男鹿岳 (矢沢から大川峠経由の周回、2015年7月)

年月日: 2015年7月26日(日)、27日

初日行程: 矢沢ゲート出発(05:23)〜取水堰(06:05)〜奥二俣・892mポイント(10:45)〜標高1350m付近で着替え(13:45)〜男鹿岳山頂(17:25)

台風11号がもたらした降水で那珂川の水位が川堀(こうぼり)地区で6mも上昇。底石が動いたであろうからしばらくアユ釣りはできない。今回の増水で川相に変化が現れて8月頃に良いアユ釣りができることを期待して、それまでの間に1年に1度の渓流釣りを兼ねた山歩きに行くことを計画。まる1日費やしてフライを準備し、あとは最良の実行タイミングを計った。天候の安定しそうな7月下旬に1日休暇をとって3連休とし、レンタカーの空き状況を見ながら台風12号の進路を見極めて、土日、若しくは日月のどちからか天気の好い方を選択する。

渓流釣りを始めた頃、2001年から2003年にかけて3年連続で早春の矢沢に入渓し、いずれもゲートから4〜5km辺りまで遡行して引き返している。最後の訪問時の計画は、残雪の矢沢を詰め上がり塩那道路を歩いて戻り本部跡から再び矢沢に降下するというもので、自身にとって初めてのテント泊も経験するはずでもあったが、ゴーロを歩くうちに足首に違和感があって怖気づいて中止してしまった。もし実行していたら、当時の経験と装備では奥のゴルジュ手前で途中退却した可能性が高く、遭難したかもしれない。水量が多い取水堰以遠で自分が遡行した範囲はほとんどがゴーロ沢で魅力的な釣り場が存在しないことから、これ以降、矢沢奥に入り込んだことは無かった。

悪場の少ない木ノ俣川を最奥まで遡行した昨年の経験を参考に、12年前に中止した矢沢遡行の可能性を再検討した。最低でも最奥の二俣辺りまで遡行して、フライでイワナと対面したい。天候が安定していればそのまま矢沢奥部を詰めて男鹿岳に登る。帰りは自身にとって未経験のルートで大川峠に下り大川林道を歩いて戻る。男鹿岳山頂または大川峠を山中泊の候補地とし、当日の時間と体調次第でいずれかを選択する。もし天候が不安定で大川沿いに戻るのが得策でない場合には塩那道路に逃げてしまえば良い。

山歩きの計画は完成した。とりあえず天気が最も安定していそうな26日と27日に合わせてレンタカーを予約。でも台風12号という不確定要因のせいで前日(25日)になっても天気予報がコロコロ変わる。栃木・福島の県境の天候が不安定な場合の代替案として秩父往還を歩いてみようかと思った。たった標高2000mでも長時間滞在すると高山病の症状が出る体質なので、標高2000m以上で山中泊しないことが山歩きの必須条件だ。残念ながら一泊二日の行程だと秩父往還はその条件を満たさない。やはり栃木に行くしかないな。

栃木では所によって雷雨の予報であったが、会津の降水確率が10%以下であるため好天を確信し、深夜、目的地に向かった。平野部はとても蒸し暑く、車の窓を開けて手を風に晒すとしっとりと湿る。関谷を過ぎると湿度がやや下がり適温となった。板室温泉の駐車場で車中泊。午前1時半頃に就寝。

26日、空が白みかけると始まるけたたましいヒグラシの声で一度目が覚めた。再び目を覚ました頃には十分空が明るくなって、既にヒグラシの騒音は消えていた。朝食を摂って準備を済まして矢沢ゲート前の広い路肩に移動。釣り客の車が2台あって、持ち主はまだ暗いうちに出発した模様だ。

矢沢沿いの林道を歩いたのは2010年に矢沢沿いの旧道を踏査した時以来だ。旧道は林道よりも高い場所にあり、奥に進むにつれて徐々に近づいてくる。矢沢への人間の関与は大正時代の森林伐採に始まるので、旧道は森林伐採の頃には既に存在していはず。

矢沢,旧道の石積み
現在の林道が建設される前に使われていた歩道の石積み
       


最初に横切る右岸側支沢の上流に大きな砂防堰堤があって、砂防堰堤の下部で湧き出る水が水源となっているために土砂が流入しない。このため支沢合流点の大きなプールは12年前と同じ姿を保っている。水面で暖かい空気が冷やされて靄が発生している。イワナが何匹か走るのが見えた。

