女夫渕 〜 黒沢第4号橋 〜 ホーロク平 〜 引馬峠 〜 引馬山(往復)

年月日:2016年6月5日(日)

行程: 女夫渕駐車場出発(05:10)〜赤岩沢合流点下流の2段堰堤(6:10)〜黒沢第4号橋(06:52)〜1781mポイント(08:05)〜峠道の尾根1840m到達(08:29)〜引馬峠・二等水準点(09:00)〜引馬山(09:30)〜引馬峠出発(10:30)〜黒沢第4号橋(11:52)〜女夫渕駐車場に帰着(13:50)

引馬峠の存在を知った経緯は覚えていないが、たまたまウェブで故越前屋晃一氏による三峰山岳会の2002年の山行記録を見たことがきっかけで引馬峠に誘われ、2004年秋と2005年春の2度訪問した。2005年初秋には越前屋晃一氏が平五郎山経由で引馬峠越えを果たしている。越前屋晃一氏が2008年に不慮の事故で亡くなられて以降、彼のホームページはウェブ上から消えた。たまたまコピーさせていただいていた引馬峠越えの記録を私自身のホームページ上に復刻。その記録中に2つ、長いこと気になっていた情報がある。

情報その@: 「幕場の周辺はシラネアオイの群生地であった。」という記述がある。2日目は引馬峠手前の鞍部に幕営したとのこと。3日目の出発時刻と引馬峠到着時刻の関係から彼がホーロク平で幕営したことは間違いない(注1)。つまり、ホーロク平がシラネアオイの群生地であるということになる。私が2004年に訪問した時に見たホーロク平はシラネアオイが群生するような場所ではなかった。しかし、訪問したのは10月であり、もしシラネアオイが群生していたとしても既に枯れて気づかなかったのかもしれない。山歩きそのものよりも植生に興味がある者にとってはどうにも気になってしかたがない。

情報そのA: 引馬山山頂から「孫兵衛山、長須ヶ玉山、燧ヶ岳と南会津の山々を手に取るように望むことができた。」は本当なのだろうか?自分が引馬山山頂に至ったのは5月の残雪期で、眼下に広がる無砂谷とその先に見える栃木県の山々の光景が秀逸であったが、山頂から福島県側は見えなかったと記憶している。彼はその時コンパスを紛失して正確な方向を判断できない状態であったから、栃木県の様子を福島県と勘違いした可能性が高い。

注1: 彼は2日目にホーロク平で幕営したとは記していない。2日目にコンパスを紛失して方向を見失い一日中ワンデリングした1896mポイント前後をホーロク平と認識していたからである。実際のホーロク平とは引馬峠から栃木県側に下ったところにある広い鞍部およびその南側の平坦地の呼称である。なお、2日目の幕営地の標高1810mは単純に1860mの読み違えと思われる。

何かすっきりしない思いを抱いたまま10年以上経過。何で今頃になって再訪しようと思ったのかよくわからないが、昨年晩秋に jaian37 さんがヤマレコにアップした超人的記録を目にして久しぶりに引馬峠を意識したことも一因かと思うし、レンタカーを利用した山歩きのスタイルを確立できたことも寄与していると思う。モチベーションはあるので私事と週末の天候と体調のタイミングさえ合えばそう難しいことではない。この季節に行く理由はもちろんシラネアオイの花期に合わせるために他ならない。

かつての峠道が消滅したことは2004年に身を以て確認済。古道に関する想いは成就しており、もう一度ネマガリ藪漕いで倒木跨いで平五郎山から引馬峠に向かう意義は見いだせない。どうせ行くなら過去に計画して未実施のルートを試そうと思い、烏ヶ森の住人さんに倣って無砂谷林道右岸線を歩いて県境に接近すべく、5月22日に土呂部経由で無砂谷を目指した。ところが馬坂林道は川俣桧枝岐線の分岐の先で通行止め。そろそろ梅雨入りだから課題は来年に持ち越しかと思われた。

