房総丘陵ハイキングその7(大山千枚田、馬の背、嶺岡大塚山、愛宕山) (2016年12月)

年月日: 2016年12月25日(日)

行程: 武蔵浦和(06:44) - 武蔵野線 - (07:32)西船橋(07:38) - 総武線 - (08:02)千葉(08:06) - 内房線 - (09:33)保田 〜 日東バス・保田中央バス亭(09:50) 〜 金束駅(10:14、\520) 〜 (時刻不明)大山寺・高蔵神社(11:05) 〜 大山千枚田(11:25) 〜 大田代集落(12:00) 〜 元名の鉱泉(時刻不明) 〜 里山ウォーキング細野元名コースの大日様(12:45 - 12:55) 〜 舗装林道に降り立つ・標高190m(13:06) 〜 嶺岡大塚山・360m(13:35) 〜 愛宕山・嶺岡林道一号線に抜ける・標高370m(13:50) 〜 白石峠(14:35) 〜 (15:25)鋸南町巡回バス・奥山バス亭(15:27) 〜 (15:57、\300)安房勝山駅(16:34) - 内房線 - (18:01)蘇我(18:12) - 京葉線 - (18:32)南船橋(18:46) - (19:40)武蔵浦和

前週、計画したコースを外れて適当に里を歩いた際に「里山ウォーキング細野元名コース」や「大山千枚田」の存在を初めて認識。長狭街道を西進すると左手の小高い山の中腹に大山寺が見える。これらを絡めて前回行けなかった愛宕山に登って残りのコースを歩いてみたいが、前回歩きを中断した場所まで再び歩いて行く気にはなれない。コースをあれこれ検討した結果、内房線・保田駅近くのバス停から日東バスで金束(こづか)駅まで行くのが最も早く、且つ十分な行動時間を確保できそうである。大山千枚田の場所を地図上で特定して面白そうなコースを検討。金束駅から大山寺、大山千枚田を巡って愛宕山北側山麓を東進し、地形図上の破線路を辿って北側から愛宕山に登り、嶺岡林道を歩いて安房勝山駅まで戻る。

アクシデントに備えてJRの駅まで楽に戻るオプションを検討したところ、林道嶺岡中央三号線に入らずにそのまま鋸南町に抜けると鋸南町の循環バスが利用できることが判った。林道嶺岡中央三号線の半分程度は歩いたことがあり新鮮味に欠ける。飲み会と仕事の締切が重なる地獄の年末を控えて楽をしたい欲求が勝り、奥山バス停 15:27発の青バスを利用して早く帰ることに決定。

現地のバスの便に合わせて出発。始発の武蔵野線は東京ディズニーランド行きの若者で混雑し、早い時間帯の京葉線も大会参加の地元の中高生の団体が目立つのだが、遅い時間帯は比較的空いていて車窓の眺めも得られて快適。保田駅前には鴨川行の日東バスの停留所が無く、最寄りの保田中央バス停は駅から数百m離れた踏切近くにある。事前に「バスルート - 全国バス停・路線マップ」及びリンクされている Google のストリートビューでバス停の位置を確認しておいたので迷わずに行けた。

保田から金束駅までのバス路線は結構なアップダウンがある。前回歩きを中断したのは正解だったようだ。

金束駅バス停で降車して最寄りの大山不動尊(大山寺・高蔵神社)に向かった。麓と標高差120mある大山寺の入口まで沿道に人家が在り、主に柑橘類の栽培が行われている。ちょっと可愛い阿形吽形が構える仁王門を抜けると急勾配の石段が控え、その左右に首なしの像が並ぶ。


サザンカの落花とモミジの落ち葉が積もる急な階段を上っていくと境内から庭掃除や剪定の音が響いてきた。

大山不動堂は結構立派な造りである。高蔵山中腹を削って造成した敷地の幅に限りがあるため、石段から落っこちるぎりぎりの場所まで下がっても不動堂がコンデジの画角に収まりきらない。神仏習合の様子を色濃く残し、不動堂の前に獅子と狛犬が構える(元々は仏の守護獣であったとのこと。獅子が阿形、狛犬が吽形)。

大山不動堂
不動堂の狛犬(左)と獅子(右)
大山寺の由緒


山の上に行くには、不動堂左手の庭の末端から真っ直ぐ登る道と、不動堂右側の鳥居を潜って不動堂裏手の斜面を斜めに登っていく道の二つがあり、途中で合流する。前者の階段は急勾配に設けられているのだが、段差が少なく且つ滑りにくいように設計されている。

高蔵神社
高蔵神社の由緒


三角点があるはずなのだが、それらしき場所をざっと一巡りした限りではどこにあるのか判らなかった。お参りしようとしたらザックの中に小銭入れが見つからない。不動堂でお参りした時に中に置いてきた可能性があるので一旦下に降りてみたが見当たらない。再び神社まで登ってみたが道上には落ちていない。まさかと思い、ザックの普段小銭入れを入れない場所を探ると奥から出てきた。後始末がいい加減なことが原因で失敗する典型例。またやってしまった。己の進歩の無さに腹が立つ。くだらないミスでだいぶ時間をくってしまい、その後の行程に大いに影響することとなった。

