ホーロク平とは?
寄居でマタタビ探し
諏訪峠とそば街道
磐梯山・渋谷口と猪苗代湖・白鳥浜
今年も忍者熊現る。
今年最後のワラビ採り
庭の植物
姫筍採り
田舎で山菜採り
小法師岳周辺のツツジ
利根川散策
琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳
志多見砂丘
ホーロク平とは?
今年(2023年)は実家の畑や庭の手入れに専念。元々好きなことに回帰して山歩きからはすっかり足を洗った感あり。山に関してウェブ検索する頻度も減ってはいるが、引馬峠関連の記事で気になる情報を目にした。
引馬峠や峠道に関する情報は2007年の山部さんとノラさんによる亡失した水準点の再発見を以てほぼ出尽くしていると思う。しかし、当時の盛り上がりは15年以上も前のことでご存じない方も多かろう。当時の情報のうち現在は検索できないものも少なくない。そのためか、60年以上前に完全に放棄された峠道に興味を抱いて探索する方は今もなお存在する。
2023年3月にウェブ上に公開された記事(*1)の作者は、ホーロク平とは栃木県側の1896mポイント辺りのなだらかな丘陵であると断定している。もうひとつ、2022年10月の記事(*2)も同じ場所をホーロク平と推測している。いずれも下記の文献に基づく。
沼井鐵太郎 「黒岩山を探る」(大正9年10月末の記録)
『岳人』に納められている記録らしいが、現在はインターネットの青空文庫で参照可能。
*1 「樵路巡遊」
*2 「空と星と山と」
2005年に引馬峠越えをした故越前屋氏もまた、1896mポイント辺りでコンパスを紛失してワンデリングしたが故にここをホーロク平であろうと推測していた。今となっては確かめる術はないが、ひょっとしたら沼井鐵太郎の記録を把握していたのかもしれない。
自分が引馬峠越えの道筋に興味を抱いたのが2004年。同年の初訪問含めて計3度引馬峠を訪問し、自分の引馬峠の関心事は完遂している。「ホーロク平」の本当の場所がどこであろうがどうでもよいことではあるのだが、*1の記事には個人的に座視し難い表現が含まれている。そのひとつが以下の記述。
「ホーロク平の位置を誤って記しているネット記事が多数あるが、沼井鉄太郎の記録に「一八九二米の一帯」(現在の一八九六独標)と明記されている。」
自身の記録は現在でも検索ワード「引馬峠」でヒットする。*1の作者はウェブで事前調査したようであるから自分の記録も上記の多数のネット記事に含まれているのかもしれない。知らなかったとしても、ウェブ上で最初に「ホーロク平」に言及したのが自分の2004年の記録であるため、「ホーロク平の位置を誤って記しているネット記事が多数ある」原因の少なくとも一部は自分にあることになる。沼井鐵太郎の記述の正確性を検証することなく、公正な検索エンジンとはいえない google の検索上位のサイトの情報に基づいてコンセンサスが形成されてしまうことがあってはならないと思う。
自分の推定は誤りなのだろうか?以下に考察してみたい。
<自身が推定したホーロク平の位置とその根拠>
インターネットが現在ほど普及していなかった2004年当時、引馬峠や平五郎山尾根に関する情報は極めて乏しく、少なくともウェブ上に「ホーロク平」に関する情報は見つからなかった。当時自身が把握していた「ホーロク平」に関する情報は、たまたま宇都宮図書館で発見した橋本太郎著の『奥鬼怒山地 明神ヶ岳研究』 のみである。
『明神ヶ岳研究』はホーロク平の位置を特定していない。自身の記録のホーロク平の位置は、『明神ヶ岳研究』、『山人の賦Ⅲ』、および自分の足で栃木県側の峠道跡を辿った経験に基づいて推定した場所である。
『明神ヶ岳研究』から得られるホーロク平に関する情報は以下の4つ。
①引馬峠から川俣側に少し下った所
②明治時代には無人交易小屋が置かれていた。
③ホーロクは会津の方言で(迷う)という意味である。
④薬草採りが迷ったことがあるとか
『山人の賦Ⅲ』の記述によれば無人交易小屋は引馬峠に置かれていたとされているから、①と②の情報と合わせると、ホーロク平は引馬峠と一続きの場所であり、マクロ的には引馬峠と同一視される場所であったろう。この条件に合致する栃木県側の平坦な場所は一か所しかない(【36.922532N,139.429645E】)。そして、無雪期に2度、残雪期に1度訪問して③を実感。この場所であれば檜枝岐と川俣の中間点であって無人交易小屋を置くには距離的に最適、北西風が当たらず穏やか、水場にも近い等のメリットが得られる一方、デメリットはひとつもない。
<ホーロク平を1896mポイント辺りであるとする根拠>
位置を明示する記録は先述の沼井鐵太郎の記録のみ。沼井鐵太郎の記述が正しいことを裏付ける資料は今のところ存在しない。
<ホーロク平を1896mポイント辺りであるとした場合に生ずる疑問・矛盾>
①1896mポイント辺りには水場が無い。水場が得られない場所に小屋を設置するだろうか?
