コブギ尾根 ~ 長沢山 ~ サヤギ尾根 (2020年10月)

年月日: 2020年10月4日(日)

行程: 699mポイント出発(06:20) ~ 標高955mの肩(07:25) ~ 標高1235m(08:50) ~ 東京大学演習林の境界見出し標・標高約1340m(時刻記録なし) ~ 幅広の水平道・標高約1350m(時刻記録なし) ~ 標高約1530m (09:56) ~ 長沢山・1738m(10:50) ~ サヤギ尾根下降開始・標高約1710m(11:10) ~ 植林地ネット最下部でモノレール出合い・標高1020m (12:36) ~ 東沢林道(13:17) ~ 帰着(13:56)

関連記録①: 長沢背稜細切れ歩きその1(大日向 ~ 榊山 ~ 長沢山 ~ 芋木ノドッケ ~ 霧藻ヶ岳 ~ 太陽寺)(2011年11月)

関連記録②: 長沢背稜細切れ歩きその5(林道・奥大血川線起点~熊倉山~小黒~酉谷山~水松山~大血川中央尾根)(2012年11月)

コブギ尾根末端部は危険度が高くお薦めしません。もし行かれる場合は自己責任でしっかりとした装備を持っておでかけください。

事前検討時、コブギ尾根を登った記録が「樵路巡遊」以外には見つからなかった。実際に登ってみて、バリ好きの先行者の記録が他に存在していてもおかしくないと思った。記録が見当たらないということは、記録に「コブギ尾根」の呼称が用いられていない可能性が高い。事後に「鉄砲沢」&「長沢山」のキーワードで検索してみると、この地域の山歩きの先達であるブログ「花のひかり」の記録がヒットした。この記録では「長沢山北尾根」と表現されている。自記録を公開するか躊躇したが、「花のひかり」には危険個所が詳述されていないので、今後辿らんとする方に注意を喚起する意味で自記録を公開する。2020年現在、コブギ尾根は汚い目印の類が一切ない清浄な状態が保たれている。今後も清浄に保たれんことを願う。

長沢山の北側の尾根はどこも取り付き部の勾配がきつい。2011年に秩父側から周回するにあたり、地形図の勾配だけを見て長沢山から北東に下る尾根(サイト「樵路巡遊」の記述に倣い、本記録上はサヤギ尾根と称する。)の延長にある榊山の尾根末端部に取り付いた。勾配的に最も緩い榊山の北尾根といえども決して安全とは言い難く、長沢山からの下りに使用するには若干不安が残った。東谷一帯は東大の演習林であり、サヤギ尾根も標高1350m以下の広範囲で植林されている。勾配のきつい取り付き部よりも上部に植林があるということは、どこかに安全な登降手段があるはず。その思いがあって、2012年に長沢山からサヤギ尾根を下った際に作業道を探していて偶然にモノレールと出合った。モノレールが設置されている枝尾根の取り付き部も急峻であるが、細い作業道を辿れる。2015年にたそがれオヤジさんがこのモノレール沿いに登って以降、同じルートで榊山、さらには長沢山に登った記録が幾つかウェブ上に見られる。

地形図で長沢山の北側からの登降を検討すればサヤギ尾根(北東尾根)ではなくその西隣の幅広の北尾根に真っ先に着目する。しかし、北尾根はサヤギ尾根よりも短く、さらに1350mから1450m辺りにかけて勾配が緩い分、末端部の勾配がとてもきつい。自分は安全性を重視してできるだけ岩場や急勾配を敬遠する。まして未経験の危険な尾根を下りに使用する選択枝はあり得ず、自分には縁の無い場所と位置付けていた。今年になってこの尾根にコブギ尾根なる呼称があることをサイト「樵路巡遊」の記述で知った。「樵路巡遊」の管理人さんは鉄砲沢奥部からコブギ尾根に上がっている。コブギ尾根を下ったこともあるようであるが、その時のルートは不明(一般者向きではないため秘匿したと推察する。)。コブギ尾根の名が出てくる山歩きの記録は他にない。少なくとも登れる可能性が出てきたので、コブギ尾根を登って経験済みのサヤギ尾根を下降してみようか。鉄砲沢合流点から続く尾根は等高線から判断して痩せた急勾配の岩稜である可能性が高いのでボツ。鉄砲沢の遡行が可能であるならば「樵路巡遊」の管理人さんと同じルートを辿ってみるつもりであった。

