花木峠 〜 野峰 〜 丸岩岳 〜 奈良部山 〜 新栃木線・169号鉄塔(2021年3月)

年月日: 2021年3月7日(日)

行程: 黒沢西川・沢東川合流点出発(07:51)〜 (峠入り口見過ごして約30分ムダ歩き)〜 峠道入り口(08:51)〜 花木峠(09:31)〜 760m級ピーク(10:11)〜 祠の岩場・標高約770m(10:25)〜 野峰(11:49)〜 丸岩岳(13:04)〜 奈良部山(13:51)〜 780m級ピーク(14:25)〜 断崖(たぶん標高650mの辺り)の巻き 〜 645mピーク(15:01)〜 新栃木線・169号鉄塔(15:25)〜 巡視路を辿って黒沢西川林道・立石橋へ降下(15:37)〜(顔洗い・着替え)〜 帰着(16:04)

2週連続の山歩きでだいぶ筋力も戻ってきた。先週、花木峠から飛駒に下って峠道の道筋を確認できたので、今度は花木峠から右回りで17年ぶりに野峰、丸岩岳、奈良部山を歩いてみる。

@花木峠から野峰までの区間、およびA奈良部山から黒沢西川・黒沢東川合流点までの区間は未訪である。@には鍋岩山神なる祠を安置した岩峰があるという。少なくとも2003年頃までは鎖があったとか。先週初めてその様子を遠望した。急峻な容貌をしているが、ロープを使用したとか危険で退却したという話は聞いたことがないので、予備知識なしでも問題あるまい。もう一方のAも辿った方が何人かいることは先週の記録をまとめる際に把握したが、記録は未確認。唯一の知識は、2003年頃に山部さんが奈良部山からこの尾根を下ったときにロープを使用したということだけ。危険個所はいったいどの辺りに在るのだろうか?とりあえず30mロープを持って行って、突破するかエスケープするか現地で判断することにする。

騎西から羽生にかけて、国道122号の下りの信号切り替わりのタイミングが昼夜を問わず交差点ごとに赤信号で停止するように設定されている。交通量が少ない深夜や早朝の時間帯でも停止時間が長くイライラ。混んでいる時間帯の上りよりも深夜や早朝の下りの方が通過に時間がかかるのだ。北上するときは少なくとも埼玉県内は国道122号を利用すべきではないな。先週より遅れて飛駒入り。

黒沢西川・黒沢東川合流点近くの橋手前に先客の車が2台有り。登山者のものか不明だが1台は奈良ナンバーだった。林道入り口に「Uターンできません。」と表示されているが、数か所車を置く場所が無いことはない。ただし、道が荒れ気味でスギの枝や砂利だらけなので、今所持している車で入り込む気にはなれない。山側から押し出した土砂で大きなうねりのある場所よりも奥に2台停めてあったのには呆れた。

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ミツマタ咲き始め


そろそろ花木峠の道筋がある支沢合流点だなと思い、対岸を注視しながら進むが、いっこうにそれらしき場所が現れない。だんだん沢が険しくなってきた。対岸に炭焼き窯の跡が見える。先週花木峠から下ったときには見ていないので、ようやく支沢合流点より奥に来てしまったことを悟る。対岸を注視し始めた時は既に支沢合流点を通り過ぎていたのだ。初っ端からチョンボやらかして面白くない。泥部橋よりも奥まで行ってしまったので、出発が遅かったのにさらに余裕がなくなった。せっかく遠出したのだからと思い、気を取り直して峠道に入る。

峠道は標高350mの二俣の水が流れていない右俣に続く。しばらく間伐材を跨ぎながら道型を視認できぬ谷間を進んでいくと左手の中央尾根に上がる明瞭な道跡が現れる(花木峠から下る場合は最初に出合う幅広の緩やかな作業道を素直に追えば自動的に峠道跡に入れる。)。以後はこれを辿って順調に花木峠に到着。本日は気温低めで西から弱く吹き抜ける風が冷たいが、太陽を背にして温まりながらしばし休憩。