②檜枝岐と川俣の中間地点である引馬峠から川俣側に片寄りすぎており、無人交易小屋の置き場としては時間的・労力的に不適である。
③自分が残雪期に歩いた経験では1896mポイント辺りは周囲の地形を把握できる。路が見えない冬場であっても吹雪や濃霧に遭わない限り迷うことはない。
④アオモリトドマツとダケカンバとチシマザサ藪しかない植生であり、薬草採りが迷う場所ではない。
⑤明治時代の会津の方言由来の呼称が大正時代に川俣側で使われていたとは考えにくい(*3)。
*3 大正時代にツグミ猟が始まり、峠道のある尾根筋に鳥屋場が置かれたが(1896mポイントから尾根道を西に約600m辿った所にある標高1810mの鞍部と、1781mポイントと1726mポイント間の標高1700mの鞍部にそれぞれ鳥屋場があったことが沼井鐵太郎の記録から読み取れる。)、主に用いられていたのは川俣側から標高1810mの鞍部までの区間である。明治37年には磐越西線が喜多方まで延伸され、奥会津にとって引馬峠の存在価値は激減。沼井鐵太郎が訪れた大正時代には既に引馬峠越えの交易は途絶えていた。引馬峠越えする者は関東に出る必要のあったごく少数の檜枝岐の住民や、沼井鐵太郎のような人物に限られていた。
<『明神ヶ岳研究』のホーロク平に関する情報が誤っている可能性>
ホーロク平の位置が本当に1896mポイント辺りであったとすると、『明神ヶ岳研究』の②と③の情報が誤っている可能性が出てくる。前述した矛盾点・疑問点を解消するには、少なくともホーロク平と無人交易小屋は無関係で、且つホーロク平の呼称が会津方言由来ではないことが必要である。「ホーロク」は会津方言ではなく焙烙ではないかとの推察をウェブ上で見た記憶があるのだが、再発見できていない。
<その他>
*1の記事における先行者の記録に関する評価を総括すると、「峠道探査の先行記録は見つからなかった。部分的に辿った記録はあるが、峠道探査を目的とした行動の記録ではない。」ことになる。*2の作者にも共通して言えることではあるが、過去の出版物や公的資料の調査に熱心な方は、ウェブ上で得られる情報を軽んじる傾向があるように思う。特許の世界では、「検索サーチエンジンに登録されており検索可能であるもの又はその情報の存在及び存在場所を公衆が知ることができる状態にあるもの」は先行資料として認められる。出版物だから信頼が置ける情報とは限らないし、出版物がウェブ情報に対して優位性があるということもないのである。
先人の探査記録を復刻し、その栄誉を称えよう。
①越前屋晃一氏の2005年の記録: 引馬峠越え【川俣温泉~檜枝岐】
②@宇都宮さんの2006年の記録:
引馬峠や峠道に関する情報は2007年の山部さんとノラさんによる亡失した水準点の再発見を以てほぼ出尽くしていると思う。しかし、当時の盛り上がりは15年以上も前のことでご存じない方も多かろう。当時の情報のうち現在は検索できないものも少なくない。そのためか、60年以上前に完全に放棄された峠道に興味を抱いて探索する方は今もなお存在する。
2023年3月にウェブ上に公開された記事(*1)の作者は、ホーロク平とは栃木県側の1896mポイント辺りのなだらかな丘陵であると断定している。もうひとつ、2022年10月の記事(*2)も同じ場所をホーロク平と推測している。いずれも下記の文献に基づく。
沼井鐵太郎 「黒岩山を探る」(大正9年10月末の記録)
『岳人』に納められている記録らしいが、現在はインターネットの青空文庫で参照可能。
