年月日: 2018年4月28、29日(日)
初日行程: 武蔵浦和駅(08:22) 〜 (10:21)奥多摩駅(10:58) 〜 (11:25)東日原 〜 天祖山登山口(12:20) 〜 雲取山富田新道入口(13:39) 〜 地形図上の林道終点(14:10) 〜 二軒小屋尾根鞍部・標高約1130m(14:25) 〜 幕営地・標高約1280m(15:00)
危険度が低く、人が少なくて且つ広葉樹の森林が期待できそうな場所として日原川奥から芋木ノドッケに突き上げる尾根に着目した。地形図の等高線幅を信ずる限り、林道終点から長沢谷に降りることはできそうだが、尾根に取り付くことが可能か不明。ウェブで長沢谷に関して検索してこの尾根を登った記録を見つけた。これをきっかけに調べてみると、この尾根には二軒小屋尾根なる呼称があり、少なからぬ数のハイカーが訪れているようだ。入口から尾根に上がるまではかつての大ダワ林道(崩落のため廃道となった登山道)の道筋であることも知った。尾根歩きに関しては心配無用。林道終点から長沢谷に降りる場所のみ不安が残る。
連休前半の3日間好天が続くとのこと。天気図を見て、28日夜に高気圧の真ん中に入ると予想し、2年ぶりにテント泊の山行決行。初日は二軒小屋尾根の適当な場所で幕営。二日目は芋木ノドッケから三峯神社方面に下り、未訪の妙法ヶ岳を訪ねて三峯神社奥宮に詣でてから表参道を下って大輪に出て、秩父鉄道の三峰口駅まで歩く。
初日は時間に余裕がある。東日原に向かう午前中のバス最終便に間に合うように乗継の時間と場所だけ確認して出発。乗ったのはいつもの府中本町行きではなく、西国分寺から横浜まで直行するというホリデー快速鎌倉。空いていて座れるし、停車駅が少なくて快適。さらに西国分寺駅ですんなり中央線ホームに移動できて、予定した便の一本前の青梅行きに乗ることができたもので、奥多摩線の電車にも余裕で座ることができた。こんな遅い時間帯でも少なからぬ数のハイカーが乗車していたが、多くは高水三山や御嶽山に向かい、奥多摩駅到着時は車内ガラガラ。バス発車時刻に合わせて次の電車で来る人が多かったようだ。
本日は気温が高く日差しが強烈。湿度が低くてカラッとしているため日陰では涼しく感じるが、暑くて発汗する。数はまだ少ないが気の早いエゾハルゼミが鳴いている。この時間帯に日原川奥に歩いて行く者は自分だけ。熱冷まししながらチンタラ歩く。ヤマブキの花はほぼ終わりでヤマフジやウツギが満開。昨年に比べて間違いなく10日前後季節の進行が早い。
車の数が少ない。このうち大部分は渓流釣りか天祖山を往復する登山者のものであろうから、この先、人に遇う可能性は低そう。どうせ誰も来るまいと思って藪歩き用の衣服に着替えた直後、奥から年配の登山者が現れ、小生に問うてきた。「すみません。ここから雲取山の登山口までどのくらい時間かかりますか?」完全ビジターの自分に聞かれてもねぇ。「一時間以上かかるんじゃないですかね。」と答えたところ、雲取山行きをあきらめたようで林道を下っていった。10数年前に高原山の釈迦ヶ岳林道で老人ハイカーに黒沢奥から釈迦ヶ岳に登る道を問われたことがあった。そんなものはないと教えたのだが、独りで奥に向かっていった。2008年には白神岳手前で老人ハイカーに十二湖までの所要時間を問われたことがあった。いずれも下山すべき時間帯だったので想定外の問に一瞬面食らったものだ。あの人達、ちゃんと家に帰れたんだろうな。