6月5日は関東南部は降雨が予報されていたが会津は曇り時々晴れとのこと。ならば県境の天候が崩れることはあるまい。12年前同様、尾根の反対側すなわち黒沢側からアクセスするオプションが浮上。単純にホーロク平に行くのならこちらの方が楽かも。経験済みのルートで藪漕ぎ区間の行程が読める。黒沢第4号橋手前にやや危険な場所があったと記憶している。残雪期ではあるが2015年にきりんこさんが通過しているので今も通れるのかもしれない。

2週間前の失敗を教訓に、車のレンタル時間を30時間に拡大して、余裕を持って栃木入り。夜は曇りで冷え込みなく十分に睡眠をとることができた。翌早朝、東の方角は晴れており日差しがあって良い感じ。女夫渕の駐車場に向けて車を走らせ、もうそろそろ着く頃だなと思っていたら進行方向右側に見覚えのない広い駐車場が現れた。通り過ぎようとしたら橋の手前で通行止め。ん?これが女夫渕の駐車場なのか?鬼怒川左岸の女夫渕温泉の建物があった場所が更地になっていた(2013年の地震による被害がきっかけで廃業したとのこと。)。

今の時期、全てのクマがネマガリダケ(チシマザサ)の筍を主食とすべくチシマザサ藪帯に潜っている。藪の中を歩くときはガサガサ音をたてるのでクマと不幸な出遭いをすることはまず無いはずだが、秋田で人食いクマが現れたばかりであるので、念のため護身用にピッケルを握りしめて出発。林道通行止め区間は落石がきれいに除かれていて歩くのに支障なし。

ベルトを忘れたものでパンツがずり下がる。落ちていた長いピンクテープをベルト代わりにしてみたが、徐々に伸びて役に立たなかった。人に遇う可能性はないので恰好は気にならないが、締りがなくて心地悪い。

現在の鬼怒川遊歩道に接続する吊り橋(絹姫橋)を左に見やって黒沢林道奥に進入。12年前はほぼ現役といってよい状態であった。現在も藪化はさほど進行していないが、大規模ながけ崩れ箇所がある。

黒沢林道の崖崩れ(帰りに撮影)

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黒沢林道の崖崩れ(帰りに撮影)


頭上に晴れ間が見え、さわやかな雰囲気。12年前と同じ場所から県境を遠望。引馬峠方面はまだ晴れてはいないが雲はかかっていない。

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大きな二段堰堤に立ち寄り小休止。二段堰堤の上流にもうひとつの大堰堤があるためか、堰堤上流側は土砂で埋まっておらずプールが残っている。県境にも青空が広がりつつあった。

大堰堤から引馬峠方面を望む
二段堰堤のプール


黒沢の水には何かしらイオン成分が含まれているようで、プールの色がきれい。

問題の危険区間に到着。2004年時も土砂で埋め尽くされてザレた斜面であったが、その状態がさらに進行している。路肩の下は崖状で、滑ったら命はあるまい。10m程度進んでみたがすぐに戻ってしまった。残雪期ならばアイゼンの爪立てて通過できる可能性はあるが、藪が雪に埋もれているのでもっと安全な選択肢がある(後日、2009年に三峰山岳会が危険個所を巻かずにここから1724と1725の中間に直登した記録を確認。)。

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黒沢第4号橋手前のざれた斜面(帰りに撮影)


さて、どうしようか。藪尾根通しで往復する気にはなれないし、時間の余裕も無い。ダメ元で大高巻きを試してみる。この辺りで昭和40年代に皆伐された斜面にはカラマツが植林されている。手入れは一切行われておらず広葉樹との混交林となっている。藪は無く少なくとも途中までは容易に登れる。傾斜が緩くなってからトラバース開始。

シャクナゲ藪の小尾根を下っていくと、明瞭な獣道が左側から接続。なるほど、カモシカですら高巻いているということか。ならばこのまま小尾根を降りていけるかもと期待が膨らむ。しかし、カモシカ道は途中で小尾根を離れて掴まるものが無い右側の斜面に向かう。人間は真似できない。小尾根の傾斜が増してきた。真下に黒沢第4号橋が見えるのだが、最後の10mはロープなしでは降りられない。少し登り返してから、露出した木の根など掴めるものはなんでも利用しながらバランスをとって小尾根右側(支流上流側)にトラバース気味に下った。本日唯一の難関をクリア。