*1 「樵路巡遊」
*2 「空と星と山と」
2005年に引馬峠越えをした故越前屋氏もまた、1896mポイント辺りでコンパスを紛失してワンデリングしたが故にここをホーロク平であろうと推測していた。今となっては確かめる術はないが、ひょっとしたら沼井鐵太郎の記録を把握していたのかもしれない。
自分が引馬峠越えの道筋に興味を抱いたのが2004年。同年の初訪問含めて計3度引馬峠を訪問し、自分の引馬峠の関心事は完遂している。「ホーロク平」の本当の場所がどこであろうがどうでもよいことではあるのだが、*1の記事には個人的に座視し難い表現が含まれている。そのひとつが以下の記述。
「ホーロク平の位置を誤って記しているネット記事が多数あるが、沼井鉄太郎の記録に「一八九二米の一帯」(現在の一八九六独標)と明記されている。」
自身の記録は現在でも検索ワード「引馬峠」でヒットする。*1の作者はウェブで事前調査したようであるから自分の記録も上記の多数のネット記事に含まれているのかもしれない。知らなかったとしても、ウェブ上で最初に「ホーロク平」に言及したのが自分の2004年の記録であるため、「ホーロク平の位置を誤って記しているネット記事が多数ある」原因の少なくとも一部は自分にあることになる。沼井鐵太郎の記述の正確性を検証することなく、公正な検索エンジンとはいえない google の検索上位のサイトの情報に基づいてコンセンサスが形成されてしまうことがあってはならないと思う。
自分の推定は誤りなのだろうか?以下に考察してみたい。
<自身が推定したホーロク平の位置とその根拠>
インターネットが現在ほど普及していなかった2004年当時、引馬峠や平五郎山尾根に関する情報は極めて乏しく、少なくともウェブ上に「ホーロク平」に関する情報は見つからなかった。当時自身が把握していた「ホーロク平」に関する情報は、たまたま宇都宮図書館で発見した橋本太郎著の『奥鬼怒山地 明神ヶ岳研究』 のみである。
『明神ヶ岳研究』はホーロク平の位置を特定していない。自身の記録のホーロク平の位置は、『明神ヶ岳研究』、『山人の賦Ⅲ』、および自分の足で栃木県側の峠道跡を辿った経験に基づいて推定した場所である。
『明神ヶ岳研究』から得られるホーロク平に関する情報は以下の4つ。
①引馬峠から川俣側に少し下った所
②明治時代には無人交易小屋が置かれていた。
③ホーロクは会津の方言で(迷う)という意味である。
④薬草採りが迷ったことがあるとか
『山人の賦Ⅲ』の記述によれば無人交易小屋は引馬峠に置かれていたとされているから、①と②の情報と合わせると、ホーロク平は引馬峠と一続きの場所であり、マクロ的には引馬峠と同一視される場所であったろう。この条件に合致する栃木県側の平坦な場所は一か所しかない(【36.922532N,139.429645E】)。そして、無雪期に2度、残雪期に1度訪問して③を実感。この場所であれば檜枝岐と川俣の中間点であって無人交易小屋を置くには距離的に最適、北西風が当たらず穏やか、水場にも近い等のメリットが得られる一方、デメリットはひとつもない。
<ホーロク平を1896mポイント辺りであるとする根拠>
位置を明示する記録は先述の沼井鐵太郎の記録のみ。沼井鐵太郎の記述が正しいことを裏付ける資料は今のところ存在しない。
<ホーロク平を1896mポイント辺りであるとした場合に生ずる疑問・矛盾>
①1896mポイント辺りには水場が無い。水場が得られない場所に小屋を設置するだろうか?
