東日原 〜 八丁山(巳ノ戸尾根) 〜 鷹ノ巣山 〜 奥多摩駅(2019年4月)

年月日: 2019年4月21日(日)

行程: 奥多摩駅着(07:37) 〜 東日原(09:05) 〜 住居跡(09:40) 〜 八丁山(11:11) 〜 お伊勢山(11:45) 〜 午飯食いのタワ (12:38) 〜 鷹ノ巣山(13:05 - 13:20) 〜 絹笠集落跡を経て下山口(15:47) 〜 奥多摩駅(16:20頃)

最近すっかり出不精になっていることもあって、今年春の健康診断では大いに気分を害した。膝に負担のかかるジョギングを止めたので週一回くらいは3時間程度散策するよう心掛けているのだが、周囲が平地ばかりでつまらないし、時間をかける割には脂肪燃焼効果が低い。今一つ気が乗らないが、なんとかしてモチベーション上げて山歩きする機会を増やすしかない。

単に運動するために既知の場所を繰り返し歩く気にはなれない。未訪の場所は多いのだが、静かで且つ、コース取り、地形、植生、史跡等に何らかの魅力を抱くかもしくは興味が湧くことが必須条件。今回は八丁山から鷹ノ巣山に連なる尾根に着目した。東日原から奥多摩駅に向かう定番コースの変形例として面白そう。

地形図を見る限り八丁山から鷹ノ巣山の間に危険個所はなさそうだが、八丁山の勾配がきつい。標高1100m辺りまで針葉樹マークが記載されているから途中までは南東の尾根筋を登れそうだが、標高800mから850mにかけて存在する岩場マークが気になる。岩場を巻けるのか否か、こればかりは行ってみないとなんとも。さすがに不安になって、出発直前に「東京登山」や「山の写真集」等の先人の記録で岩場を通過できることだけ確認(先人の記録に出てくる岩場とは標高1200mの尾根が狭まる辺りに存在する岩稜帯を意味しているのだが、自分が懸念する場所のことであると勘違いした。)。

現住所から最も早い便で奥多摩に向かうと青梅から奥多摩まで立ちっぱなしで、肝心の山歩き前に疲れてしまう。楽をすべく立川始発に座れる2番目に早い便にしたのだが、奥多摩駅到着時刻が07:37であるのに、東日原行きのバスの発車時刻は08:35。1時間近くも待たなければならない。もっとバスの便があるものと思っていた。以前はそこまで把握して始発で奥多摩に向かったのだが、今の自分にはその気力がない。便がないならそれを淡々と受け止めるしかない。暇なので奥多摩駅周辺をブラブラ。本日は2つの移動性高気圧の鞍部に位置しており雲が多めの予報ではあったが、気圧の谷が浅くて安定しているのでむしろ昨日より登山日和ではないのか?周囲の山肌はヤマザクラが散り始め、駅周辺では数多くのツバメが飛び交い、春の雰囲気に満ち溢れている。大勢の登山者を乗せた次の電車が来るまで、喧騒の無い時間帯の奥多摩駅周辺散策も一興。

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日原川と愛宕山(北氷川橋から、08:07)


今回辿るコースは途中までは稲村岩経由で鷹ノ巣山に登るコースと同じ。他のハイカーに不審に思われたくないため、バスを降りてすぐに歩きだして後続との間を開けた。事前に参照した記録通り、道標の立つ場所から案内の無い上方に向かう明瞭な踏み跡が存在する。

踏み跡を辿ってよく手入れされたスギ植林地の中を登っていくと、左手に竹の生える明るい空間が見えたので立ち寄り。明るい空間の際にミツマタが何本も生えており、花の盛期はきれいであろう。踏み跡に復帰してさらに上方に向かうと石垣で整地された住居跡に至る。

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住居跡 9:40


かつての住人が植えたと思しきヤブツバキが2本、たくさん花を着けていた。石垣に沿ってウメの木が3本植えられていたらしい。ヤブツバキは日陰に強いがウメは日当たりを好む。周りの杉が育って適度な日照が得られなくなりいずれ枯れてしまう。なんと一本はまだ生きており、今年もけなげに花を咲かせていた。