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花木峠西側(中川側)


花木峠には中川側のどこからか比較的新しい重機に拠る幅広の作業道が上がってきている。中川側斜面は伐採後に植えたヒノキの生存率が低かったため、近年になって空地に新たにヒノキを植樹したようなのであるが、これもまたうまくいかなかったようだ。針葉樹の苗木は「土決め」という水やりしない方法で植樹する。植樹後に雨が降らなかったら全て枯れてしまう可能性があるが、普段目にする植林地は全ての樹木がすくすく育っており、失敗した例を見ることはまずない。それに比べ、ここは運が悪かったのか、植栽した業者の技術レベルが低かったのか、結果は惨めなものだ。

中川側斜面を上っていく作業道から離脱して尾根上を移動。どこでどう接続しているのか不明だが、黒沢側にも重機に拠る作業道が存在する。中川側斜面の作業道は標高690m付近で尾根を乗越して黒沢側斜面に延びている。

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作業道最高点・標高約690m


作業道を横断して760m級鋭鋒の下部に近づく(稜線直下に炭焼き窯跡があったのだが、760m級ピークの南側だったのか北側だったのか記憶がない。)。急勾配だが、樹木が疎らに生えているので登っていくことは可能に思えた。いざ取り付いてみると非常に厳しい。勾配がきつくても掴まる物さえあれば余裕で登っていけるのだが(例えば今市の月山・扇沢コース)、此処は立ち木の間隔が開き気味で、掴まるのに適度な太さの樹木も少なくて怖い。滑落したら助かるまい。小鹿野町・二子山東岳のステップを思い出した。どう考えてもこの場所をロープ無しで下れるはずがない。皆さん、どうやって下りで通過したのだろうか。昨年秋に体験したワレイワ沢からのエスケープ程ではないが、とても緊張した。ピッケルを上方に放り投げて、両手を自由にしてかろうじて手の届く細い樹木を掴んで突破。760m級の鋭鋒頂上部は針葉樹に被われて穏やかな様相。反対側の下りも急勾配だが、南側の登りに較べればたいしたことはない(後で先行者の記録を確認したところ、この場所で苦労した記録は皆無。皆さん、尾根を北上する場合は岩場を巻いて西側からピークに上がっているようなのだ。正面突破したアホは自分だけ?巻道があるようには全く見えなかった、というより、初めから正面突破しか考えていなかったもので巻道を見落として突進してしまったのだろう。峠道入り口の見落としと同じ。雑な性格は直らない。)。

次の岩場が立ちはだかる。右側(黒沢側)の下は植林地帯であり、思い切って下って巻いて這い上がることは可能かもしれない。しかし、最後の勾配がきつい。ダメ元で岩場を少し這い上がってみると足場のしっかりした巻の道筋が見えた。ところが尾根上まであと数mの斜面に掴まる物が少なく、滑る。後方に針葉樹が一本あって滑っても単純に谷底に落ちることはないと思うが、事故は避けたい。こんなときはピッケル様々。かろうじて露出している木の根の上の土をかっ穿って足場を確保して這い上がった。ここも皆さんよく突破できたものだな。下りはもっと怖かろうに。

鍋岩山神であることを示す表示は無い。鎖もなかった(見落とした?)。

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鍋岩山神  10:25
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鍋岩山神から見る中川の谷


この後も岩稜帯が現れるが危険個所なし。標高960m級のなだらかな場所はヤマツツジの木が多いようだ。野峰南ピークから鞍部にかけて汚い目印(新旧のドピンクテープと青い荷づくり紐)がべタベタ付いていたので大部分を除去。

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野峰  11:49


野峰山頂部は植林されていて、相変わらずぱっとしないピークだ。先客がいないので少し拍子抜け。

破線路分岐の近くで、初めて人と遇った。登山者ではなく、石鴨林道から下ってきた山チャリの人が故障したマウンテンバイクを修理していたらしい。

野峰〜丸岩岳は2003年に経験済みだが、積雪時だったので参考にはならない。おかげで新鮮味があって退屈しない。

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野峰から丸岩岳に向かうと何度も起伏があって疲れる。残り時間を意識しながら汗をかかないようにできるだけゆっくり移動。13年前、積雪してはいたがミヤコザサの尾根のイメージがあった。一枚の笹の葉すら見ないが、自分の記憶違いか?

