安房勝山 〜 林道嶺岡中央線 〜 安房鴨川 (2019年12月)

年月日: 2019年12月8日(日)

行程: 武蔵浦和駅(05:31)〜 (06:19)西船橋駅(06:29)〜(06:52)千葉駅(06:58)〜(08:28)安房勝山 〜 林道嶺岡中央3号線起点 〜 黒石山勝善寺跡(09:16)〜 林道・伊予ヶ岳線分岐(10:54)〜 県道184号 〜 県道88号 〜 林道嶺岡中央4号線起点(11:27)〜 市道 〜 白石峠・林道嶺岡中央1号線起点(12:00) 〜 (12:35)二ツ山(12:49)〜 国道410号 〜 (13:35)林道嶺岡中央2号線 〜 魚見塚展望台 〜 県道247号 〜 (16:35)安房鴨川駅(16:52)〜 (18:00)上総一ノ宮駅(18:06)〜(18:59)津田沼駅(19:11)〜西船橋駅(19:20)〜(20:07)武蔵浦和駅

2019年12月現在、林道嶺岡中央3号線は津辺野山の東側(北緯35° 6′41.5″、 東経139°53′06.3″の辺り、溜池の北側)で道路が消失しており、車・バイクの通行は不可能です。

尾てい骨打撲から一か月半経過して徐々に電車の椅子に長時間座れるまで回復してきた。大きな段差を昇るとまだ少し痛むが、普通のジョギングには支障ない。8日は気温も低めで微風快晴。3年前に途中断念したコース(安房鴨川駅 〜 林道嶺岡中央線 〜 安房勝山駅)を逆方向に歩いてみた。

安房勝山駅の出口は西側にある。線路沿いの細い道を南に移動して踏切を渡り、佐久間川を渡って林道・嶺岡中央3号線の起点に向かう。本日は地区の一斉清掃日らしく、市街地で住民が除草作業をしていた。9月に襲来した台風15号による被害は甚大で、街中の多くの家屋がブルーシートを被ったまま年を越そうとしている。

林道・嶺岡中央3号線は3年前、伊予ヶ岳からの帰りに部分的には歩いたことがあるが、起点を見るのは初めて。採石された秋葉山(津辺野山西端)を見ながら、丘陵の北側から徐々に高度を上げていく。

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林道嶺岡中央3号線起点
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秋葉山


道路の側溝に水が流れていた。この程度の普通の丘陵であれば、降雨中はともかく翌日になっても水が流れ出続けることはない。嶺岡隆起帯は地層の破砕・劣化が著しく軟質であり、粘質土の透水係数が低いために地下水位が高く地すべり多発地域である(*1)。このため、地表水排除工(水路工)、地下水排除工(明暗渠工・横ボーリング工)などによる地すべり対策事業が行われている。この側溝もその一つであろう。

どの辺りであったか(おそらく地形図の140mポイント)、南側に逸れる歩道があって奥に東屋が見えたので立ち寄り。南房総市の岩井海岸方面が良く見える。なんの案内もないが、よく見ると石碑がひとつ。碑文に拠るとかつてここに黒石山勝善寺があったらしい。現在の勝善寺は富山西尾根の北側麓に在る。

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黒石山勝善寺跡からの眺め


この辺りの私有地にはスイセンが植えられているところが多く、もう咲き始めている。鋸南町では12月中旬から水仙まつりが行われるそうだ。

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林道・嶺岡中央3号線は津辺野山東尾根中腹を走り、徐々に高度を50m程度下げる。この辺りの斜面は傾斜がきつくほとんど崖のよう。強風で折れた大量の照葉樹の枝は撤去されておらず道路横に寄せてあるだけ。

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津辺野山東側、94mポイントには人家がある。その先は倒木により通行止めの表示があった。軽トラックが進入していったし、徒歩であるから問題あるまいと判断してそのまま進行。

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道路北側傍らに祠を見やってから南側に溜池が見える地点に近づいていくと複数の草刈り機が稼働する音が聞こえてきた。道路上には何台もの車があり、地区の人が総出で溜池周りの草刈りを行っているようであった。

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その少し先で林道が崩落している。地震でもないのにここまで見事に崩落するものかね。雨が関わっているのは確かだが、水流による浸食ではない。これも地すべりなのだろうか。岩盤らしきものが見えないので復旧は容易ではないように思える。3年前に通った時、溜池に向かう歩道の入り口で休憩した。その至近でこのようなことが生じるとは。いつ発生したのだろう。台風15号は降雨量が少なかったから、別の機会の大雨時に生じたものかもしれない。北側のガードレールにつかまりながら通り抜けた。

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崩落地点から先はしばらく車の通行が絶えており、荒れた感じが強い。