②檜枝岐と川俣の中間地点である引馬峠から川俣側に片寄りすぎており、無人交易小屋の置き場としては時間的・労力的に不適である。
③自分が残雪期に歩いた経験では1896mポイント辺りは周囲の地形を把握できる。路が見えない冬場であっても吹雪や濃霧に遭わない限り迷うことはない。
④アオモリトドマツとダケカンバとチシマザサ藪しかない植生であり、薬草採りが迷う場所ではない。
⑤明治時代の会津の方言由来の呼称が大正時代に川俣側で使われていたとは考えにくい(*3)。
*3 大正時代にツグミ猟が始まり、峠道のある尾根筋に鳥屋場が置かれたが(1896mポイントから尾根道を西に約600m辿った所にある標高1810mの鞍部と、1781mポイントと1726mポイント間の標高1700mの鞍部にそれぞれ鳥屋場があったことが沼井鐵太郎の記録から読み取れる。)、主に用いられていたのは川俣側から標高1810mの鞍部までの区間である。明治37年には磐越西線が喜多方まで延伸され、奥会津にとって引馬峠の存在価値は激減。沼井鐵太郎が訪れた大正時代には既に引馬峠越えの交易は途絶えていた。引馬峠越えする者は関東に出る必要のあったごく少数の檜枝岐の住民や、沼井鐵太郎のような人物に限られていた。
<『明神ヶ岳研究』のホーロク平に関する情報が誤っている可能性>
ホーロク平の位置が本当に1896mポイント辺りであったとすると、『明神ヶ岳研究』の②と③の情報が誤っている可能性が出てくる。前述した矛盾点・疑問点を解消するには、少なくともホーロク平と無人交易小屋は無関係で、且つホーロク平の呼称が会津方言由来ではないことが必要である。「ホーロク」は会津方言ではなく焙烙ではないかとの推察をウェブ上で見た記憶があるのだが、再発見できていない。
<その他>
*1の記事における先行者の記録に関する評価を総括すると、「峠道探査の先行記録は見つからなかった。部分的に辿った記録はあるが、峠道探査を目的とした行動の記録ではない。」ことになる。*2の作者にも共通して言えることではあるが、過去の出版物や公的資料の調査に熱心な方は、ウェブ上で得られる情報を軽んじる傾向があるように思う。特許の世界では、「検索サーチエンジンに登録されており検索可能であるもの又はその情報の存在及び存在場所を公衆が知ることができる状態にあるもの」は先行資料として認められる。出版物だから信頼が置ける情報とは限らないし、出版物がウェブ情報に対して優位性があるということもないのである。
先人の探査記録を復刻し、その栄誉を称えよう。
①越前屋晃一氏の2005年の記録: 引馬峠越え【川俣温泉~檜枝岐】
②@宇都宮さんの2006年の記録:
寄居でマタタビ探し
年月日: 2023年10月29日(日)
母の葬式の後の様々な手続きのために忌引き休暇に続けて月・火・水を年次休暇とした。自宅でたった2日(木・金)勤務してまた週末に猪苗代に行くのは大変なので、久しぶりに週末を自宅で過ごした。
今年は6月以降実家の畑と庭の管理に追われ、秋は川桁山で1~2時間程度マツタケ探しをしただけで、マタタビを採りに行く機会がなかった。マタタビなんてどこにでもあるのものだが、猪苗代のマタタビのほとんどが虫癭(ちゅうえい)果である。栃木県で自分好みのマタタビを採れる場所を知ってはいるが、せっかくの休養日に遠出したくない。昨年、寄居町の風布と折原を結ぶ道路沿いにマタタビがたくさん繁茂しているのを見た。高原山より寄居の方が近そうな気がして1年振りに寄居へ行って見た(時間的には高原山と変わらない。)。折原側の道路が狭い印象があって風布側からアクセスしてみたのだが、こちらも道路が狭くてヒヤヒヤ。
マタタビの蔓は多いのだが、実がついていない。自分以外にマタタビ採る人などそうはいないだろうから、雌の木が少なくて且つ今年の実りが少ないということなのかもしれない。沢沿いに上っていくと沢を跨ぐ道路との段差が大きくて上がれないので、道路のカーブを目指して左岸側の植林斜面を上ろうとした。イノシシのものらしき頭骨が転がっている。近くには下顎の骨もあった。さらに登っていくと、次々に頭骨を目にする。まだ小さい個体のものもあった。ブタ熱でイノシシの群れが死滅したのだろうか。
