadake.htm)

福島の山 浪漫紀行(http://sports.geocities.jp/aho_inf1/trekking/umaya1.html)

山野・史跡探訪の備忘録