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213.6mピークの辺りで道路北側に第二の祠がある。この祠にはいったいどんな意味があるのか探るべく背後の小ピークに登ってみたが、山頂で崩れ落ちた古い祠の屋根を見るのみ。

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近くに伊予ヶ岳を望める地点まで来て、台風15号の威力のすさまじさを見せつけられた。この辺りの林道の路肩にはコンクリート製の板を打ち込んで補強してある。その下側の斜面は大きく育ったスギの植林地である。スギが強風で根こそぎ倒れたことで路肩が崩れ、長さ50m以上に渡りガードレールが倒れている。

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伊予ヶ岳
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9月9日の早朝、台風が速度30km超で千葉県西側を北上して猛烈な南風が吹いた。平地や山の麓では樹木の被害はさほど目立たないが、南斜面と風が吹き抜けた稜線部で被害が目立つ。枝が折れる程度では済まない。植林に限らず、この地に適合している照葉樹の大木ですら根こそぎ倒れた現場を目にした。

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林道伊予ヶ岳線分岐に至るまでにさらに、倒木や崩落の現場を見る。これらの被害さえなければ普通に山並を眺めて祠に関心を抱くだけのハイキングであったろう。

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崩落地点(高度差数十mの薙のような状態)
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?山
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富山
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第三の祠
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風倒木


北側の麓から犬の吠え声が響いてくる。何かを呼ぶ人の声も聞こえる。そのうち、首の鈴をカランコロンと鳴らしながら犬がトコトコと林道を走ってきた。主人に呼ばれたみたいだが、下りられる場所が見つからず迷っているみたいだった。林道伊予ヶ岳線分岐手前に車が2台あったので、銃声を聞くことはなかったが狩猟が行われていたのかもしれない。

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林道伊予ヶ岳線


林道伊予ヶ岳線分岐から県道184号線までの間は未経験。進行方向右側の谷に鮮やかな紅葉が見えてくると程なく県道184号線に至る。県道184号線沿いの谷は風裏にあたり台風の被害を免れたようだ。

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県道184号線を北東に約1q進んで林道嶺岡中央4号線起点に至る。鋸南町、南房総市、鴨川市が接するこの辺りは嶺岡隆起帯の中で最も地形が複雑に入り組んで稜線がつながっておらず、林道嶺岡線も分断されている。林道嶺岡中央4号線は平久里川支流の谷を跨いで県道88号線と南房総市の華表裏(とりいがわ)を繋ぐ約1qの短い道路である。一か所路肩が崩落していた。

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林道嶺岡中央4号線起点


広い市道を歩いて白石峠を越えると林道嶺岡中央1号線起点に至る。3年前は下ってきた者に対する「おつかれさまでした。またのおこしを」のメッセージが書かれたゲートがあったのだが、その跡形もない。あれもまた台風で吹き飛ばされてしまったのだろうか。

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林道嶺岡中央1号線起点


白石峠から尾根上のコスモクラシッククラブ方面の道との出合まで高度差100m、1q強の単調な登りがけっこうきつい。この間、サイクリング族が計6名登って行った。もっとサイクリング族がいそうなものだが、この日林道で見たのは彼らだけ。

コスモクラシッククラブ方面に向かう道が分岐する地点に大規模な太陽光発電施設がある。南斜面で採光には最適だが、台風の直撃で壊滅。電信柱が折れ、トランスが転がっている。

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ここから二ツ山までさらに標高差100m。途中に嶺岡林道の建設に関する碑らしきものがあるが、帰りの電車の時間が気になるし、周囲が藪化していたのでパス。路傍の植栽したものと思しきヤブツバキが咲き始めていた。地形図ではこのあたりに神社があることになっているのだが、記憶に残っていない。

3年前時間的余裕が無くてパスしてしまった二ツ山を訪問する機会到来。(大山千枚田方面の?)眺望が良いという情報を目にしていたので今回の訪問で最も楽しみにしていた場所である。二ツ山入口の表示のあるところから踏み跡を辿った。入口こそ簡易的な階段があるが、道は不明瞭で最近人が辿った形跡なし。もっと立派な道だったような気がするのだが・・・。辿りついた山頂はぽっかりと開けた空間で、北側に「善右衛門君遺功碑」が立つのみで大山千枚田方面の眺望は得られない。一瞬落胆したが、左側の林を抜けると西側に大展望が広がる。逆光の時間帯でなくてよかった。

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富山、伊予ヶ岳、津辺野山方面
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富士山、鋸山


眺望に満足し、往路を辿って林道に復帰。林道を少し進むと別の二ツ山入口に至った。なぬー? 