イノシシの頭骨(おそらく雌)
マタタビ少々
母の葬式の後の様々な手続きのために忌引き休暇に続けて月・火・水を年次休暇とした。自宅でたった2日(木・金)勤務してまた週末に猪苗代に行くのは大変なので、久しぶりに週末を自宅で過ごした。
今年は6月以降実家の畑と庭の管理に追われ、秋は川桁山で1~2時間程度マツタケ探しをしただけで、マタタビを採りに行く機会がなかった。マタタビなんてどこにでもあるのものだが、猪苗代のマタタビのほとんどが虫癭(ちゅうえい)果である。栃木県で自分好みのマタタビを採れる場所を知ってはいるが、せっかくの休養日に遠出したくない。昨年、寄居町の風布と折原を結ぶ道路沿いにマタタビがたくさん繁茂しているのを見た。高原山より寄居の方が近そうな気がして1年振りに寄居へ行って見た(時間的には高原山と変わらない。)。折原側の道路が狭い印象があって風布側からアクセスしてみたのだが、こちらも道路が狭くてヒヤヒヤ。
マタタビの蔓は多いのだが、実がついていない。自分以外にマタタビ採る人などそうはいないだろうから、雌の木が少なくて且つ今年の実りが少ないということなのかもしれない。沢沿いに上っていくと沢を跨ぐ道路との段差が大きくて上がれないので、道路のカーブを目指して左岸側の植林斜面を上ろうとした。イノシシのものらしき頭骨が転がっている。近くには下顎の骨もあった。さらに登っていくと、次々に頭骨を目にする。まだ小さい個体のものもあった。ブタ熱でイノシシの群れが死滅したのだろうか。
諏訪峠とそば街道
年月日: 2023年9月9日(土)
今年は毎週のように春日部と猪苗代を往復している。いつも同じルートではつまらないので、未訪の諏訪峠を経由してみた。
初回訪問は、日付は覚えていないがおそらく7月頃、猪苗代から戻るときに湖南町中野から須賀川市側に抜けた。諏訪峠に向かう谷は耕地整理された農地が広がり、大規模に蕎麦が栽培されている。そば街道と呼ばれているそうな。中野須賀川線は大型車は通行不能ということだが、蕎麦畑のエリアは幅広の舗装路で快適。スギ植林地帯に進入すると途中から道幅が狭まり、退避点が少なくとても怖い。17時頃に須賀川方面から猪苗代湖に向かう対向車はいないし、日の長い時期なのでまだ明るく無事通過。10km以上灯りの無い道路なので、暗い時間帯に通るべきではないと思った。
2回目は8月26日(土)、猪苗代に向かう時に須賀川市側から越えてみた。前回は急いでいてただ通り過ぎてしまい、峠の様子をじっくり確認できなかった。須賀川市側にある石碑のようなものを確かめるのが目的である。早朝なら対向車来ないだろうとの予想に反して2台も対向車が来て緊張。すれ違った場所が広めの須賀川市側の区間で助かった。石碑は水源の森(だったかな?)の整備事業を記念したもので、古いものではない。昔の道筋や分水嶺沿いの山道の類は見当たらない。
諏訪峠
中野須賀川線(湖南・そば街道)・猪苗代湖方面
中野須賀川線(湖南・そば街道)・諏訪峠方面
今年は毎週のように春日部と猪苗代を往復している。いつも同じルートではつまらないので、未訪の諏訪峠を経由してみた。
初回訪問は、日付は覚えていないがおそらく7月頃、猪苗代から戻るときに湖南町中野から須賀川市側に抜けた。諏訪峠に向かう谷は耕地整理された農地が広がり、大規模に蕎麦が栽培されている。そば街道と呼ばれているそうな。中野須賀川線は大型車は通行不能ということだが、蕎麦畑のエリアは幅広の舗装路で快適。スギ植林地帯に進入すると途中から道幅が狭まり、退避点が少なくとても怖い。17時頃に須賀川方面から猪苗代湖に向かう対向車はいないし、日の長い時期なのでまだ明るく無事通過。10km以上灯りの無い道路なので、暗い時間帯に通るべきではないと思った。