矢沢の水は取水堰でほぼ全て深山湖に導水されてしまうため、取水堰直下では涸れ沢状態となり、通常下流部に流れる水は取水堰下流側で合流する支沢の水のみである。取水堰下の区間で釣りは未経験だが、水量が少ない分、流れが穏やかで、沢底も広くてフライフィッシングに向いているように見える。右岸崖に付けられた林道から大きな滝が見える。取水堰建設以前はさぞ迫力があったことだろう。

現在の林道の原型が造られた年代は把握していない。大正時代の運材のために既に存在していた可能性もあるし、昭和時代の鉱山開発時に設けられたのかもしれない。数か所で崖同様の危険なルンゼに橋を渡す必要があったのであるから、それだけの額を投資するに足る事業がかつて行われたということだ。はっきりしているのは、深山ダム建設以前から林道が存在していたことと、取水堰までが現役区間であるということだけだ。

取水堰に「ミミズちゃん熊太郎」の空き箱が2つ置いてあった。この類の連中がいるから渓流釣り全体のイメージが悪くなる。

隧道で深山湖に導水する取水堰
隧道で深山湖に導水する取水堰


取水堰上流は左から支沢が合流する広いゴーロであり、12年前と大きく変わった様子は無い。石の堆積が増して、12年前にかろうじて上部が出ていた支沢のコンクリート製の橋がどこにあるのか判らない状態になっていた。

広いゴーロの分流沿いに進み、本流側にいた1名の餌釣り客をパス。

地形図上は取水堰以遠にも右岸側に実線の道が記載されているが、実際の道跡はコンクリート製の橋で左岸側に移る。12年前は橋の下を潜れる状態であったから、堆積物の高さが1m以上増したようだ。

矢沢の旧林道の橋
取水堰上流のゴーロに残る旧林道の橋


左岸側に移った林道は古い大きな砂防堰堤を越えていく。この先は、左岸側に残るコンクリート製護岸を最後に人工物を見ることはない。沢水に削られたり埋もれたりして消失した区間が多く、残存区間も藪化が著しく既に遺跡だ。

矢沢はとにかく単調なゴーロ区間が長く続く。おそらく右岸支沢合流点の辺りだったと思うが、先行者のフライ釣りの2名に追いついた。彼らは奥二俣までは行かないとのこと。その先に行きたい旨を伝えて、先行させていただいた。できるだけ彼らが竿を出しそうな場所は遠慮して、十分奥に進んでから釣り開始。

ニッコウイワナ
矢沢のニッコウイワナ


矢沢は基本的に開けたゴーロ沢であり、イワナが浅い開きに定位している今の時期は特に餌釣りのポイントが乏しい。それは逆にフライフィッシング向きということでもある。イワナが少ないという話を聞くが、決してそんなことはない。ここぞという場所はことごとく良型がフライに反応してくれた。第一の目的は達成したので、後は遡行に徹する。

矢沢最奥の二俣・892mポイント
最奥の二俣・892mポイント


矢沢の石は隣の大川と同様に白っぽい石で、表面が酸化して赤茶色に変色している。このため、水は澄んでいても、大蛇尾川や木ノ俣川のような青い淵を見ることは無い。また、岩質が脆いことが開けたゴーロ沢を形成する主な原因と思われる。

最奥の二俣を過ぎても渓相に変化は見られない。3m程度の滝から先は谷幅が狭まり山岳渓流っぽい雰囲気が出てくる。

矢沢右俣の滝
右俣(本流)の滝(3m程度)
矢沢屈曲部・標高980m付近
右俣屈曲部・標高980m付近


本流に悪場は存在せず、プールを伴うナメが何度も現れる。

矢沢奥部
矢沢奥部


どのナメもゴーロの石と同じ組成の白っぽい岩で、苔が付着して緑の斑点模様がある。水流の中で苔が付着しているということは、矢沢の奥では水量が安定していて濁流が暴れることが少ないことを意味する。矢沢奥の広大な原生林がたっぷりと水を貯えてくれるのだろう。矢沢奥部は巨大な緑の貯水池なのだ。

矢沢の苔
緑の苔の斑点模様が特徴


標高1,040mで、左岸から数段から成る落差30m以上の滝を持つ水流が合流する。その少し奥で、右岸からも水流が流れ落ちる。

矢沢右岸から落ちる水流
右岸から流れ落ちる水流・標高1060m


既に魚影の消えた領域であるのに、ときどき、かすかに人の踏み跡らしきものを視認できる。矢沢の奥地で伐採が行われたという情報は得ていないが、沢に転がっていた古い大木にはきれいな切り口が認められる。