大山を南側に降りて道なりにしばらく進むと大山千枚田を見下ろす三叉路に至る。この辺りでは随一の観光名所だそうで、季節を変えて訪れるリピーターも多いようだ。ウェブ上の画像を見ると畔にイルミネーションを施すこともあるようだが、棚田のイメージにそぐわないように思う。

この辺り一帯の谷はどこも棚田になっていて棚田自体は珍しくない。地形図上の愛宕山の北側山麓や峰岡林道2号線の南北の斜面は田んぼマークだらけである。ここはたまたま人家がなくて眺めが秀逸であることから観光化されたものであろう。目的地である愛宕山を確認して先に進む。

大山千枚田の東側(右側の最も高く見えるのが嶺岡大塚山、その左手前が馬の背、右奥が愛宕山)


大山千枚田は保護されていて関係者以外立ち入り禁止であり、大里を経由して元名に向かう道が使えそうにない。大回りして太田代集落を経由するしかないのか?車道左側に分岐する山道があったのでこれを辿ると、最初は水平に東に向かうので元名に向かう破線路に抜けられそうな感じがした。しかし、この道は大里集落の神社の参道らしく、神社の先は踏み跡程度となる。さらに先に進むと南から下ってくる大きな窪みで行き止まりとなり、窪みに沿って直径3p程度の塩ビパイプが上方に延びている。窪みは古道であるらしく薮中に道祖神らしきものが残るが、現在は全く用いられておらず倒れた竹で遮られ、ぐじゅぐじゅとした粘土質で歩きにくい。本日トレッキングシューズを履いてきたのは正解だったな。いまさら戻るのは癪。どうせ南に向かえば大田代に向かう車道に抜けられるだろうと思い、古道を追って薮中を辿ると標高220mの尾根に至った。

尾根上の塩ビパイプを追うと杉植林に至る。植林の中に奇妙に平坦な場所が何段も現れる。昔の棚田の名残であるらしい。里に出る道を期待して塩ビパイプを離れて谷に下ると水たまりだらけの棚田跡に出た。その向こう側はずっと藪になっており簡単に突破できそうにない。大型獣(たぶんイノシシ)がガサガサと藪中を逃げていく。狩猟が行われていたら誤射されてもおかしくない状況である。 棚田跡の移動が困難であるため、棚田跡周りの柵のごときびっしりと密な竹藪の隙間を見つけて竹林に復帰。しばらく竹藪の中を南東方向に登っていく塩ビパイプを追ってみたが、人家の裏手に出てしまいそうな気がしたので、竹藪を躱しながら真南に谷地に下り、茨と蔓混じりの藪を抜けて人工的に整備した水路に至った。ようやく藪から脱出する目途が立って安堵。山奥でチシマザサ藪漕いでいる方がまだましに思える。茨藪に四苦八苦しながら大田代集落西端の畑作地の縁に上がり、電気柵で囲まれている畑を回り込んで車道に抜けることができた。ちょうど正午を知らせる調べが流れた。汗かいて苦労したあげく車道歩きより時間がかかったみたい。本日2度目の時間の無駄使いで本日の計画達成に黄色信号が点灯。

この車道は何がしかのハイキングコースに設定されているようであり、ハイキングコースは大田代集落入口のT字路を右に二ッ山へ向かう。元名に向かう左側の道は棚田のある広い谷を巡るように下っていく。大田代集落には吠えまくる犬を飼っている家が2、3軒在り、公道を歩いているだけでも防犯ブザーが鳴り響いて排他的雰囲気が濃い。逃げるように谷を下った。

藪漕いでみて解ったのだが、この辺りの土壌は強粘土質であり水はけが極めて悪い。「大田代」なる集落の名がその土地の質をよく表している。反面、一旦田んぼに水が溜まればしばらく消えない。これが農業用水の無い大山千枚田で降雨だけで稲作が可能である所以である。棚田が多いのは土地に適した作物が稲しかないからとも言える。(後日みた NPO 安房文化遺産フォーラムの頁に拠ると、嶺岡山系は断層によって破砕された第三紀の地層や蛇紋岩が分布し、それが風化して粘土質層となり地すべりが起きやすい。地すべりによって形成された地形を利用して棚田が作られているとのこと。)

元名奥部は地形図上では田んぼマークが記されているが、耕作放棄されて久しいようだ。


大田代集落から車道を下ると里山ウォーキング細野元名コースの末端部に達する。元名の鉱泉の湧出量は乏しいようだが、真ん中の容器に溜まっている水はたしかに硫黄臭がする。

細野元名コース案内図
元名の鉱泉


予定のコースの一部が『里山ウォーキング細野元名コース』と重なっており、ハイキングコースの道標に従って元名で道を誤ることなく愛宕山に向かう破線路に入ることができた。『里山ウォーキング細野元名コース』は途中で破線路と別れて左手の山の上に上がっていく。予定していた直進する破線路は不明瞭でどう見ても現役の登山道には見えない。愛宕山なる名前からして参道があるに違いないとの思い込みがあったし、山の上にある神社マークにも興味があったので、ハイキングコースを辿って山に登ってみた。ハイキングコースの手入れ状態は良くない。樹木が倒れこみ迂回する場所が2か所あった。尾根突端に上がると石段があって大日様が天然の岩の中に納められている。正体は不明。大日様からの眺めは概ね樹木に遮られているが、唯一開けた北の方角に大山千枚田の全景を見渡すことができる。