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石鴨林道と交差


石鴨林道から丸岩岳山頂までの登りがきつい。ここに至って、明らかに植生が激変してしまったことを認識。当時の丸岩岳もつまらんピークだったが、現在の丸岩岳はミヤコザサが消滅して乾燥しきった彩のないピークである。よく見ると葉を食いちぎられて枯れたミヤコザサの茎や、矮小な笹の葉をたまに見かけるので、シカの食圧と冬場の積雪の減少が原因なのだろう。

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丸岩岳   13:04
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丸岩岳   2003/12/03
2003年時はミヤコザサが生えていた。


奈良部山方面に下って祠の建つ場所に至った。2004年1月時の作原分岐の様子との乖離に戸惑う。笹原の中に祠がポツンと佇む光景はもう存在しない。

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作原分岐   2004/01/31


2004年1月に奈良部山から丸岩岳に向かった時は忠実に稜線を辿った。今回は時間と体力節約のため石鴨林道に降下。

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石鴨林道に降下


石鴨林道の路面に荒れたところは皆無。丸岩岳から先、利用価値が全くない区間なのにきれいに整備されているかの様。おかげ様でだいぶ時間と体力を節約できた。

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石鴨林道終点から見る奈良部山
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石鴨林道終点から稜線に続く斜面


林道は稜線まで100m強残して終点となる。斜面が落ち葉で歩きにくい。

奈良部山の北側稜線の記憶は全くない。奈良部山南側の危険地帯の印象が強かったせいか、2004年時の記録にも記述無し。痩せた岩稜が続いて予想外に時間を食う。14:00前に奈良部山に到達して明るいうちに下れる目途が立った。奈良部山は山部山名板が健在であった。一か所齧られた跡があるが、劣化していないな。

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山部山名板  13:51


いよいよ本日の核心部・南西尾根へ。どこで行き詰るか判らないのでエスケープルートを思案しながら下っていく。黒沢東川側が植林されているが、勾配的に安全ではないし下るのは早すぎる。740m級鞍部は黒沢西川側が植林されている。下れなくはなさそうだが、林道終点より奥のドラム缶が転がっている辺りに降下することになる。645mピークに至ることができなければ、760m級ピークの植林された東尾根を利用して東沢林道に降りるのが良かろう。

標高660mで懸念していた岩場に至った。下を覗いてみたが、ハーネス無しで下るのは無理。ロープワークはあくまで最後の手段。ハーネス持っていたとしても俺はごめんだ。尾根西側の広葉樹斜面の傾斜はきついが40m程度下れば移動できそう。立ち木で制動しながら下ってからトラバース。

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巻いた岩場を振り返る


645mピークへの登りの岩場は下りでは怖いだろうな。645mピークまで達すれば半分帰り着いたようなもの。余裕で鉄塔方面へ移動。マンサクがきれいだ。

標高500m辺りで黒沢東川側で広大に植林の収穫作業が行われたばかりで、対岸尾根を眺望できる。作業道を辿れば難なく下山できるので不安が解消。

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尾根東側の広い伐採地


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新栃木線・171号鉄塔  15:25


当初は尾根末端まで辿ることを予定していた。あと1時間以内で明るいうちに下れるはず。しかし、きれいな沢水で顔を洗ってさっぱりしたいという欲求が勝り、巡視路利用で黒沢西川林道に降下することを選択。

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巡視路入り口  15:37


朝方見た車は全て消えていた。珍しく眠気を催すことなく、休憩なしで順調にさいたまに帰着。

山野・史跡探訪の備忘録