踏み跡は住居跡の向こう側にも続くようだが、尾根筋にある踏み跡を維持。すぐにお墓が見えてくる。踏み跡は尾根右側に向かうので、踏み跡から逸れて尾根筋にあるお墓に立ち寄り。嘉永、慶應、明治、昭和の年号が確認できるので、少なくとも150年以上に渡ってこの地で人が生活を営んだことになる。昭和二十年建立のお墓にはお線香が残っていた。いまも子孫がお参りしているのだろう。

もともと尾根筋を登る予定であったので、踏み跡には復帰せずに尾根筋を維持。すると、次第に踏み跡は鮮明となり、スギ植林最上端に至る。ここに炭焼き窯の跡が一基ある。住人は炭焼きを生業にしていたと考えられる。

現在地は尾根筋の左側にずれている。不明瞭だが人間によるものと思われる踏み跡を辿って広葉樹林の急勾配を登ってから、右に向きを変えてなだらかな尾根筋に出た。右側に岩場を見つけたので立ち寄り。見晴らしが良くて儲け物した気分(この時点では地形図確認していないので、懸念していた標高850mの岩場であることにまだ気づいていない。)。

標高850mの展望岩
日原渓流釣り場 巳ノ戸橋


天祖山
燕岩(右奥が三ツ目ドッケ)


ミツバツツジが何本か咲いていた。この後、巳ノ戸尾根ではツツジ類を確認していない。奥多摩は地質的にツツジ類に乏しいのであるが、他者記録に拠ると5月には巳ノ戸尾根でトウゴクミツバツツジを見ることができるようである。

尾根南側斜面の一部が伐採されて放置されている。遮るものがなく、稲村岩方面の眺めよし。

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稲村岩尾根


尾根右側(北側)がヒノキ植林であり、上方の比較的若い植林は有刺鉄線で囲われている。若いと言っても、巻きつけられた針金が維管束に飲み込まれてしまうくらいの年月が経っている。


途中から尾根左側(南側)がスギ植林となり、しばらく日差しを浴びることなく進行。ヒノキ植林の上端部にカメラが4台据えつけられていた。近くの樹木の幹に結わえられた掲示物に拠ると、東京農工大の森林生物保全学研究室が野生動物生態調査を行っているらしい(帰宅してから研究室のHP を拝見したのだが、研究業績をクリックすると表示されるのは論文書誌の一部のリストのみ。論文にリンクされていないから結局業績が何なのか全く不明。学術論文が非オープンアクセスなのかもしれない。学術論文の公開に関しては言いたいことが山ほどあるが、此処では止めておく。)。


植林されていない領域はブナ主体の広葉樹林である。ブナがそこかしこで発芽しており、踏みつけないように気を使う。徐々に稜線上に岩が露出し、コメツガが目立つようになる。尾根幅が狭まったところで先人の記録で見た岩場が現れた(高度計を確認していないが、標高1200〜1250mの間に存在することは確か。)。

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岩稜@


岩に登ろうとして、足元の岩の隙間に直径1pに満たない白い花を着けた矮小な植物を発見。よくみると数多く存在している。今までこんな植物を見たことがない。キク科であることは間違いないのだが、帰宅後にウェブ上で調べてみたがそれらしい植物名には辿りつかない(Google 検索は普遍性が高い要素を優先してランキング順に表示するため、希少な植物の検索には向かない。「白い花」を検索語に含めるとシロバナタンポポとシロバナニガナばかりヒットするし、「岩場」を検索語に含めると登山に関する情報がヒットする。)。総苞が大きいことと葉の形がミヤマコウゾリナに似るが、ミヤマコウゾリナが矮性化するのか不明。だいたい花の色が違う。あきらめて所持している「雑草や野草がよーくわかる本」をペラペラ。この本は極めて優れもので、すぐに種名を特定できてスッキリ。名前が判らないとどうしてこうも落ち着かないのだろう。