踏み跡らしきものはサンショウウオ漁の人が残したものであった。彼らは男鹿山地の沢奥を知り尽くしているのではないかな。

矢沢奥の人跡
かつて人の手が入った痕跡
サンショウウオ漁の遺物
サンショウウオ漁の遺物・標高約1200m


矢沢最奥部の標高1600m以上の広い範囲の降水が全て標高1180m〜1230mの範囲で合流する。おそらく本筋に沿って進むと男鹿岳山頂に向かって南西方向に急峻に突き上げる沢に入ってしまうと思われた。この沢は最後は崖で行き詰る可能性が高い。よって、真南に向かって緩やかに突き上げる沢を詰めて男鹿岳と1754mピークの中間地点に抜けるつもりであった。自宅で事前検討し、詰め上がる沢を選択する高度チェックポイントとして地形図に「1280m」と書き込んでおいた。

1280mに到達する前に進行方向左側に比較的大きな支沢が現れる。水が流れていなかったので進むべき沢ではないと判断し、方位を確認して水流のある沢を遡行。次第に水が細って全ての石が緑の苔に覆われるようになる。緑の階段を登っている感じだ。

苔の沢
苔の沢・標高約1300m


標高1280mまで上がってみても支沢が合流する場所には行き当たらない。水が完全に涸れた場所で藪歩きの服装に着替えてから方位を確認すると、なんと遡行している谷は南西方向を向いているではないか。避けるべき谷を登っていたのだ。何故こんなミスを犯したのか?よく地形図を見ると、1230mを1280mと読み違えて数字を記入したことが判明。なんてこったい。自宅で検討した時点で既に誤っていたのだ。

本来辿るべき沢に入るには沢靴に履き替えて120m下って登り返さなくてはならない。長い沢遡行の疲労でよろめき、男鹿岳に登り切れるかどうかも怪しい状況だというのに、体力を浪費したくない。120mの登り直しをケチって右岸側の尾根に取付いた。勾配がきつい斜面だが、ヤマアジサイや細いチシマザサを掴んで草付斜面を突破して樹林帯に入り込み標高1400m辺りで尾根上に抜けた。これだけで普通の藪歩きの労に相当する。

この尾根はほぼ一定勾配で男鹿岳山頂に向かう。岩場が無いので時間をかけさえすれば登頂が約束される反面、沢を詰める当初案に比べ性質の悪い藪を長距離・長時間漕がなくてはならない。昨年のひょうたん峠に詰め上がった時ほど酷な条件下ではないが、気温が高くて風の無い藪尾根を約400m登りきることができるだろうか。

尾根上にアスナロの大木が生えていたので楽に登れそうに思えた。ところが、大木はまばらに生えているだけで基本的に明るい藪尾根であり、低いアスナロ、シャクナゲ、ツゲの藪を躱すのに四苦八苦。ロッドケースが特に邪魔で、枝に引っ掛かって登りが捗らない。藪中にカモシカが辿る道が存在するのだが、角が短くて藪中の行動にも優れるカモシカと異なり、ザック担いだ人間はすんなりと辿れない。藪が密すぎて掻き分けることができず、枝の間を体を最初に通しておいてザックを引き上げる、またはその逆という場面もあった。疎林であるため、景色を眺めながら休憩できることが唯一の慰めである。

矢沢源頭部
藪尾根登りの途上(標高約1620m)で見た矢沢奥部


全身を使う藪漕ぎで、ほんの10m登っただけで心臓バクバクで汗が滴る。まめに休んで汗が引くのを待って藪漕ぎ再開する繰り返し。時間がどんどん過ぎていく。足だけでなく両腕も両方の掌も痙攣する。本日中に大川峠に行くのは時間的にも体力的にも無理。男鹿岳で一泊することを覚悟し、時間を有効につかう。

男鹿岳に突き上げる藪尾根
藪尾根登りに辟易・標高約1670m


昨年の木ノ俣川遡行時のようにヌカカにまとわりつかれることはなかったが、ヌカカがいない代わりに大きなアカウシアブの生息密度が高い。こいつら鈍いので刺される心配はないものの、常にブンブン周囲を飛び回るのでムカつく。帽子を振り回して追い払っているうちに帽子のつばに挟んでおいた偏光グラスを失ってしまった。この山域でこれまでいったい幾つ失ったのだろう。

男鹿岳山頂の南側で踏み跡に抜け出て、11年振り、2度目の無雪期訪問(初回:2004/07/18)。想定外の400m超の藪漕ぎに3時間40分も費やし、自分の経験上、最もハードな藪尾根登りになってしまった。

男鹿岳山頂
男鹿岳山頂


男鹿岳南の肩から見る眺めは秀逸。2004年に来たときは霧の中で何も見えなかった。10年越しの思いを成就できて労が報われた思いだ。

男鹿岳南側からの眺め(三倉・大倉〜那須岳)
男鹿岳南側からの眺め(三倉・大倉〜那須岳)