2回目は8月26日(土)、猪苗代に向かう時に須賀川市側から越えてみた。前回は急いでいてただ通り過ぎてしまい、峠の様子をじっくり確認できなかった。須賀川市側にある石碑のようなものを確かめるのが目的である。早朝なら対向車来ないだろうとの予想に反して2台も対向車が来て緊張。すれ違った場所が広めの須賀川市側の区間で助かった。石碑は水源の森(だったかな?)の整備事業を記念したもので、古いものではない。昔の道筋や分水嶺沿いの山道の類は見当たらない。
磐梯山・渋谷口と猪苗代湖・白鳥浜
年月日: 2023年9月2日(土)
早朝、猪苗代の実家に向かう前に暇つぶし。
そろそろリンドウやワレモコウが咲いているであろうと、ファミリースノーパーク ばんだい×2(旧国際スキー場)に行って見た。アクセスする道路がボロボロ。施設も使われているように見えない。駐車スペースにナンバープレートが外された軽トラックが置いてあり、ゲレンデには車で進入できないようになっている。廃業同然。コロナ禍でこの2年ほど営業していないらしい。
ゲレンデは草刈りが行われておらず藪になっている。丈の高い草に埋もれて尽きてしまったものか、リンドウは見当たらなかった。ゲレンデ上部に至る未舗装車道も草茫々でいまやオフロード車でも進入できないだろう。今年はクマ騒動が多いのでクマが飛び出してきてもおかしくない。しばらく山に入っていないから藪が薄気味悪く感じられ、進むのを止めた。
ここは磐梯山の登山口(渋谷口)でもあるのだが、登山届の入れ物は見当たらない。今年ここから登った人はいないのではないか(今年渋谷口に下山した記録をインターネットで見たが、整備されているとは言い難い状況のようだ。)? ワレモコウを2枝手折って持ち帰り。
ファミリースノーパーク ばんだい×2
猪苗代湖北岸は延々とヨシが生い茂っていて近づいても湖面が見えるところは限られているが、湖面が見える場所が2か所あった。沿岸近くの浮水葉をもつ植物の主体はヒシである。天神浜で水遊びしているとヒシの実が浮かんでいるのを見ることがある。ここが発生源のようだ。
浮水葉をもつ植物群落は200m以上沖合いまで広がっており、特に沖合はアサザの黄色い花で黄色く染まって見える。この辺り、アサザの大群落で有名なのだそうな。
猪苗代湖・白鳥浜からの眺め(崎川浜方面)
背景は大戸岳、小野岳、背炙山
猪苗代湖・白鳥浜からの眺め(天神浜方面)
背景は分水嶺と布引山
猪苗代湖・白鳥浜からの眺め(長浜方面)
背景は背炙山、名倉山
アサザ
早朝、猪苗代の実家に向かう前に暇つぶし。
そろそろリンドウやワレモコウが咲いているであろうと、ファミリースノーパーク ばんだい×2(旧国際スキー場)に行って見た。アクセスする道路がボロボロ。施設も使われているように見えない。駐車スペースにナンバープレートが外された軽トラックが置いてあり、ゲレンデには車で進入できないようになっている。廃業同然。コロナ禍でこの2年ほど営業していないらしい。
ゲレンデは草刈りが行われておらず藪になっている。丈の高い草に埋もれて尽きてしまったものか、リンドウは見当たらなかった。ゲレンデ上部に至る未舗装車道も草茫々でいまやオフロード車でも進入できないだろう。今年はクマ騒動が多いのでクマが飛び出してきてもおかしくない。しばらく山に入っていないから藪が薄気味悪く感じられ、進むのを止めた。
ここは磐梯山の登山口(渋谷口)でもあるのだが、登山届の入れ物は見当たらない。今年ここから登った人はいないのではないか(今年渋谷口に下山した記録をインターネットで見たが、整備されているとは言い難い状況のようだ。)? ワレモコウを2枝手折って持ち帰り。
猪苗代湖北岸は延々とヨシが生い茂っていて近づいても湖面が見えるところは限られているが、湖面が見える場所が2か所あった。沿岸近くの浮水葉をもつ植物の主体はヒシである。天神浜で水遊びしているとヒシの実が浮かんでいるのを見ることがある。ここが発生源のようだ。
浮水葉をもつ植物群落は200m以上沖合いまで広がっており、特に沖合はアサザの黄色い花で黄色く染まって見える。この辺り、アサザの大群落で有名なのだそうな。
今年も忍者熊現る。
年月日: 2023年7月30日(日)