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六地蔵


こちらが正規の入口である。別の眺望でも得られるのかと思って辿ってみたが、着いた場所は同じ。徒労であった。

嶺岡大塚山からの破線路が接続する場所でアンテナ立ててハム交信している車有り。ここから先の愛宕山から国道410号への下りの区間は未経験。長い下りで腸脛靱帯炎の発症が懸念されたが、体のバランスをとることを意識して歩いたおかげなのか、違和感なく順調に下ることができた。本日は気温高めの予報であったが、一日の最高気温になる時間帯でも山の上はひんやりしており、日陰を下っていくうちに手が冷えてしまう。ときおり日向で陽光に手を照らすと暖かい。

国道410号の先が林道嶺岡中央2号線。

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国道410号


林道嶺岡中央2号線は道路幅がやや狭く、林道嶺岡中央1号線より格下に感じる。林道嶺岡中央1号線がよく整備されているのは愛宕山に航空自衛隊峯岡山分屯基地があるのがその理由か? 林道嶺岡中央3号線沿いの稜線にはカシやタブノキ等の照葉樹の巨木が目立つが、林道嶺岡中央2号線の走る区間は総じて勾配が緩やかであり、太い篠竹藪が鬱蒼とした区間も存在する。

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林道嶺岡中央2号線入口に MIKIO MIZUTA 云々と書かれた表示がある。林道沿いに水田桜と名付けられた桜の木が植えられている。後で調べたところ、城西大学創設者の水田三喜男の生家があるとのこと。大蔵大臣を務めた大物政治家でもあるのだが、自分の世代だと池田内閣と佐藤内閣の時代の閣僚の名前を聞かされても、後に総理大臣になった人物ぐらいしかピンとこない。

八丁に下る道が分岐する地点から愛宕山の航空自衛隊峯岡山分屯基地が良く見える。

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愛宕山


分岐から先は既知の区間であり、できれば安房鴨川駅15時台発の電車に乗りたいという一心でノンストップで早足で歩いた。

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パラグライダー離陸場から見る鴨川市の長狭街道筋


嶺岡浅間近くの最高点を過ぎてからも何度かアップダウンが続く。太平洋が見えるのが気休めとなる。林道嶺岡中央2号線の走る区間もまた地すべり多発地帯であり、3年前にはなかった道路の段差が何か所も生じていた。

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嶺岡は戦国の里見氏の時代から馬の牧場として利用され、江戸時代も幕府が牧場として使用した。そのことを示す簡素な史跡案内は3年前と変わらないが、災害で疲弊したためなのか周囲を手入れしている様子はない。

15時台の電車に間に合わないことが確定したので約1時間の余裕ができた。終点から国道128号の嶺岡トンネルには下らずに、そのまま太海西地区に直進。道横に犬ぐらいの大きさのキョンを見た。道路北側に石垣で整備された大規模な遺構が存在する。藪化しているが古い時代のものではなく、昭和時代に造成して放棄された分譲地の類のように思える。少し調べた限りでは情報が出てこなかった。その廃墟に太海西の瀟洒な建物群が隣接している。

道なりに車道を下っていくと太海経由で大回りになり、16時台の電車にも間に合いそうにない。展望台方面に登り返し、ついでに魚見塚展望台にも立ち寄り。

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鴨川市街地
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愛宕山と嶺岡浅間方面


展望台の階段手前から鴨川市街地に下る歩道に入った。歩道の両脇の土壌が抉られている。イノシシの仕業ではない。こんな狭い歩道に自動車が進入し、両脇を擦りながら下りてきたらしい。入口に車は通りぬけできないと書いてあったはずだが、果たしてこの車どうやって脱出したのだろうと不思議に思いながら住宅地の最上部に抜けた。

歩道上にはスライドドア式の車があった。ゲゲッ、本当に通り抜けてしまったのか。バックして戻れるような道ではないから一旦入り込んだらそうするしかないのだろうな。でもなんか様子が変。独り歩道を下っていく年配の女性の姿が見えた。車と右側の家屋の間をすり抜けて振り向くと、車は左前輪が脱輪しており、年配の男性が路肩下で何か作業をしている。女性は助けを求めに向かったのだろう。麓の大きな神社(八雲神社)の境内にいた男性に話しかけていた。当方は電車利用で時間がないので申し訳ないがスルー。県道247号を歩いて鴨川駅に向かう際、パトカーが走って行った。あの男性が呼んであげたのだろう。レッカー車が入れるような場所ではないから引き上げるのは容易ではないだろうな。こんなことにならないよう、入口に柵を設けておけばよいのに。

16時台の電車に間に合うべく、港には寄らずに真っ直ぐ安房鴨川駅に向かった。

足裏のケアをして臨んだため、肉刺の発生は左足に軽く一か所のみ。歩行中はまったく気にならなかった。3年越しの計画を完遂してスッキリ。

*1  Journal of Japan Landslide Society 29-2 (1992)

山野・史跡探訪の備忘録