男鹿岳南側からの眺め(大佐飛山)
男鹿岳南側からの眺め(大佐飛山)


携帯電話のニュースが、本日、東北南部の梅雨明けが発表されたことを報じていた。道理で会津方面がスッキリ晴れ上がっている訳だ。少なくとも今宵から明日午前中にかけて天候が崩れる心配は無い。まだ太陽が高い所にあるけれども、本日は体を休めることを最優先して男鹿岳に泊まることに決定。

激しい藪漕ぎを終えてしばらくすると掌が勝手に痙攣を起こす。今回はいつもより早く、テント設営前に痙攣が始まった。痙攣を抑えながらテント設営、着替え、食事を済ませ、痙攣が収まるのを待って就寝。月明かりがあって、適温の快適な夜であった。

二日目行程: 男鹿岳山頂出発(06:13)〜1701mピーク通過(07:50)〜大川峠(07:50-08:10)〜大川林道ゲート(11:00)〜矢沢ゲート前に帰着(12:25)

翌朝、汗臭い濡れた服に着替えて出発。初めから濡れているから朝露は気にならない。頭痛というほどではないのだが、空気が薄いことが原因と思われるすっきりしない感じがする。高度が下がれば自然に治まるだろう。

塩那道路からの踏み跡が明瞭であるのに対し、大川峠方面には踏み跡が見当たらない。大川峠ルート利用者のほとんどが山頂部に厚く雪が残っている時期に登っていることを示す。比較的新しい赤布が胸の高さに付けられているのだから、近年の無雪期に大川峠から藪漕いで登った人がいることは確かだ。

下りの核心部は山頂から特徴の無いチシマザサ藪の斜面を北西方向に下って標高1695mの尾根が派生する場所に入るまで。山頂部で踏み跡が見あたらないし、誰が付けたか不明の赤布の位置・方向に信頼が置けなかったので、高度計と方位磁石を頼りに藪を下った。目的の尾根派生箇所に近づくと再び赤布が目に入り、やや不鮮明な踏み跡に至った。この辺りまで既に雪が消えている時期に登った人が少なからずいるということだ。

大川峠に向かう尾根の藪は昨日登った尾根の藪にくらべればたいしたことないが、踏み跡がなかったらそれなりに難儀することだろう。踏み跡も不鮮明箇所多く、うっかり見失う場面が何度もあった。今年の賞味期限のウィーダーインゼリーの容器とストックの先端を拾ったこと以外、特筆すべきこと無し。眺望悪く実に退屈な尾根である。無雪期に男鹿岳だけを登るのが目的で行くのなら、私的には開放感のある塩那道路経由ルートがお薦め。

休憩なしで下りを続けても、大川峠まで一時間半以上要した。男鹿岳で泊まって体を休めたのは正解だったな。

大川峠
大川峠(福島県側から上海岳方面を見た図)


雪の無い時期に来たのは初めて。2005年に山部さんが大川峠から上海岳に登ったときは福島県側の道路は走行可能な状態であったが、福島県側の道路も放棄されて久しいらしく自然に回帰しつつある。

ノリウツギ
ノリウツギ


日差しが強烈で今日も暑くなりそうだ。既に男鹿岳上部に雲が発生している。雷雨に遭わぬうちにさっさと大川林道を辿って戻ろう。

大川林道の荒廃と藪化が著しく、8年前の姿からの変わり様に驚いた。法面補強のコンクリートの大部分が剥がれ落ちて積み重なり、かすかに残る踏み跡は両側から太いウツギやヤナギが交差して辿れない。最初のヘアピンカーブで折り返すまでは藪漕ぎそのものである。ヘアピンカーブ以降は路肩側の樹木が茂って日射が遮られるため、概ね藪が薄く比較的歩き易くなる。

上ウミ沢に架かる橋には竣工時期と橋の番号を示す銘板が残っている(数字は覚えていない。以降の支沢の名称は烏ヶ森の住人さんの記録を参考にしました。)。上ウミ沢はかなり荒れた状態にあり、大川に土砂を流入させている主犯の一つのようだ。

帰りはお気楽に大川林道を歩くだけなので上ウミ沢に架かる橋・標高1001mポイントよりも下流部の地形図をコピーしてこなかった。無雪期に歩いたのは初めてなもので距離感がつかめない。大川上流や上ウミ沢にはそこそこの水流があるのだが、下流に進むと水流音が消え、谷底に公園として整地したかのように平らな場所が現れる。下ウミ沢合流点の上流側に最奥の巨大砂防堰堤が存在し、蓄積した土砂で広いゴーロが形成されている。