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センボンヤリ


センボンヤリを撮影してから岩場にとりついた。普通のバランス感覚のある人ならば高度なテクニックは一切不要。小鹿野の二子山のような滑落の心配は要らないと思う。その後も痩せた岩稜が続くが、進行は容易。岩場からの眺めを確認することなくついスイスイ進んでしまった。

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岩稜A


岩稜帯を抜けて本日のメインイベントが片付いた。倒木に腰かけて昼食休憩。この辺りの北側斜面にはカラマツが植えられているが手入れはされていない。

八丁山までまだ登りが続くと思い込んでいたのだが、アセビの幼樹がグラウンドカバーのようになった場所を通り、標柱を見やってアセビの森を抜けると下り坂に至った。???記憶にある地形図では八丁山まで下りは無いはず。ということは既に八丁山に到達しているということだ。この時点に至って初めて、自分が懸念していた岩場と先人の記録に出てくる岩場が違うことを認識。未知の藪尾根ならば最初から高度計合わせて地形図確認したであろうが、単純に尾根を登って八丁山で高度計を合わせるつもりだったので、高度計も地形図も見ることなくここまで来てしまった。

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八丁山  11:11


八丁山と1338mピークの間はコメツガの生えた痩せ尾根が連続する。尾根北側がスパッと切れ落ちており、南側も滑落したら無事では済むまい。進行を妨げるものがない替りに、長く続くので先ほどの岩場よりもいやらしく思える。何か所かで良い眺めが得られる。

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雲取山〜白岩山(右手前が天祖山)


1338mピークにも名前あり。標柱は無くその名の由来は不明。

お伊勢山


左側の谷から上がってくる道型が尾根を跨いで巳ノ戸谷に向かう。この道型には東京都水道局が立てた「通行禁止」の標示有り。古い道標がすくなくともこのタワが一般登山道として整備された過去があることを物語る。通行禁止の道(巳ノ戸林道)は「山道」、自分が辿ってきた方角には「鞘目ノクビレ、日原(バス停)」、これから向かわんとする方向には「巳ノ戸ノ大クビレ、鷹ノ巣山」と彫られている。とすると、現在地は鞘目ノクビレでも巳ノ戸ノ大クビレでもないことになる。先人の記録ではこの鞍部(クビレ)を鞘目ノクビレと称しているが、本当の名称は如何?

1338mピーク南の鞍部には巳ノ戸谷で遭難した方に関するモニュメントのようなものがある。帰宅後に調べて、1984年3月に下山中に雪崩に巻き込まれた高校生を追悼したものであることを知ったが、いろいろと疑問が生じた。単独であったのかそれとも同行者が目撃していたのか?いくら積雪が多いといっても奥多摩だし、まして3月だ。そもそも雪崩が発生するような場所には見えないし、深く積雪したときに登山することも考えにくい。雪のついた巳ノ戸林道(現在は崩落により通行止め)から滑落したということか?片方の手袋だけ見つかったというのも解せぬ。雪崩にまきこまれて手袋が脱げることは考えにくいし、巳ノ戸谷で落ちた場所が判っているなら確実に遺体を発見できるはずだ。

1338m ピーク南側鞍部
旧い道標


巳ノ戸尾根の何か所かで地面にスズタケのストローの残骸を見た。つい10年程前まで繁茂していたスズタケ藪の痕跡だ(2008年の「巳ノ戸林道探検報告」にスズタケ藪の写真が掲載されている。つまり秩父一帯のスズタケの消滅とほぼ同時期に消滅したと思われる。どの山域でもその後、実生によるスズタケ再生のきざしはない。

現在地から稲村岩尾根の登山道に合流するまで250m超の登りが控えている。稲村岩尾根がすぐ近くに迫っており、浅い谷を横切って合流することは容易に思えるが、尾根筋を維持していれば何か良いことでもあるかもしれないと思い自重。稲村岩尾根と巳ノ戸尾根の間の谷源頭は苔むした岩が敷き詰められており、ウノタワから横倉沢に下る途上にある苔の庭にそっくり。