週末の天気予報がどんどん悪い方にずれて、晴れ間が期待できるのが土曜日だけ。土曜日は静養の日と位置付けているのだが仕方ない。未明にでかけるつもりであったが、前夜寝つきが悪く朝方頭痛がしたので秩父行きを日曜日に延期。土曜夜に次女が泊まりに来たので、睡眠時間確保すべく土曜夜に出発して道の駅荒川で車中泊。翌4日(日)は大気上層が曇っているが山々には雲がかかっていなかった。降水確率は10%。ひんやりした空気の中、直射を浴びて大汗かかずに済むので山歩きの条件としては悪くない。

自分にとって未知の領域につき、ビバーク装備に加えて懸垂下降の用具一式と沢靴も所持。ある計画の予行演習を兼ねて重装備としたのだが、こんな重い荷を担ぐのはいったい何年ぶりのことだろう。2006年の中津川遡行時の荷よりははるかに軽いが、還暦過ぎた運動不足の身にはきつい。

東沢から取り入れた水が滝のように流れ落ちる場所の右側に山道がある。しばしこれを辿ってから分岐を鉄砲沢に向かうと、不明瞭な径は鉄砲沢で消える。鉄砲沢左岸に移って植林斜面を上流側に移動していくと傾斜がきつくなり植林も途絶えてその先には進めない。鉄砲沢上流に行くには沢中を遡行するしかないのだ。沢に降りるのが面倒くさい。植林上部を見上げると数十m上部に大きな崖がある。カモシカの溜め糞があるので左(谷奥側)から巻けそうな気がする。巻いていけるのか試すべく崖の直下まで登ってみた。山襞の谷奥側は人間が移動不可能な急勾配斜面であり、目の前の岩稜を越えていくしか方法はない。まばらに生える樹木に頼って怖々岩稜に上がった。痩せた岩稜を辿っていくと尾根末端からの植林が右側から上がってきていた。尾根末端から素直に登ってくればここまでは危険なく到達できるようだ。

二番目の難所は左右どちらも巻けない。岩に切れ目があって木の根が這い、「どうぞ。登って。」と言わんばかりの絶妙な足掛かりになっている。これがなければ通過不可能と思う。

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この岩稜尾根に関する予備知識を全く持っていないので不安が一杯。上部に抜けられる保証はない。尾根両側の斜面はエスケープできるような勾配ではない。行き詰まったら往路を戻ってこなければならない。懸垂下降の装備を所持してはいるができればこんなところ戻ってきたくない。黒木や馬酔木の根が這ってホールドが多く行き詰ることはなかったが、重装備でバランス崩して滑ったり後ろにそっくり返ったりしたら確実に死ねる。内ノ外山に登った時のことを思い出した。

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標高930mの辺りであったか、昔の伐採時に用いられた太いワイヤーがベロンと岩場に沿って伸びる。こんな太いワイヤーを見たことがない。伐採作業員達がこの岩稜を登降していたこと、そしてこんな重量物を危険な場所に運び上げたという事実に驚きを禁じ得ない。標高950mの肩は伐採時の中継点となっていたと思われ、ひと巻のワイヤーが残されている。

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この先、道跡は認められないが全く藪の無い広葉樹の尾根を順調に進める。涼しくても無風で湿度が高いと少し登っただけで発汗する。昨晩よく眠れなかったので心臓もバクバク。上半身下着一枚姿で放熱し、こまめに休憩して発汗を抑えながら確実に歩を進める。

カエデ類が多いので紅葉の時期に来ればそこそこ綺麗であろう。一時、長沢背稜の南側から陽が射したのだが、再び雲の厚みが増し、高層から弱い雨が落ちてくるようになった。直接体に当たらないが広葉樹林内にサラサラと雨音が響く。まだ1/3程度登っただけ。このまま本降りになったらと思うと気持ちに余裕がない。