下ウミ沢及びクワ沢は上ウミ沢よりは荒れていない。橋もきれいに残っている。この辺りから渓流釣りと思しき人の足跡をみかけた。どの辺りであったのか覚えていないが、完全に道が崩落消失してしまった場所が存在する。

大川林道最奥の崩落箇所
大川林道最奥の崩落箇所


クワ沢を過ぎてしばらくして第二の砂防堰堤に至る。砂防堰堤の左岸側が破られて道も削られて川床となっている。2008年当時も道が消えかけていた場所だが、今はそこに道があったことすら判別できない。ここで小休止して服を水洗いしてさっぱりした。

大川本流に架かる橋(名称確認せず)を右岸側に渡る。荒れる本流の流れをもろに被ったようで、橋の上に土砂が堆積している。2010年時はこんなに荒れた様子ではなかったし、橋の上に樹木が成長しているところを見ると、何年か前に上流の道路を流失させた程の豪雨の跡なのであろう。この橋から上流側の状態は総じて2005年時に辿った大塩沢林道とたいして変らない。

ワサビ沢合流点の上流側にある橋
大川林道・ワサビ沢合流点の上流側にある橋


県境一帯の地質が原因と思うが、大川は標高980m地点の最奥の大堰堤をはじめとして幾つか大堰堤が築かれているにもかかわらず、大雨時には増水して暴れまくる。県境の反対側を流れる加藤谷川も似たようなものだ。個人的に釣り場としてまったく魅力が感じられないし、釣れるようにも思えないのだが、ゲートに至るまでに釣り客を3名見た。

2007年残雪期に大川林道を歩いた時は、1486.7mピークから流れ下る支沢合流点の少し奥で林道が完全に失われていた(2007/04/14)。同年にワサビ沢入口に砂防堰堤を建設するために一時的に林道を整備したため、2008年残雪期に歩いた時(2008/04/12)は大川峠まで、2010年残雪期に歩いた時(2010/04/04)も少なくともワサビ沢合流点までは問題なく辿れた。その後一切手入れされていないらしく、2007年残雪期よりも荒廃が進んでいる。雨量計よりも下流側でも道が消失したり埋もれたりした場所が数か所存在し、ゲート近くでも道が塞がれている場所在り。

雪崩で押し流されてきた大木
右岸尾根から雪崩で押し流されてきた大木


時折、クズとは異なる良い香りが漂ってくる。深山湖沿いの舗装路を歩いているときにようやくその正体が判明。都内のちょっとした緑地でもみかけることがあるクサギの花が源であった。実もきれいで花の香りも良いのにこの命名はかわいそう。

クサギ
クサギ


深山湖バックウォーターを見下ろす伐採地で一休みしてから一気に矢沢ゲート前まで歩き通した。矢沢ゲート前には今日も自車以外に2台の車があった。着替えしようとしたら、昼食休憩中の老釣り師がおにぎり頬張りながら話しかけてきたものでパンツの履き替えができない。20分近く話につきあわされてしまった。黒磯方面の方で、平地は暑くて居場所がないから3時頃までここで時間を潰すとのこと。

「幸乃湯」に寄ろうとしたら、あいにく団体客が入っていて下駄箱が塞がっており、入口に袋が置かれ、靴を袋に入れて浴室に持ち込めと書いてある。一旦袋を取って靴を脱ぎかけたものの、気に入らないので止めた。矢板の「城の湯」でも入ろうかと思って関谷方面に向かう際、「塩原あかつきの湯」なるものの案内を発見。雑木林と畑が広がる何も特徴の無い場所にそれはあった。結構人気があるらしい。アルカリ性(PH9.2)で肌が溶けるヌルヌル系の温泉である。おかげで2日分の垢を落としてスッキリ。日帰り入浴¥800なり。

那珂川の様子を確かめながら南下。八溝大橋の近くで眠気を感じ、大桶運動公園の駐車場の日陰でクーラーつけて20分程度仮眠していたら、窓ガラスをゴンゴン叩かれて起こされた。このくそ暑い真昼間に職務質問とはまいったね。俺の行動パターンが普通ではないことが原因ではあるのだが、「何で・・・」「何で・・・・」となかなかしつこい。俺のどこを叩いても藪から持ち帰ったゴミ以外何も出てこないよ。仕事以外のことで会話する機会がほとんどないので、今日は普段の一ヶ月分くらい話をしたような気がするな。携帯電話の目覚まし設定が誤っていたから、起こされてよかったのかも。おかげで契約の時間内に車を返却できました。

山野・史跡探訪の備忘録