天祖山の山襞に沿って長い林道歩きを強いられる。目を惹く物は特に無し。予想通り何か所かできれいな水を得られるので飲料水を節約できた。名栗沢橋の左岸側で座って先の行程を確認していたら目の前を一匹のサルが走り過ぎ、法面の落石防護ネットをスルスル登っていった。まだ右岸側の山中にいる群れの本体に先駆けて、若頭が肝試ししたってとこかな。橋を渡る際、カチャカチャと金属音が聞こえた。沢登りの男性が名栗沢を遡行してくるところであった。さすが奥多摩、こんなマイナーな沢まで踏査されているとは。
鍛冶小屋窪にはトチノキの巨樹の案内があるが、踏み跡が不明瞭でその指し示す方向が良く理解できない。約50m上にあると書かれていたので上方を覗き込むと、道路から見える場所に太い幹を確認できた。きれいな写真で紹介しているページがあるので、相当なマニアでもない限りわざわざここまで見に来ないだろう。このページに拠れば、名栗沢にも同程度のトチノキがあるとのこと。
富田新道入口を過ぎて、地形図と大雲取谷と長沢谷の合流点付近の地形を比較して常に現在位置を確認しながら進む。大ダワ林道の入り口には補助モータ付自転車が一台。目的は釣りか、それとも登山か?
大ダワ林道の長沢谷への下りに不安があったので、大ダワ林道には入らずに当初予定通り地形図上の道路の終点へ移動。事前情報通り、林道の延伸工事が続けられていた。沢の近くまでは容易に近づける。慎重に立木を選び、最後の一区間だけ地中の木の根に頼って大ダワ林道に降下。せっかく持ってきたロープの出番はなかった。ここまで降りれば滑落の危険性はない。この瞬間、唯一の不安要素が消えた。
大ダワ林道は通過不可能で廃道のはずだが、比較的新しい木橋が渡してあり、靴を脱がずに渡渉できた。
道路工事による落石のため、上流側には立ち入らないように注意書き在り。二軒小屋尾根の取り付きは傾斜がきついが、タワ尾根の取り付きほどの危険度はない。カツラの木がお出迎え。
稜線部にはアセビの木が多い。踏み跡はないものの、進行の妨げになるような藪が皆無で歩きやすい。丹沢の檜洞丸と同じで、毎年たくさん芽を出す樹木の苗が食べられてしまい、シカの忌避植物のみが成長可能な状態にある。目的は不明だが大雲取谷側にネットが設けられている。橋が架け直されたのはこの作業のためだったようだ。シカが入り込めないネットの反対側ではカエデ類の幼樹がたくさん育ちつつある。何故に大雲取谷側の一部だけなのか判らないが、植生回復を目的としたシカ避けの防護ネットなのかもしれない。
尾根幅が広がるとブナやカエデを主としてシデ、ミズナラ、シャラ等の混じる美しい広葉樹林となる。しかし、残念ながらこの尾根の広葉樹林は原生林ではない。過去(おそらく昭和40年代以前)に大規模に皆伐もしくは択伐されたまま放置されて生じた二次林である。事前にこの情報を得ておかなくて良かった。知っていたら長い林道歩きする気になれなかったかもしれない。
地形図からは読み取れないが、尾根幅が広くても稜線部がはっきりしていて長沢谷側が一段低く平坦になっている場所が存在する。標高1280mから1300m辺りがその一つで、風裏になりそう。体質的に高い場所で長時間留まるのは避けたい。高度的にちょうど良いし、谷底のように冷気がたまらないので幕営適地である。まだ午後3時だが本日は早めに行動を打ち切ってここで泊まることに決めた。
テント設営して少し昼寝した後で異変に気付いた。右側の扁桃腺の粘膜が少しヒリヒリする。風邪をひいたらしい。この数年、どんなに激務で疲れていても風邪を引いたことなど一度もなかったのに、せっかくの休みになんてこったい。風邪薬を所持していない。翌日の体調次第では引き返すことも覚悟した。
