萱峠と臼窪

年月日: 2016年5月22日(日)、6月5日(日)

<5月22日>

無砂谷側から引馬峠を目指そうとしたのであるが、馬坂林道の馬坂沢以遠が通行止めのため無砂谷にアクセスできない。ならば反対側から無砂谷に向かおうと川俣大橋に行ってみたが、こちらも通行止め。川俣大橋から無砂谷橋まで徒歩で約2時間を要す。当初の予定の行程に往復4時間を加えるとレンタカー返却期限に間に合わない。朝5時台で計画がポシャってしまった。どうやって暇つぶそうか。

川俣愛宕山を散策し終えてもまだ7時台だ。快晴で絶好の山歩き日和であるというのに他に行くあてもなく、先ずは睡眠不足を解消して体調を整えるべく愛宕山に隣接する広場の片隅に車を停めて仮眠休憩。目を覚ました10時頃には気温も上がってエゾハルゼミが鳴き出していた。見たことのない種類の蝶が何匹も周囲の草叢をせわしなくヒラヒラと舞う(ウスバシロチョウだったようだ。)。

さて帰るか。瀬戸合トンネルと萱峠トンネルを抜けて最後のカーブに向けて下っていくと、コンクリート擁壁に上がっていく階段が見えた。萱峠の道はこの辺りにあったはず。カーブ手前には車の置ける空き地があるので、寄り道しようという気になった。

法面の上は杉の植林である。入り込んですぐに作業道ではない広い道型を見つけた。民家(廃屋)のあるカーブに向けて上っていく。瀬戸合峡を通る舗装道路ができる以前に用いられていた萱峠の旧道は2003年にできた現在の舗装道によって断ち切られている。

瀬戸合峡に向かう舗装道が次のカーブから分岐する。トンネルはその反対方向に在る。地形図を所持していないのでどのあたりを探ればよいのか見当がつかない。民家のあるカーブから工事用の道を辿ってトンネル手前の陸橋下に行ってみた。どこも急勾配で旧道が在った可能性は無い。峠という名がついているのであれば、どこかで尾根を跨いでいるはず。適当に尾根を辿ればどこかで行き当たるであろうと考え、陸橋下から山肌に取り付き直登して標柱のある場所に至った(1,060mポイント。後で地形図で確認)。

尾根上はまばらにスズタケが生える程度でスッキリとしている。ちょうどヤマツツジが満開。個人的には明るい場所の花着きの良い株よりも広葉樹林の中で咲く姿が好きである。


尾根両側の傾斜がきついのでこの辺りに峠道があった可能性は無い。はずれだったか。山部さんの頁でこの近くに在る三角点の訪問記録を読んだような記憶がある。せっかく登ったのだから三角点まで行ってみるか。

薄いスズタケ藪を抜けて三角点・臼窪に到着。手入れされているかの如く開けており、採り頃のワラビがべったり。何日か前にワラビを採った痕があった。

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三等三角点・臼窪(1291.4m)


こんな場所にワラビ採りに来るなんて川俣の住民しか有り得ない。どこかに登路があるはずと思い、尾根のさらに奥を探ってみた。三角点から下っていく区間は薄いスズタケの藪がある。明瞭な道は見当たらない。

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三角点・臼窪から南への下り


尾根から麓の川俣地区の民家が見えるのだが、鞍部に上がってくるような道は無い。

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南に続く尾根の様子


穏やかに起伏する尾根に一か所人工的に切り開いたのかと思わしめるような地形が存在するが、尾根東側は急勾配であるため峠道では有り得ない。

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唯一の変化のある場所(帰りに撮影)


このすぐ先に不思議な空間が広がっていた。ミヤコザサに被われた緩やかなうねりが見渡す限り続く。最初は谷の源頭かと思ったのだが、うねり(溝)は尾根のどちら側にも流れていない。二重尾根は珍しくないが、ここは五重の尾根である。


過去に伐採されたことがあるかもしれないが、道跡は見当たらない。シカ道があるのみ。大きな窪みをしばらく下ってみたが、これも南端が閉じていた。巨大な凹地なのである。三角点の名前:臼窪の由来は此処だったのか。

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凹地(臼窪)


正午を過ぎたので、1291mポイントの東側の平坦な笹原で折り返した。

三角点・臼窪から北北東に下る尾根が主筋のようなのだが、悲しいかな地形図を所持していないので行く先に確信が持てない。ちょっと下ってみて勾配がきつくなりかけたので戻ってしまった。登ってきた尾根を戻り、1,060mの先を探ってみた。左下方に瀬戸合峡に向かう舗装路が見えてきた。このまま尾根を下るとどこかで舗装路の法面上で行き詰まりそうだ。斜めに下って段差の少ない場所で舗装路に降り立った。

舗装路は尾根筋に近づいて反対方向に折れ曲がる。舗装路歩くと距離が長い割に高度が下がらない。ダメ元でヘアピンカーブから林を覗いてみると、テープがベロンと下がっており山道が下っていく。これを辿るとすんなりとトンネルに向かう新しい道路に抜けることができた。

<6月5日>

5月22日に帰宅して地形図を確認。萱峠のあった場所が尾根末端に近い標高1080m級の鞍部であったことは一目瞭然。三角点・臼窪のピークから素直に尾根を下っておけばよかった。6月5日の県境における宿題が順調に片付いたこともあって、帰りに萱峠を訪問した。

入り口は川俣側から瀬戸合峡に向かう舗装道のどこかにあるはず。それらしき場所はすぐに見つかった。「瀬戸合権現入り口」と書かれた柱が建っている。林の奥に向かう道があるようには見えない。でもリボンが点々とぶら下がっていて、よく見ると人の踏み跡がかすかに視認できる。リボンを追うと明瞭な道跡に至った。路肩が崩れて手すりが設けられている場所があるが、危険個所は無く峠に向けて緩やかに登っていく。

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旧道


萱峠であることを説明するものはない。ミヤコザサに被われた平坦地にポツンと標石がある。丸っこい形をしており古そうな標柱であることは認識したが、三角点ではないので図根点の類だろうと思いよく確認しなかった。後日、山部さんの記事を見て、明治41年(1908) に陸地測量部が設置した「徳一七號」水準点であったことを知った。

萱峠(中央に「徳一七號」水準点がある。左奥が川俣側。瀬戸合権現は写真の右手にある。)

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萱峠


瀬戸合権現は尾根末端のピークの上ではなく、峠の東側に出張った小尾根に存在する。真下に瀬戸合峡に通ずる舗装道が走り、すぐ傍までコンクリート擁壁が迫る。山部さんが訪問した2007年時は木祠だったようだが、現在は石祠で再建されている。

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瀬戸合権現


峠の反対側に少し進んだ場所で道跡が消える。崩落したのではない。元々道型は存在せず木製の橋が架かっていたようで、その残骸が一部視認できる。進めなくはないが、最後は舗装道路で分断されて降りられない可能性が高いためここで引き返した。通信ケーブルらしきものが部分的に地面に露出しており、旧道沿いではなくまっすぐ舗装道に向けて下るように這っている。現役のものであるか不明。

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橋が架けられていたと思しき場所


帰りは川俣側の旧道の末端まで追ってみた。旧道は瀬戸合トンネルの南側を緩やかに下り廃屋の前を通って現在の舗装道に合流している。瀬戸合トンネル入り口で削られたのではなく、舗装道の傍らを整地した際に段差ができてしまったが故に入り口が判別できなくなっている。

山野・史跡探訪の備忘録