多高山 〜 花木峠 (2021年2月)

年月日: 2021年2月28日(日)

行程: 足利CC横の路肩出発(07:42) 〜 老越路峠(08:05) 〜 多高山・標高608.1m(08:49 - 09:00) 〜 500m級ピーク(09:26) 〜 540m級ピーク(09:45) 〜 450m級鞍部(10:15) 〜 530m級ピーク(10:46)〜 520m級ピーク(11:06)〜 新栃木線鉄塔(12:00 - 12:10) 〜 624.7m三角点(12:15) 〜 718mピーク南端(13:05 - 13:10) 〜 花木峠(時刻不明)〜 黒沢西川林道(14:12)〜 黒沢東川・黒沢西川合流点(14:38)〜 車に帰着(15:51)

2/21(日)に実施した今年初めての山歩きによる筋肉痛が長引き、週に一度程度の散策や毎日のスクワット程度の運動では筋力の衰えを補うのに全く不十分であることを思い知らされた。左足の腸脛靭帯炎やかかとの痛みはあったが、登りの調子は普段と変わらず、行動中大して疲労したという実感がなかった。しかし、筋肉痛がピークを迎えたのが3日目(水曜日)、完全に消えたのがなんと5日目(金曜日)という有様。発汗による疲労を抑えるべくゆったりした歩きでヘルペス発症がなかったにも関わらず、筋肉痛持続期間の最長記録を更新。老化している。

遠出してまで山歩きしたくないのだが、我が身の健康を維持するためにはやむを得ない。かろうじてモチベーション維持できそうな近場の山を物色していて、未訪の多高山に着目。名草から赤雪山に登った時に地形図上では意識したが、中途半端な存在であるため登山対象として見る機会がなかった。この山は比較的簡単に登れる位置にあって、検索したらたくさん山行記録がヒットするのであろうが、幸いこれまで他者の記録を目にしていない。地形図だけで縦走ルートを検討してみたところ、等高線の間隔を信ずる限り多高山から北上することは可能と思われ、718mポイントから尾根を南下して周回するのも面白そうである。問題は車の置き場所だ。老越路(おいのこうじ)峠に車を置いたら疲れた身で峠まで登って戻ってくるのがつらいだろう。最初に峠を下って左回りする手もあるが、平地歩行中にかかとが痛み出したら尾根取り付き前にヤル気喪失するかもしれん。右回りするか左回りするかは駐車地次第。

帰宅後にウェブ検索してみると、山歩きの記録アップでお馴染みの皆さんがこのルートを踏破済みで、飛駒三山なる呼称もあるようだ。皆さん全て左回りで、根古屋森林公園に車を置いている。今後この辺りで山歩きする機会があれば利用してみよう。

飛駒訪問は2003年12月が最初で最後。その時は新雪を踏んで黒沢西川沿いの根元山参道を辿って丸岩岳経由で野峰に至り、780mポイント経由の破線路を忠実に辿って黒沢西川に戻った。当時ウェブ上の記録はごく少数であったが、「極楽蜻蛉の山日記」や「さとやま散策」等の先行記録を事後に拝見。積雪が深くて丁目石のひとつも見ることなく、根元山参道であることすら意識することなく通り過ぎてしまったことが心残りであったが、その後再訪することなく17年も経ってしまった。

2003年時、当初は野峰から中川沿いに下って破線路峠を越えて黒沢西川に下る計画であったが、野峰山頂で遇った方のアドバイスであきらめた。帰りに黒沢西川側から破線路峠に向けて途中まで辿ってみようと思い、丸木橋を渡って支沢沿いの作業道を歩いてみたのだが、沢奥部で道筋を追えなくなり引き返した(Wayback Machine に収録されている山部さんの2003年8月15日の記録を改めて確認したところ、これは破線路ではなく、825mピークのひとつ北側の谷であった。)。2013年にたそがれオヤジさんの記録がきっかけで、2003年に辿れなかった破線路峠の呼称:花木(かぎ)峠を知る。718mポイントから花木峠まではわずかな距離。北進して花木峠を下るという選択肢もあるが、植林された暗い谷のザレた斜面を下ることになるし、車まで歩く距離も長くなる。昨年から左足裏に痛みを抱えているので長距離歩きは不安だ。718mポイントから南北どちらに向かうか、残り時間と体力で判断する。飛駒三山めぐりついでに718mポイントから花木峠まで往復した方もいらっしゃる(瀑泉さん)。