ラジオを持ってこなかったので暇。野鳥の囀りを聞く以外にやることがない。様々な野鳥が日没までさかんに囀っていたが、残念ながら囀りで野鳥を判別できる十分な知識を持ち合わせていない。初めて聞くものもあった。
日が暮れると夜行性の野鳥の出番。一晩中、ヒーッという金管楽器のような鳴き声が聞こえる。2004年4月の未明に大佐飛山に向かう途上でも聞いたことがあった。8秒くらい(たぶん)の間に低い音と高い音が交互に一秒程度続く。帰宅後に検索してみた結果、声の主は夜行性のトラツグミであった。時折、遠くからフクロウの鳴き声も聞こえてくる。
現在地はソウルや北京行きの飛行機の航路の真下に位置しており、高い頻度でジェット機の音が響くのであまり深山にいるという気がしない。迷惑なのはシカだ。乾燥した落ち葉が敷き詰められた平坦地なので獣が移動する音が響く。アセビの陰にテントを設営したのだが、月夜で明るいので目立ったようだ。見たことの無い怪しい存在の様子を探るべく、近くで30分程度「キョッ」、「キョッ」としつこく鳴き続けていた。
二日目行程: 幕営地出発(05:02) 〜 モミソの頭・1594m(06:32) 〜 1726mポイント(07:15) 〜 芋木ノドッケ(08:30) 〜 三峯神社奥宮(12:00) 〜 大輪 (14:25) 〜 (16:00)秩父鉄道・三峰口駅(16:20) 〜 (18:52)武蔵浦和
明け方、睡魔が寒さに勝って合計3時間程度眠れたようだ。空が白みかけると野鳥のけたたましい囀りが始まり目覚まし代わり。幸い風邪の症状はまだ重くない。頭痛も熱もないし、嗅覚も大丈夫。引き返すにしても長い林道歩きを考えると気が重い。せっかくここまで来たのだ。もう一回やり直す気にはなれないからこのまま行ってしまおう。ただし、発汗して無理をすると体へのダメージが大なので、涼しい時間帯に極力ゆっくり登ることにする。
どうでもよい場所にやたら赤いリボンが付いている。普通の尾根を登っていく場合、ただ高みに向かえばよいだけだから迷うことは有り得ず、目印は当然不要。二軒小屋尾根を下る場合は地図読み必須の場所が複数存在するので、往復のために付けることはあり得る。しかし、簡易的なものではないし、昨日今日付けたものでもない。耐久性があってしかも外しにくいようにきつく縛ってあり、道案内気取りの犬の小便ひっかけ的行為である。今やスマホのGPSで地形図上で居場所を特定できる時代だ(小生は未だにガラケーだが)。目印つけるなんて格好悪い行為は時代遅れもはなはだしい。地図読みできない者が安易にこの尾根を下る呼び水とならぬよう、いい加減な道案内をするべきではない。リボン以外にも赤いビニルテープと白い荷造り紐の古くて汚い目印があった。本来あるべきではないゴミを残すことは立派な犯罪行為でもある。芋木ノドッケまで大部分を除去したため意図せずゆっくり登ることができた。
右手に天祖山を見ながら順調に登っていける。朝方、太陽が天祖山に隠れているので直射を浴びず好都合。1,500m辺りではミツバツツジを見ることができるが、数は少ない。
二軒小屋尾根の長沢斜面側はほぼ全て伐採の対象であったようだ。切り出した材木をこんなところからどうやって搬出したものか。少なくとも稜線部の歩いた範囲には、和名倉山に残されているようなワイヤーの類は見当たらない。稜線部も択伐の痕が残るが、巨樹が数多く残されている。伐採の対象とならない樹種だから残したのだろうか、それとも神聖なものを感じて残したのだろうか。巨樹はミズナラが最も多いがブナやモミの巨樹も存在する。