黒沢第4号橋上流側に降り立つ

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黒沢第4号橋上流側に降り立つ


水は何故か少し濁りが入っており、石もうっすらと泥を被っているように見える(確か雪田爺様がこの沢の途中まで辿ったことがあると記憶している。)。沢の源流は勾配の少ない湿地帯と思しき場所で、そこに向けて1896mポイント南西から山体崩壊の痕跡らしきものが下っている。この辺りに原因があるのかもしれない。

2004年時はここから適当に1781mポイント方向に登って行った。今回は門石沢左岸尾根を登れるのか試してみようと、黒沢第4号橋からしばらくトラバース。門石沢左岸尾根に取り付くには大きな沢(名前不明のため無名沢としておく)を跨いでいかなければならない。無名沢両岸の傾斜がきついのであまり得策ではないことが判った。現在いる無名沢左岸尾根は針葉樹が多くて藪少なく歩き易そう。予定を変更して今回も1781mポイントを目指す。

この辺りは大木が択伐された痕が残る。尾根上には獣道が明瞭で、数箇所で針葉樹の幹に古い赤ペンキの印が残されている。昭和40年代以降に登降路として用いられた過去があることは間違いない。チシマザサの藪を漕ぐ区間が何ヶ所か存在するが長くは続かない。概ね快適に辿れる。

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昭和40年代の伐採痕(帰りに撮影)


標高1570m辺りで尾根型がはっきりとしなくなる。この辺りで左手に現れる新たな尾根筋に乗り換えるのがコツ。そんなこと意識しなくてもチシマザサ藪を避けて黒木の多い場所を目指すと自動的に乗り換えることになる。事実、2004年時もそうだった。

やや勾配がきつくてカモシカの足跡で表土が乱れた場所を越えると起伏の緩やかな丘陵の縁(標高1760m)に至る。

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1781mポイント付近


2004年時は南に向けて象の鼻の如く伸びる門石沢左岸尾根の延長部分に取り付いた。藪が濃くてあまり快適ではなかったと記憶している。今回は1781mポイントを経由して真っ直ぐ突っ切ってみた。1781mポイントを囲むようにクリークが存在する。その先はかなり太いチシマザサ藪。美味そうな筍が出ていた。できるだけ藪の薄そうな場所を選びながら北に向かい標高1840m辺りで平五郎山から続く尾根上に到達。目的地のホーロク平はすぐそこ。元々交通量が少なく、峠道としての役目を終えてから60年以上経過している。道跡のようなものは見当たらない。道跡のように見える場所もあるが、冷静に見ると周囲との差は認められない。

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ホーロク平


2004年時はど真ん中を通過しただけ。今回は丘陵部と引馬峠に近い鞍部を広範囲にウロチョロしてみた。丘陵部はシラビソの幼樹の藪があるのみ。鞍部は藪薄く移動は容易だがシラネアオイが生育する環境ではない。カニコウモリの群落が点在するのみ。越前屋氏はカニコウモリをシラネアオイと見間違ったのか、別の幕場で見たシラネアオイをホーロク平で見たと記憶違いしたのか、それとも場所を特定できないように意図的に誤りの情報を記したのか、真相は不明だ。近くに自生地が存在する可能性はあるが、少なくともホーロク平の幕場となるような場所にはシラネアオイが自生していないことが確定。主目的は達成した。

ホーロク平には明治時代には無人交易小屋が置かれていた。 三田幸夫の大正9年の 「越後銀山平より会津の山旅」 に拠れば、当時も鳥屋場の小屋が置かれていたという。朽ちて消えてしまったものか、それらしき痕跡は見当たらなかった。