母が入院して以降、週末毎に実家の畑と庭の手入れのために猪苗代に通っている。今年はクソ暑くて遊びの予定がないから、庭仕事・畑仕事に時間をとられるのは構わない。元々嫌いじゃないし、良い運動にもなる。気温30℃超えの炎天下では草むしりするだけでも30分もすると全身汗ぐっしょりになるが、適度に家に引っ込んでシャワー浴びたりクーラー効いた部屋で休憩できるから、汚い山歩きに較べたらはるかに快適な遊びと言えよう。鍬の使い方も少し様になってきた。
30日朝、隣家(空き家。他所に住んでいる所有者が畑を管理している。)のトウモロコシ畑の乱れに気付いた。クマの仕業だ。
足跡が我が家の畑に向かっている。青森でスイカを食われる被害があったばかりだ。我が家のスイカは無事であったが、前日夕方に散水したばかりの畑に足跡がくっきりと残っていた。過去にトウモロコシを食った場所を記憶しているみたいで、南側の畑まで往復した跡もあった。
実家方向(東)に向かっている。
足跡(実家の畑)
南側の畑まで往復した跡
母が入院して以降、週末毎に実家の畑と庭の手入れのために猪苗代に通っている。今年はクソ暑くて遊びの予定がないから、庭仕事・畑仕事に時間をとられるのは構わない。元々嫌いじゃないし、良い運動にもなる。気温30℃超えの炎天下では草むしりするだけでも30分もすると全身汗ぐっしょりになるが、適度に家に引っ込んでシャワー浴びたりクーラー効いた部屋で休憩できるから、汚い山歩きに較べたらはるかに快適な遊びと言えよう。鍬の使い方も少し様になってきた。
30日朝、隣家(空き家。他所に住んでいる所有者が畑を管理している。)のトウモロコシ畑の乱れに気付いた。クマの仕業だ。
足跡が我が家の畑に向かっている。青森でスイカを食われる被害があったばかりだ。我が家のスイカは無事であったが、前日夕方に散水したばかりの畑に足跡がくっきりと残っていた。過去にトウモロコシを食った場所を記憶しているみたいで、南側の畑まで往復した跡もあった。
今年最後のワラビ採り
年月日: 2023年6月13日(火)
埼玉に戻る日。天候が不安定で、ザーッと降雨してカーッと照り付けるくり返し。
田舎に住んでいれば誰でも簡単に山菜が入手できるというものでもない。車を所持していて、且つそれなりの経験と体力が必要とされる。山菜を売って生活の糧にしていた親戚筋の男性が脳梗塞となり、これまで山菜をその男性に頼ってきた高齢の人たちはこれまでのように簡単に山菜が手に入らなくなった。我が母もその一人である。自分は親父譲りで山菜採りが好きで、猪苗代近辺のどの辺りに何が生えているのかだいたい把握してはいるのだが、埼玉に居住しているが故にせいぜい年に数回しか田舎の山には行けない。
まだワラビが採れるはず。埼玉に戻る前に雨が上がった隙を狙ってリステルスキー場にワラビ採りにでかけた。ケアテルの手前に車を置いて、長靴履いて傘を持って出発。ちょうどユリ科のシオデの蔓が伸びる季節で、太くは無いが食べごろのシオデがカラマツ林の際にべったり出ていた。シオデは植林と畑や草地などの開けた空間の際に生じる半日陰を好む。半日陰ならどこにでも存在する訳ではなく、人間の関与によって昔から同じ条件が維持されている場所にしか自生しない。食味はシャキシャキしたアスパラガスってとこかな。シオデにしかない独特の味覚で、これも母の好きな山菜のひとつだ。
電気柵に沿ってスキー場を登っていく途中で土砂降りの雨となり、しばし樹木の下で雨宿り。10分程度で雨は止んだが、雨に濡れた草藪を突っ切るうちにズボンがぐしょぐしょ。
レイ&タックコース(たぶん)を登って標高740m地点で尾根に上がった。ワラビ藪を掻き分けて中を覗くと、採りごろの良質なワラビがたくさん。
リステルスキー場(標高740m付近)からの眺め
ブタナ
埼玉に戻る日。天候が不安定で、ザーッと降雨してカーッと照り付けるくり返し。