複数の尾根が合わさる標高1,500mから1,550mにかけて存在するなだらかな地形の広葉樹林が美しい。土壌がふかふかした場所に前日登った人の足跡をみつけた。あの自転車の主かな。
起伏の少ない尾根を進んで1,594mポイント到達。「モミソの頭」と書かれた山名板が2枚残されている。手の込んだ造りの山名板の標示は1,584mで、10m足りない。モミソの頭の先で露出していた大理石のかけらを記念にいただいていく。
文字通り、モミソの尾根から先は稜線部にモミを主とした針葉樹が増える。大雲取谷側は手つかずの原生林で、伐採後にカラマツを植えて放置した長沢谷側と対照的。
再び尾根幅が広がる1,726mポイント付近も雰囲気が良い。この辺りではまだヤマザクラ(カスミザクラ?)が咲いていた。
標高1750m辺り前後だったと思うが、梢に邪魔されずに雲取山が見えるポイント在り。雲取山荘も確認できる。既にブナは消えてダケカンバ一色。1850mの肩直下からの眺め良し。
1870mの尾根からは大ダワ越しに飛龍山・三ツ山方面を、長沢背稜越しに武甲山も確認できる。この辺りまで来ると大ダワ方面から登山者の鈴の音が聞こえてくる。
無事、芋木ノドッケ到着。伐採の歴史と目印のゴミテープの存在は残念だが、総じて良い尾根である。笹薮の存在した痕跡すらないのが意外であった。餌となる植物が少ないため獣の生息数は多くない。見かけた動物はシカ3頭のみ。
長沢背稜の登山道から離脱し白岩山へまっすぐに向かったはずであった。過去2回すんなり歩けた場所であるのに、方位確認せずに進んだら長沢背稜の登山道に復帰してしまった。慢心は禁物。
空気が乾燥していて風通しの良いところでは肌寒く感じるが、ちょっとした登りで汗をかく。汗っかきにとっては既に山歩きがつらい時期だ。高度が下がるにつれて昼近いこともあって気温が上がり、下りでも汗をかくようになった。徐々に歩くのがつらくなってきた。前日雲取山荘に宿泊したと思しき若いお姉ちゃんたちの元気なこと。でかい声でおしゃべりしながらよくあのスピードで歩けるものだ。
この辺りに来ることはもうないかもしれないので、無理を承知で妙法ヶ岳(三峯神社・奥宮)に向かった。雲取山側から向かう道は利用者少なく静か。東屋で三峯神社側から来るトラバース道と合流すると家族連れのハイカーが多くて賑やかになる。眺望悪く、木製の階段や桟はボロボロ(5月に改修されるとのこと)。奥宮に人が群がっていたので参拝せずに写真を撮っただけで退散。再訪することはないだろうな。この訪問で体力を消耗してしまった。
三峯神社から表参道を約700m下る。今時、わざわざ表参道登る人などおるまいと予想していたのだが、とんでもない。人気の場所なのであった。既に午後だというのにまだ多くのハイカーが登ってくる。
三峯神社まで下りてくる前に既に疲労感があったのだが、表参道を下り始めて急激に脚力がなくなり、脚を前に繰り出せなくなった。すれ違う人に「お先にどうぞ。」なんて譲られても脚がカクカク。まだ登りも平地歩行も可能なのに下りだけダメ。こんな経験は初めて。何度も休憩をはさみながら最後の水を飲み干してなんとか下りきった。
大輪地区周辺は国道に歩道が無く怖い。ふれあい交流トイレで顔を洗い、木陰で休憩して息を吹き返した。途中の自動販売機で買った水の美味しいこと。大血川入口から先は国道沿いに立派な歩道が整備されている。金蔵落としの渓流が一番の見所らしい。
大滝発電所を過ぎて右岸側に移り、御岳山から強石経由で下ってきたと思しき男性団体様と相前後しながら三峰口駅到着。トイレで汗拭きと着替えを済ませて16:20分発の熊谷行き急行に乗った。