年月日: 2023年2月5日(日)
行程: 常陸風土記の丘公園(11:45) ~ 竜神山南峰の北端【36.215220N,140.236249E】 ~ 採石場西側の縁(13:10)【36.216240N,140.233028E】 ~ 竜神山北峰(13:30 - 13:45) ~ 採石場西端に復帰 ~ 西に開いた谷の廃林道 ~ 水路沿いの藪化した道 ~ 八郷線鉄塔【36.217947N,140.228209E】 ~ 溜池の末端(14:21)【36.218657N,140.225806E】 ~ 根古屋新田の農道 ~ 畜産センター ~ ふるさと農道 ~ 常陸風土記の丘公園(15:20頃)
どこか史跡めぐりしながらハイキングできそうな場所が近場にないものかと、地図を見ながら物色。石岡市の田園地帯が面白そうだが、どこを起点とすべきか(どこに車を置くべきか)検討するのが面倒くさい。初めての場所で不案内につき、確実に駐車可能な常陸風土記の丘公園を起点として、その周囲の丘陵地帯を適当に歩いてみようと思った。この時点で竜神山なる名称を把握してはいたが、主目的は田園地帯のウォーキングであって、竜神山は遊歩道があるなら立ち寄ってもよいかなというオプション的な位置づけだった。結果、なりゆきで登ってしまったのだが、行きはよいよい帰りは恐い。脱出時にとんでもない藪漕ぎを強いられることに。竜神川もそうであったが、茨城県の竜神の名の付く場所は自身にとって鬼門である。藪漕ぎの最中は気持ちに余裕無かったが、事後に今昔マップ参照しながら事の顛末を振り返ってみて、なかなか面白い地域であると思う。
ナビ任せで常陸風土記の丘公園に向かった。公園入り口に気付かず通り過ぎ、Uターンする場所を求めてふるさと農道に入り、戻ってくる過程で竜神山の入り口と獅子頭展望台の入り口を把握。常陸風土記の丘を通り抜けて竜神山に登れるということだ。この時点で主目的ではなかった竜神山に立ち寄ることに決定。
今回は行き当たりばったりのウォーキングが目的であるから地形図の類は準備していない。染谷古墳群を訪ねてから獅子頭展望台方面に向けて適当に進行。
竜神山入り口から太陽光発電施設をかすめて車道を30数m登ると高台の広場に至る。ここには竜神山の雲母片岩の成因に関する解説がある。常陸風土記の丘公園内の染谷古墳群の解説に拠れば、古墳の石室は竜神山の雲母片岩を組み合わせて作られているという。
広場からジグザグの遊歩道に沿って登る。山道の西端をかすめるように作業道跡らしき溝(地形図上の実線)が伸びている。山頂に家族連れが居るようなので、山頂には帰りに寄ることにし、まずは竜神山の北峰(村上側/雄龍側)のお姿拝見すべく北端に向かって稜線を適当に進んだ。歩道はない。地形図上の実線が北端まで続いているが藪化している。
北端から見る光景は異様なものであった。自宅で地形図見た時に採石場の存在は予想していたが、まるで東秩父村の観音山の如し。いや、観音山よりも迫力がある。現在地の直下は崖で、立ち木があって下方が見えない。下方がどうなっているのだろうと思い、勾配の緩い場所を選んで慎重に降りて行った。採掘後の低地にできたエメラルドグリーンの沼が美しい。
自分が下っている場所はおそらく採石の初期に削られた場所なのであろう。雑木や藪に被われているが、採石場特有の段差が認められる。西に移動しながら茨藪の緩斜面を見つけて突破することを繰り返し、約90m下って採石場の縁に着地。おそらく入り口には関係者以外立ち入り禁止の表示があるのであろうが、自分のルート上にそんな警告は一切無いし、柵も無い。現役の採石場かどうか知らないが、誰もいないし、縁を移動する分には危険はないのでそのまま竜神山北峰に向かう。
竜神山北峰は植林された山だが、これからも山を崩す予定があるのか、山頂部の樹木が伐採されていて眺めが宜しい。作業道跡を辿ってさらに北側を探索してみようとしたが、茨藪が酷くあきらめた。この際、ジャケットに裂け目発生。腕が傷だらけ。
山頂から下っていく道らしきものが見当たらない。東側斜面は麓まで植林地のようであるが、安全に道路に抜けることができるのか不明。北側はゴルフ場で行き詰る可能性大。往路の茨だらけの急斜面を戻るのも嫌。採石場の西端から平坦な場所(畜産センター)まで距離も高度差もわずか。しかも麓に人家なく、トラブルになる可能性はない。ふるさと農道を歩いて帰ろう。