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苔の庭 標高1450m


標高1490mより上は明瞭な踏み跡無し。その代わり、コメツガの根が張っていたるところ階段のようになっていて登るのは楽。新しい足跡があるので、本日も巳ノ戸尾根を登った先行者が少なくとも1名はいたらしい(yamareco に記録有り。この方の行動は実質トレランのためコースタイムは全く参考にならないが、巳ノ戸尾根における主な写真の構図は自分の写真と類似点多し。単純な尾根であるから誰が撮っても必然的に同じ構図となる。)。順調に「午飯食いのタワ」なるピーク(1562mポイント)に登り詰めた。ピークなのに何故かタワの名称が付く。

午飯食いのタワ


ここから山頂までまだ200m近く登らなければならない。稲村岩尾根は巳ノ戸尾根経由より楽に早く登れるはずだが、ほぼ一貫して登り基調なので最後の急登はつらかろう。こちらもバテバテだが、自分以上にバテ気味の4名の先行者を追い抜いた。鷹ノ巣山北面には4月に入って降った雪がまだ残っており、ズルズル滑る場所もある。山頂直前にも残雪有り。

残雪


ようやく鷹ノ巣山到着。これで帰れる。予想していたより人が少ない。既に13時を過ぎている。自分より早い時間帯のバス利用者はとっくに下山したと思われる。


鷹ノ巣山は南側が開けて眺望に優れている。晴れてはいるが、午後になって富士山は霞んで見えず。先が長いので、栄養と水分補給して滞在10分程度で下山開始。初めて石尾根を歩いた前回訪問時(2016年11月)は新月の真夜中に巻き道を歩いた。本日は石尾根の日中の光景と防火帯歩きを楽しみにして来た。

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石尾根の尾根道(六ツ石山方面)


尾根道は芽吹き前で彩無し。平坦地では開放的な防火帯の枯れた草むらの中の快適な一本道を行く。傾斜のある場所は荒れて植生が失われ、剥き出しの表土が乾燥して滑りやすい。ちょこちょことした脚の繰り出しでこれから1400mも下るのだ。疲労が蓄積する終盤はつらいことになりそうだ。右後方からの日射による日焼けを防止すべく汗拭きタオルを被って歩く。

13時を過ぎて登ってくる人は少ない。1620mピークからの下りで20名以上の団体様が登ってくるのに出遇った以外は登りの登山者無し。彼らは避難小屋泊まりなのだろうか。

将門馬場辺りまでは尾根道歩きに新鮮味があった。巻き道と合流以降は前回真っ暗闇で見えなかったにも拘らず、道筋は記憶通りであり、光景も雰囲気も想像通りというか既視感がある。

午後になって適度に曇って日差しが和らぎ、将門馬場から下ると山陰となって歩きやすくなった。1452mピークから一気に300m弱の下りが石尾根で最もきつい区間ではなかろうか。眺めが良いのが救いだ。

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1452mピークから下る途上で見た三ノ木戸山


三ノ木戸山東側のヒノキ植林帯が歩きにくい。たまたま伐採作業用の新しい作業道が稜線上にあったのでしばしこれを利用してヒノキ植林帯をパス。そのまま作業林道辿って下山してしまいたい誘惑にかられる。林道不老線から上がってくると思しき作業道は登山道から離れていく。広葉樹の斜面を下って登山道に復帰。

標高1,000m辺りまで下がってくると春の雰囲気が濃い。


絹笠集落の鎮守であったと思われる神社に立ち寄り。お稲荷さんらしく、小さなコンコン様がたくさん祀られている。紙垂が更新されており、今も管理状態にあるようだ。

絹笠集落跡上部の社内部


前回通過した時は真っ暗闇でよく判らなかったが、絹笠集落跡の整地面積はかなり広い。程なく舗装車道の登山口に到着。

登山口   15:47


運動不足がたたり、既に脚に著しい疲労感有り。奥多摩駅までまだ一時間程度、220m以上の下りが控えている。近道を利用して時間短縮したが、その分、脚の負担が大きくつらかった。

トイレで顔洗ってから奥多摩駅の更衣室を使わせてもらった。たった1名しか使えない個室だが、たまたま空いていてラッキー。すっきりして16:54のホリデー快速に乗った。

山野・史跡探訪の備忘録