時間に余裕があるし、頭上には青空が広がり天候が悪化する気配はない。引馬峠経由で次の目的地である引馬山(三角点名:腕蔵)を目指す。引馬山の緩やかな斜面をトラバース気味に登っていく。方向を見定めようとキョロキョロ周囲を見回すと、こちらを見ている白毛の大きなカモシカと目が合った。林の中で真正面から顔だけ見えると不気味なものだな。フレンドリーな雰囲気ではなく、激しく「フン!」と鼻を鳴らしてこちらを威嚇。しばらく見つめあった後、やつは鼻を鳴らしながら引馬山方面に去って行った。

引馬峠付近の地形は栃木県側の方が変化があるので、ホーロク平側から引馬峠にアクセスすると二等水準点を見つけやすい。テープが巻かれて遠目からすぐに場所を特定できた。

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引馬峠・二等水準点にて


二等水準点に荷物を置いて空身で引馬山まで往復する。適当に歩き易そうな場所を選んで登っていったが、山頂に近づき勾配が増してくると倒木や岩で歩き難くなる。まだシャクナゲが咲いていた。

引馬山は無雪期でも栃木県側の眺望が得られる。写真を撮って第二の目的も達成(帰宅後に越前屋晃一氏の画像と照合して、彼が手に取るように望めた山々とは南会津の山々ではなく奥日光の山々であったことが確定。)

引馬山から見る栃木県側の眺め
引馬山・三等三角点(腕蔵)


見通しの利かない山を下る場合は少々迷走せざるを得ない。方向を見定めることができないし、倒木や岩を避けるうちにどうしても方角がずれてしまう。方向を見定めにくい緩斜面の下りには中吾妻山で慣れているつもりだが、引馬峠近辺は単純な緩斜面ではなく起伏があって傾斜の方向が場所によって異なる。大きくずれると方位磁石と高度計だけでは居場所を特定しにくい。

だいぶ下ったような気がするがまだ平坦地には至らない。高度は既に引馬峠よりも低い。水の流れた地形に見覚えが無いのでどうやら福島県側に下った位置にいるみたいだ。これさえ判れば十分。登り気味に南に向かい、引馬峠の標高に達してから高度を維持して移動。時間的には十分な余裕があったが、さすがにテープが見えたときはほっとした。徐々に雲が増えてきたのでさっさと下山することにする。

平五郎山に向かう尾根から離脱すべき場所をうっかり通り過ぎ、尾根幅が狭まりチシマザサ藪がうっとうしくなっておかしいと気づいた。読図能力はあっても、漫然と歩いておかしいと思ってから地形図を見る繰り返しなので読図能力無いのと同じ。要所における高度計較正もサボってるし、今回の山歩きは反省点多し。

1781mポイントまでの下りは地形が緩やかなので方向を見定めにくい。ちょうどこの頃青空が消えており、濃いチシマザサ藪を突っ切る間は少し憂鬱な気分(@宇都宮さんの2006年10月の記録をコピーしてあった。午後1時過ぎにホーロク平から未経験の区間を経由して黒沢第4号橋に下り始めるところがすごい。過去に似たような経験があるが、自分の場合、時間との競争は心理的にとてもよくない。)。藪漕いでるうちに汗拭きタオルとペンを失ってしまった。

下りで尾根を乗り換えるべき場所の特徴を覚えておかなかったのも失敗だった。高度計を確認して戻り気味に尾根を乗り換えたのだが、笹で滑って少々苦労。この後は日差しも戻り、高度が下がるにつれてエゾハルゼミの鳴き声も加わり、気分爽快。黒沢第四号橋から引馬峠までの最適なルートを見出すことができたと思うが、もうこの場所に来ることはないだろうな。

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黒沢第4号橋に復帰


昼食休憩して再び大高巻き。大堰堤上の休憩を挿んで順調に女夫渕駐車場に帰着。

午後4時過ぎには県北一帯に青空が広がっていたが、気象庁はこの日関東北部の梅雨入りを発表した。よいタイミングで訪問できたようだ。

山野・史跡探訪の備忘録