ふるさと農道を走る車を眺めていて奇妙なことに気付いた。西側から走ってくる車が畜産センター内の道と交差する前に消えてしまうのだ。スマホで地形図を確認して、ふるさと農道が畜産センター内の南北方向の道路と立体的に交差しているらしきことは判った。その辺りでふるさと農道はトレンチ構造になっているらしい。この時はどうしてそのような構造になるのか理由が判らず、簡単にふるさと農道に抜けられるのであろうとたかをくくっていた。
採石場西端の辺りから西に開く谷の中に古い砂防堰堤がある。谷底の廃林道を辿っていくと閉じられた鉄の扉に至る。おそらくこの辺りで南に向かう地形図上の実線に相当する道跡があったと思われるが、進行方向左側が湿地であり道があるようには思えなかった(見落とした?)。そのまま廃林道を進んでいくと谷地に至る。畜産センターの平地は谷地の対岸側の丘の上にあるはずだが、現在地から見えるのは猛烈な密度のアズマネザサ藪だけで、その向こう側は窺い知れない。直線距離では目と鼻の先みたいなものだが移動することができないのだ。北西に開く谷地は見渡す限り耕作地も人家も見えず、大回りになることが確実。そして現在いる谷地の縁沿いの林道は現役ではなく、蔓混りのアズマネザサ藪になっており、倒木にも遮られる。選択した下山ルートは完全に期待外れで、今年最初のお気楽低山歩きのつもりがとんだ藪漕ぎとなった。常陸風土記の丘公園の閉園時刻(16:00)が気になって焦りを覚える。
送電線(八郷線)の鉄塔が近くに見える。そこまで行けば巡視路があって楽できるのではないかと期待して藪漕ぎ。しかし、道跡の横にコンクリート製の水路と1.5m程度の高さの白い柵が並走し、送電線鉄塔はその向こう側にある。幸い、白い柵は上部が安全な造りになっていて越えるのは容易であるが、送電線鉄塔の周りに巡視路らしきものはない。??? ちなみに、八郷線の鉄塔の実際の位置は、この辺りだけ地形図上の位置と大きくずれている。
葦が茂る湿地(溜池)周りの土手を移動するしかない。地形図上は実線で道があるように描かれているが、実態は蔓性植物が繁茂するただの土手である。冬枯れしているからなんとか移動可能であるが、温かい時期は移動困難と思われる。
再び柵越えして田んぼに脱出。水路沿いに畔を歩いて農道に抜けた。
畜産センターの平地は、今しがた抜けてきた谷地の西隣の谷戸の水田より15m程度高い。丘上と水田の間の斜面は白い柵と猛烈な密度のアズマネザサ藪で仕切られている。谷地の下流側に抜けてきたのは正解だったのかもしれない。
根古屋新田からふるさと農道に抜けた。この辺りから見る竜神山の構図が良い(写真撮り忘れ。)。接続点の辺りではまだふるさと農道がトレンチに潜っていない。鬼越峠(丸山105mと竜神山南峰の間)側にも畜産センターの入り口が見える。トレンチの中を歩いて大回りしたくないので畜産センター内を真っすぐ突っ切ることにする。
畜産センター入口には、家畜防疫のための消毒施設が設置してあるらしいが、車両の消毒用であって、人を対象としたものではない。今はコロナ対策で一時的に中止しているようだが平時は一般公開も行われているし、そもそも鳥や小動物は敷地に勝手に出入りしているのだ。建物から遠く離れた場所を歩く分には問題あるまい。使われていない広い駐車地を通り、意味不明の小さな公園っぽい場所の階段を登って畜産センターの平地に上がった。あとはふるさと農道に面した東側の門に直行。門は閉鎖されてはいるが、ありがたいことに人が潜り抜けられる高さに窓が開いている。難なくふるさと農道に復帰。鬼越峠で早くも咲き始めている菜の花を収穫して、時間に余裕をもって常陸風土記の丘公園に帰着。
ザックの両側のポケットにアズマネザサや枯れた蔓の屑が大量に詰まっていた。場所と季節次第ではツツガムシ病になりかねないような藪漕ぎであった。
畜産センター周りの不思議な地形の理由と、竜神山の変遷を知るべく、帰宅後に今昔マップを参照してみた。
現在の畜産センターの敷地は元々は人家のない丘陵と谷戸(丘陵大地の雨水や湧水等の浸食による開析谷を指し、三方(両側、後背)に丘陵台地部、樹林地を抱え、湿地、湧水、水路、水田等の農耕地、ため池などを構成要素に形成される地形)であった。後背地を切り崩し、丘を均し田んぼとして利用されていた低地を埋め立てて造成した平地なのである。現在地に畜産センターが移転したのが2000年のことであるから、谷戸が消失したのは1990年代末のことであったらしい。
一方、竜神山はかつて標高209.6mの三角点を持つ山であった。今昔マップを見る限り、採石を開始したのは戦後のことのようだ。山頂に神様があったのか不明だが、村上にも染谷にも佐志能神社があるのだから竜神山は地元の信仰の対象であったろう。その本体が消失してしまった。東秩父村の観音山に通じるものがある。