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標高1050m辺り


細い尾根は標高1,100m辺りで広葉樹斜面に吸収される。尾根の左右に落ちる心配はないものの、掴まるものが少なく土壌が滑って登りにくい。この辺りも下りには向かない区間だ。

標高1285mの辺りでも伐採の痕を見る。おそらく皆伐されたのであろう。その後に育ったブナを主体とする広葉樹が激しい淘汰を繰り広げており、枯れた立木が多い。

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08:50


標高1340m辺りで東大演習林の境界見出標を見る。

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境界見出標からほぼ標高を維持して黄色い標柱が東に続くので100m程度追ってみた。これが東大演習林の上の境界らしい。数十m下に植林の上限が見える。植林作業がいましがた辿ってきた尾根経由で行われたはずはないから、鉄砲沢奥部から上がってくる作業道があるはず。作業道を探ってみたいが本日はその余裕無し。コブギ尾根登りを続行すべく10m程度登ると幅広の均された道跡を横切った。この道跡は東側の平坦地では目立たなくなり、行く先は確認できなかった。

標高1350mから1450mにかけての緩斜面には秩父随一のブナ主体の美しい広葉樹林が広がる。容易には到達できないこの場所こそがコブギ尾根の核心部といえよう。直立した大木がないのでおそらくここも人の手が入った過去があると思われるが、他の地域が皆伐された時期とは異なるのだろう。現在は藪が全く存在しないが、つい十数年前はここもスズタケの林床だったようで、広範囲に枯れ朽ちたスズタケの根元を確認できる。

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標高1450mから再び黒木や馬酔木の生える嫌らしい急登区間を抜けて1510mの肩に上がってようやく長沢山を視界に捉えた。この時点で雨は止んでおり、標高1400m以上が中層の雲の上に突き出ているような状態にあった。ゆっくり確実に約200m登って長沢背稜の道標の若干東側に抜けた。

長沢山に来たのは3度目。2度目は酉谷山から来て山頂を踏まずにサヤギ尾根を下ったので、山頂を踏んだのは9年振り2度目である。東京都によって鷹ノ巣山と同じようなモニュメントが建てられている。金かかっていそうだ。

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紅葉は始まったばかりで、色づいたナナカマドの実が目立つ程度。

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長沢山からかろうじて富士山が見える。

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芋木ノドッケ方面から登山者の鈴の音が響いてきたのでお先に退散。

花の乏しい時期だ。登山道沿いに咲いているのはシカも忌避するシロヨメナとナギナタコウジュだけ。標高1700m辺りで気の早いハウチワカエデの紅葉が見られた。

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ナギナタコウジュ
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左から天祖山、石尾根の日蔭名栗山と高丸山


少し戻って標高1710mから北東に向けて長沢背稜を離脱。一度経験済みで不安なし。たまにジョギングしているおかげなのか腸脛靭帯炎の症状は軽く、順調に下って榊山東側を巻いて北側に抜けた。

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酉谷山と小黒


東谷側斜面には青いネットが張られている。ここに至るまで稜線からモノレールに下る明瞭な作業道は見当たらなかった。ネット沿いに植林地を適当に下ると標高1020mでモノレールに出合う。

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モノレール出合い


モノレール沿いに下って支沢で体を拭いてリフレッシュ。

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支沢末端の小滝


東谷を渡るモノレールの橋に向かう際、もう山歩きを終えたような気になって慢心し、苔に被われた丸太で滑って派手にずっこけた。ザックが緩衝となってどこも打ち付けずに済んだが、首が痛い。

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西谷へ導水する堰


取水堰の下流の橋を東谷左岸にわたると歩道の入り口がある。コウヤノマンネングサ?が密生する素敵な雰囲気の歩道を経由して再び東谷林道へ復帰。昨年の台風19号の大雨で林道が崩落したのだろうか。修復工事が行われていた。2012年秋に工事していた場所と同じと思う。

久しぶりの重量物担いだ疲労でもう登りの脚力は残っていない。駐車地まで高度差100mの舗装路歩きがつらかった。発汗を抑えたことで翌日以降の疲労感やヘルペスの発症は無し。しかし、軽い筋肉痛が完全に消えるまで丸々5日要した。爺になったことを実感。

山野・史跡探訪の備忘録