白岩訪問その2 (2019年10月)

年月日: 2019年10月6日(日)

行程: JFEミネラル 武蔵野鉱業所跡地出発(7時頃) 〜 下白岩の神社跡 〜 奥秩父線24号鉄塔に立ち寄り 〜 奥秩父線23号鉄塔 〜 モノレールを横断 〜 上白岩の神社 〜 上白岩採石場跡 〜 (往路を戻る) 〜 車に帰着(10時頃)

十文字峠に行くのをあきらめて白泰山避難小屋で折り返し土曜日昼に下山してしまったが、レンタカー返却期限は日曜日21時。日曜は曇りの予報であるから山登りはせず、白岩の気になる場所を探索するつもり。秩父も名栗も自宅から日高町までのルートは同じだから、家に戻るのが面倒。というわけで土曜夜も車中泊。

山伏峠を越えて名栗に行ってみたが、@携帯の電波の入りが良好、A静か、かつB日陰という条件を満たす場所は存在しない。日が沈めばBはどうでもよいのでまた山伏峠越えて芦ヶ久保の道の駅に戻った。ところが道の駅は夕刻から暴走族のバイクや走り屋の車が数十台集結して深夜になってもうるさい。河川敷にある静かな第二駐車場に移動してようやく静かな場所を得た。

翌朝の天候は時折弱い雨が降る状況。JFEミネラル 武蔵野鉱業所跡地に車を置いて出発。チカラシバの穂にびっしり細かい水滴が付いておりズボンが濡れる。

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チカラシバ(帰化植物ではない。)


前回の訪問で下白岩集落跡地から奥秩父線の鉄塔巡視路が上がっていくことを把握済み。これを上手く利用できれば白岩の尾根に近道できるかもしれない。集落跡の東端に新井家(だったかな?)の比較的新しい墓石が並ぶ。昭和四十四年に故人の墓を建て直したらしいのだが、近年お参りした様子はなく、道も無い。

巡視路は東に向かって高度を上げてコナラやモミの大木がある標高650mのなだらかな場所に至る。期待した通り、ここには下白岩地区の山の神があった。廃村となって以降放棄されて34年、字が薄れて何の神を祀っていたのか判読できない。

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巡視路は神社の裏手の尾根筋を行く。気温は高くないが、無風で湿度が高くて発汗する。

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送電線が真上に見える場所で巡視路が2手に別れる。目的地は23号鉄塔方面だが、近場に見える24号鉄塔に立ち寄り。傾斜のきついところに無理して建てたものだ。

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奥秩父線24号鉄塔
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奥秩父線23号鉄塔方面


ざれた表土には赤いチャートの小石が混じる。過去に見たことがあるようなないような、地味な植物を発見

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マツカゼソウ(ミカン科)
画像クリックで花を拡大


巡視路はスギ植林の斜面を緩やかに下るようにして浅い谷を横切り、白岩最下段の岩場の下を巻く。

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岩場直下でカヤの実を見つけた。岩場のどこかにカヤの木があるはず。

23号鉄塔は下から1番目と2番目の岩場の中間地点にある。

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奥秩父線23号鉄塔からみる白岩末端
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第2の岩場(ほぼ垂直)を見上げる


神様が祀られていそうな場所であるが、その類の痕跡は見当たらなかった。直接は行けないが白岩末端の直下に鉱山施設の一部が見える。その辺りに鉄道トンネルの上部出口があるらしい。

さらに巡視路を辿っていくとモノレールに出合った。既に上白岩の上にいることを意味する。このとき、突如至近距離でジャズの音楽が流れて緊張が走った。こんな日に人がいるはずはないという思い込みがあって、人立ち入りを防止する警告なのかと思った。でもそれらしい防犯施設は見当たらない。上方を見上げると、おおっ、ハイカーらしき人物を発見。ジャズ音楽を聴きながらハイキングとは、古賀志山でラジカセで歌謡曲ガンガン鳴らすおっさんと比べるとなんともお洒落。

モノレールを渡って御挨拶。彼も鉱山跡に興味があって上白岩からザレを登ってきたとのこと。この先はJFEミネラルの所有地のため立ち入りできない。

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この上まで鉄道トンネルが通じていた。


彼と別れてから思ったことだが、朝方、白岩沢沿いにも鉱山事業所跡地にも車はなかったし、道路を歩いている人も見かけなかった。チカラシバの濡れ具合から察するに先行者がいるようには見えなかった。バス利用は時間的に便が無いから不可能だ。戻ったときも車がなかった。ということは自分の後から車で来て、自分が巡視路経由でチンタラしている間に登山道歩いて上白岩に先着し、自分よりも先に下山したということなのだろうか。

さて、ここからは巡視路と別れて上白岩地区の上部を探索。スギ植林を登っていくと祠がある。下白岩地区の山の神に比べると保存状態が良い。白岩では秋に6か所の山の神様に甘酒を作って奉納していたという。登山道傍らにある神様と鳥首峠の神様がそのうちの2つとすれば、本日見た神様の他に少なくとも2か所あるはず。

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上白岩の山の神


さて、ここからは危険なので行程詳述を省略するが、フェンスで囲まれた採石場外縁まで到達。武甲山にもあてはまることだが、この形で採石を終えたということは、良質な石灰岩層が傾斜をもって山の上部にのっかっていたということなんだろうか。

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この採石場を知ったのは2011年冬に見晴しから蕨山に向かう際にスキー場の如き真っ白な姿を見たことがきっかけであった。2012年春に鳥首峠南から見たときもまだ操業中であり遠目からは白く見えたのだが、眼前の採石場跡はくすんだ色をしている。晴れていれば今でも白く見えるのだろうか。それとも石灰岩を採り尽くした跡だからこんなものなのか。

アルカリ性土壌の植生に興味があって2012年に一度裏側からこの採石場の上に行ったことがあったが、その時は何も収穫がなかった。今回は平五郎山登山以来、15年振りにフジアザミを観ることができた。フジアザミがアルカリ性を好むのかどうか不明だが、ざれた日当たりの良い場所を好む。フェンス沿いだけでなくフェンスの内側にも数多く生育している。9月の花の盛期には見事であろう。

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フジアザミ
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総苞


今いるフェンスの外側は谷が急峻で樹木が生えていない。フェンス沿いに登って行けばスギ植林の斜面に入れて秩父飯能境界尾根に近道できると思われたが、一か所崩れて先には行けない状態になっていた。本日の目的は十分達成したのでおとなしく往路を戻ることにする。

下りで左足の異常が再発し、昨日と同じ斜め歩き。これは本当にやばいかも。

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駐車地に咲いていたカクトラノオ(シソ科、北米原産)


帰る前にさわらびの湯の駐車場で仮眠しようとしたのだが、ハイカーや入浴目的の車がひっきりなしにやってきてバタンバタンうるさい。そのうちに、現在地だけぽっかりと青空が覗いてカーッと暑くなった。仮眠をあきらめて帰路に着く。日和田町のヒガンバナで有名な巾着田周辺は川越方面から来る車で大渋滞となっていた。

山野・史跡探訪の備忘録