大日様
大山千枚田を遠望


ここで軽食休憩。本日は10時頃から晴れるとの予報であったが、13時に近いというのに現在地は小雨が降っている。北の空には既に青空が広がっており、頭上も雲がとれつつあって天気雨の状態であるのでこのまま歩きを続行。

馬の背を過ぎてハイキングコースは徐々に尾根筋を下り始める。どうやらハイキングコースの現在地は地形図上の標高300mの尾根上であるらしい。ということはこのまま下ると愛宕山から遠ざかってしまう。尾根左側(北側)に下っていくハイキングコースを離れ、尾根筋を維持して藪斜面を下って舗装林道に降り立った。じめじめして滑りやすい舗装林道を上り詰めると標高250mの峠に至り道が消える。地形図では峠から360mピークを越える破線路が記されているがそれらしき道の存在には気付かなかった。そもそも360mピークに登るつもりはなく、直進して峠の反対に見えている愛宕山を目指すつもり。しかし、峠の反対側の緩斜面に広がる茅を主体とした藪を突っ切るのが困難で、右手の杉植林地内に逃げ込んだ。あいにく、360mピークに南東から突き上げる尾根に遮られて南進できず、そのまま藪尾根を登り詰めた。360mピーク稜線の南側は高さ十数mの崖状になっている。安全に登れる場所から稜線に抜けて予定外の360mピークの頂上に至った(後日、大日様のことを調べていてブログ:「房総の日々」で360mピークが嶺岡大塚山と呼ばれていることを知った。)。眺めはあまりよくなく祠の類も無い。境界見出標があるだけ。今日3度目の時間無駄使いで計画に赤信号が灯った。かなりまずい状況だ。

嶺岡大塚山を西に下り愛宕山への連絡尾根に入る。愛宕山への連絡尾根は明瞭だが植林内に明瞭な踏み跡は存在せず歩きにくい。連絡尾根上には道標が一つ(おそらく前記ブログに掲載されていた道標と同じであると思われる。)。かつて愛宕山信仰が盛んであった頃、ここを行き交う人々が少なからずいたことの証だ。


連絡尾根最低鞍部に至るとやや開けた雰囲気となり、何年か前に山仕事が行われたらしく南に続く作業道の跡を追える。愛宕山山頂までまだ数十mあるなと思った矢先に舗装林道に飛び出た。左右どちらを見ても真っ直ぐ舗装林道が走るだけ。進行方向に現役の道はない。おそらく愛宕山山頂部は入れないだろうし、時間も無いので先を急ぐ。現在時刻は13:50。コピーしてきたA4サイズの地形図を並べてみるが正確な距離が判らない。バス時刻を正確に覚えていなかったので間に合う可能性があると思った(現在地から白石峠経由で鋸南町の奥山バス停までアップダウン込みで9.5km の道のりを1時間半で移動しなければならない状況であった。これを正確に認識していたら別の選択をしたかもしれない。)。バス最終便に間に合うのと間に合わないのでは天国と地獄。早足でひたすら歩き続ける。二ッ山頂上入口の案内を見るが立ち寄る時間的余裕無し。

白石峠に下る尾根道沿いにかつての別荘(にしては貧弱なのだが)と思しき古い廃屋を多数見る。現役の家屋は一つもない。不便で眺めが悪い尾根上の斜面に無理して家屋を建造した動機は何だったのか。まったく想像がつかない。麓まで下りてくると何軒かの人の住む家があり、犬に吠えられてムカつく。


バス時刻をメモした紙を見て残りの行程の所要時間を予測して赤信号の点滅が速まった。目的地まで峠が2つ。登りで抑え気味にして下りで走るしかない。華表裏(とりいかわ)から順調に県道88号線に抜け、県道184号線の分岐点に向けて下る。今年の紅葉を見納めしたのが唯一の小休憩。


焦って余裕がなくなるととんでもないミスを犯すものだ。梵字が彫られた碑が建つ場所から分岐するやや細い舗装林道に入り込んだ。道端の草むしりしていた女性に「こんにちは。」と挨拶すると、「あの、何処へ行くんですか。」と怪訝な表情で聞く。「この先抜けられますよね?」と聞くと、憮然とした表情で「抜けられませんけど。」と言う。ということはこれは私道か。「道間違えました。失礼しました。」と言って退散。まさかこんなところに人家があるとはね。おかげで早めに間違いに気づくことができたのだが、このタイムロスは致命的と思われた。

林道嶺岡中央三号線の入口を左に見やって、峠を越えて下りの行程を走る。バス到着時刻2分前に奥山バス停に到着。助かった!着替えする間もなく熱冷まししているうちにバスが到着。翌日以降の年末締切地獄の予行演習のようなハイキングで2016年の山歩きを締めくくった。

山野・史跡探訪の備忘録