館林を意外にスムーズに抜けて田沼経由で17年ぶりに飛駒入り。老越路峠に向かっていくと、足利CC傍に誰にも咎められる心配のない広い駐車スペースを見つけた。ここから右回りすれば、帰りの登りの労を最小限にできる。準備中に足利CCの客と思しき普通乗用車が頻繁に登っていく。足利CCの入り口を過ぎるとだいぶ静かになった。峠に向かう舗装路は狭く、入り込むのに躊躇しそうな道だが、交通量は少なくない。飛駒から上がってきた軽トラックの運転手に、「どこ行くの?多高山?」と問われた。舗装路を歩いて登る奴は珍しいのだろうな。案の定、峠に登山道入り口があって登山者用の駐車場もある。先客は無し。

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老越路峠の番山記念碑

番山事業の変遷:嘉永5年に山林の持主が協議の上共有林としたのが始まりで、明治31年に番山組と改め維持規則を編成、大正11年に森林組合を設立したことが記述されている。昭和12年に記念碑を建立した理由は不明。


高度計を合わせて登り開始。程なく神様に至る。左側の根元山神の彫文字から、根元山信仰の影響が判る。右側には峠山神と彫られており、峠を切通す車道が建設される以前はこの神様の前を峠道が通っていたのかもしれない。

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左:根元山神、右:峠山神
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神仏習合の名残


植林を過ぎると急登開始。階段が設けられていなかったら乾燥した表土が滑って難儀するであろう。最も好きな樹木のひとつであるマンサクに会えたのが嬉しい。麓ではこれ一本のみであったが、山頂付近や縦走した尾根筋で数多くのマンサクが咲いていた。

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マンサク


汗をかかないように、且つ足に疲労を溜めないように意識的にノロノロ登っていった。両崖山山火事の消火活動中のヘリの音が響いていた。多高山の山頂は概ね想像していた通りの雰囲気。南東尾根の下り初めから足利CCが良く見える(南東尾根も登降可能らしい。)。

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足利CCを見下ろす
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多高山山頂


多高山の下り開始。意識的にゆっくりトボトボ歩いているおかげか、脚の繰り出しを工夫しなくても腸脛靭帯炎を発症する様子無し。果たしてどこまでもつか。

標高560mで方位を確認して正しい尾根を選択。尾根の北側だけが植林されている。500m級ピークに向けてのたかだか30mの登りが結構厳しい。500m級ピークから北進する区間はしばらく尾根両側が植林されていて特筆すべきことなし。

標高540mピークから縦走路の様子を確認できる。下ってくる予定の尾根上に凸凹があるのが見える。予備知識が一切ないので帰りのルートに不安がよぎる(「のこぎり山」なる呼称は事後に知った。特に問題なく歩けるらしい。)。

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縦走予定の尾根(624.7m三角点ピーク 〜 718mピーク)
送電線は新栃木線
背景は野峰、丸岩岳、奈良部山


この辺りは午前中は日当たりが良く、マンサクも咲いていて雰囲気良し。450m級鞍部に向けて下っていくと傾斜がきつい場所に至る(尾根を南下した人はこの場所に言及していない。登る場合は多少傾斜がきつい程度にしか感じないのだろう。)。幸い、ロープを出すことなく慎重に場所を選んで鞍部に下りることができた。鞍部から先しばらくは尾根東側が広葉樹林で快適。

県境530m級ピークの南側は大部分がヒノキ植林(谷の一部がスギ植林)だが、北側の下り始めはアカヤシオらしいツツジの木もある。下っていくと崖のような場所に至った。足掛かりのある場所を探っているうちに尾根西側に人為的な道型らしきものを見つけた。とはいえ、滑ったら命の保証はない。慎重に木の根を掴みながら通過(南下した人はこの場所を見上げた写真を掲載している。登りはまだしも下りは怖い。

難所から先は植林された尾根が続き、変化も少なく退屈。礎石と屋根しかない祠の残骸と、その近くで中途半端に切り目を入れられて枯れたアカマツを見たこと以外記憶がない。

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今のところ左足に異常はないがどこまでもつのか判らない。最悪の場合、送電線鉄塔の巡視路を利用して歩きを中断する選択もあるので、送電線鉄塔に近づいていることが励みとなる。暗い植林地を抜けて、ちょうど12時に送電線鉄塔の開けた場所に到着。予想より時間がかかった。

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新栃木線の鉄塔


昼食中に発砲音らしき音が聞こえた。既に銃を用いた狩猟の期間は終わっているが、罠にかかった獣を銃で仕留めることは許可されている。この辺りはシカの餌となる笹が乏しいのでシカの生息数は多くない。イノシシを仕留めたのかもしれないな。

さて、送電線鉄塔巡視路の存在を期待したのであるが、新栃木線・164号方面を指す黄色いアングルが立つのみで道らしきものには気付かず。程なく624.7m三角点に至る。

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624.7m三角点


この先しばらくだだっ広い暗い植林地を適当に北上。尾根の向きが北東に変わって尾根幅が再び狭まり最低鞍部を通過。718mピーク方面に登り始めて程なく、峠道に至る。現役の峠道を辿って降りてしまいたい誘惑に駆られる。

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峠と「飛駒村有林」と彫られた石柱


2024/03/20 追記 − 今昔マップの明治40年発行の地形図と昭和15年発行の地形図には飛駒村寺澤から北に抜ける峠道が記されている。名前があったとすれば「寺澤峠」だろうか。この峠道は花木峠から下る道と出合って梅田村の閉籠里に抜けていた。

「花木峠」と「(仮)寺澤峠」の用途と交通量はどんなものだったのか?梅田も飛駒も似たようなものだから交易が主ではなかったろう。もし交易があったとしても当時既に存在していた老越路の車道を利用したはず。梅田経由で根元山参りする人がいたかもしれないが、峠付近の道の抉れ具合とつり合わない。

県境はたいてい自然の地形(尾根や谷、川)沿いに設けられるが、栃木県と群馬県の県境でこの辺りだけその通例にあてはまらない。旧飛駒村の境界がそのまま県境になったためである。旧飛駒村は広大な山林を有しており、山並み2つ越えて桐生川左岸の斜面にまで及ぶ。これだけ広大な地域で林業を営んでいたのであるから、山仕事で行き来する林業関係者が「花木峠」と「(仮)寺澤峠」の主な利用者であったろう。中川側に仕事に行くにあたり、黒澤地区の関係者が「花木峠」を利用し、上彦馬のほとんどの関係者は「仮)寺澤峠」を利用していたのではないかと推測する。

718mピークは植林された山。植林関係者が使用するジグザグの歩道が整備されており、点々と赤いプラスチックの札が地面に刺してある。歩道は尾根直下まで上がって尾根西側をトラバースしていく。小尾根を回り込む場所から尾根に上がった。ベタベタ付けられたウザい赤テープ除去しててっきり718mピークに至ったと思い込んでいたのだが、後で地形図確認したところひとつ南側のピークだったらしい。

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718mポイントの南側のピーク(だと思う)


下りに辿る予定の尾根に関する予備知識を持たない。予定していた下りの尾根の凸凹が気になるし、下って行ってフェンスや電気柵で仕切られていたりしたら悲惨。尾根歩きは午前中で飽きてしまった。道路歩きが長くなるが、花木峠経由で安全且つ早く下山することに決めた。歩道の行方を追うべく尾根を降りてしまったので、718mポイントは通過していない。

歩道はしばらく標高を維持し、小尾根に沿って南西に下っていく。小尾根を登って718mポイントの北側ピークの肩に戻って花木峠に向けて北進。ナベ岩山が良く見える。

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野峰に至る尾根


中川側から花木峠に重機による作業道が上がってきており、植林されず放置されているため開放感があるが荒れた感じ。

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花木峠


下る予定の黒沢西川側は全てスギ植林。峠道の道型は古い作業道で何度も分断されている。谷の北側の小尾根上で深く抉れた峠道跡に至り、以後はこれに沿って谷底に下る。恐れていた腸脛靭帯炎の発症は最後までなかった。先週の山歩きで筋力がついた効果なのだろうか。

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峠道跡


なだらかな谷奥部の道跡は不明瞭である。しばらく間伐材が放置されていて歩きにくいが、沢に水流が現れると左岸側に道が明瞭となる。

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左岸側の道


道は黒沢西川の右岸下流側に続くが最近用いられた形跡はない。しょぼい水量の黒沢西川を渡って対面の林道に上がった。これで山歩き完了。あとは道路歩きだけ。

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黒沢西川    14:02


林道沿いにミツマタの群落を見る。あと2週間もしたら見事なものだろう。丸々とした大きなカモシカが逃げていった。

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林道入り口に「ヤマビル注意」の表示あり。シカの生息数が少ないのにヤマビルがいるのが不思議。媒介しているのはカモシカ? ヤマビルは実はアブや蚊と同様に、血なんか吸わなくても生殖活動できるんじゃないの?

沿道の梅やロウバイが満開で春の雰囲気を満喫。といいたいところだが、途中から肉刺ができてつらかった。

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駐車地から見る多高山  15:50


山野・史跡探訪の備忘録