田舎に住んでいれば誰でも簡単に山菜が入手できるというものでもない。車を所持していて、且つそれなりの経験と体力が必要とされる。山菜を売って生活の糧にしていた親戚筋の男性が脳梗塞となり、これまで山菜をその男性に頼ってきた高齢の人たちはこれまでのように簡単に山菜が手に入らなくなった。我が母もその一人である。自分は親父譲りで山菜採りが好きで、猪苗代近辺のどの辺りに何が生えているのかだいたい把握してはいるのだが、埼玉に居住しているが故にせいぜい年に数回しか田舎の山には行けない。
まだワラビが採れるはず。埼玉に戻る前に雨が上がった隙を狙ってリステルスキー場にワラビ採りにでかけた。ケアテルの手前に車を置いて、長靴履いて傘を持って出発。ちょうどユリ科のシオデの蔓が伸びる季節で、太くは無いが食べごろのシオデがカラマツ林の際にべったり出ていた。シオデは植林と畑や草地などの開けた空間の際に生じる半日陰を好む。半日陰ならどこにでも存在する訳ではなく、人間の関与によって昔から同じ条件が維持されている場所にしか自生しない。食味はシャキシャキしたアスパラガスってとこかな。シオデにしかない独特の味覚で、これも母の好きな山菜のひとつだ。
電気柵に沿ってスキー場を登っていく途中で土砂降りの雨となり、しばし樹木の下で雨宿り。10分程度で雨は止んだが、雨に濡れた草藪を突っ切るうちにズボンがぐしょぐしょ。
レイ&タックコース(たぶん)を登って標高740m地点で尾根に上がった。ワラビ藪を掻き分けて中を覗くと、採りごろの良質なワラビがたくさん。
庭の植物
年月日: 2023年6月12日(月)
ヒューケラ(ユキノシタ科ツボサンゴ属)
北米原産の園芸種であり、日本に自生するズダヤクシュやコチャルメルソウの仲間である。ヒューケラは葉の紋様や色にバリエーションがあって、好きな観葉植物のひとつだ。頑健で花もきれい。
ヒューケラ(ツボサンゴ)
ヒューケラ(ツボサンゴ)
伸びつつある葉を5月に見た時はサンカヨウかと思った。大きく広がった葉はサンカヨウよりごつくてしかも変わった形をしている。こんなものが実家にあるとは知らなかった。葉の下を覗くとフグリのようなものがついている。花?それとも実?
ひとつ千切ってみたのだが、簡単には取れない。正体は花でした。ザゼンソウと似た色から連想したとおり、腐臭を放つ。
中国南東部や台湾に自生し、地域によって花色、花の付き方、葉の形にバリエーションがあるそうである。ナンテンやルイヨウボタンと同じ科であるというのは意外だったが、サンカヨウもメギ科であって、5月に見た時の推測は的外れでもなかったな。
ハッカクレンの葉
ハッカクレンの花
ハッカクレンの花
めずらしくもなんともない、山野によくみられる普通のアヤメである。手が掛からず頑健で、半日陰でもよく育ち且つ美しい花を咲かせる。おそらく、昔住んでいた翁島地区の自生地から移植したものの末裔ではないかと思う。
日陰の区画でヒメヒオウギズイセン(モントブレチア)、ウスバサイシン、ヒメカンアオイとフッキソウが入り乱れていたので、5月にフッキソウを除去し且つ他の3種の区分けをした。結果、それぞれ元気に繁茂しているが、ヒメヒオウギズイセンの区画にアヤメが混在していたらしい。アヤメは他の区画にも植えてあるが同じアヤメ科のヒメヒオウギズイセンと相性よさそうである。
アヤメ
ヒューケラ(ユキノシタ科ツボサンゴ属)
北米原産の園芸種であり、日本に自生するズダヤクシュやコチャルメルソウの仲間である。ヒューケラは葉の紋様や色にバリエーションがあって、好きな観葉植物のひとつだ。頑健で花もきれい。
伸びつつある葉を5月に見た時はサンカヨウかと思った。大きく広がった葉はサンカヨウよりごつくてしかも変わった形をしている。こんなものが実家にあるとは知らなかった。葉の下を覗くとフグリのようなものがついている。花?それとも実?
ひとつ千切ってみたのだが、簡単には取れない。正体は花でした。ザゼンソウと似た色から連想したとおり、腐臭を放つ。
中国南東部や台湾に自生し、地域によって花色、花の付き方、葉の形にバリエーションがあるそうである。ナンテンやルイヨウボタンと同じ科であるというのは意外だったが、サンカヨウもメギ科であって、5月に見た時の推測は的外れでもなかったな。
めずらしくもなんともない、山野によくみられる普通のアヤメである。手が掛からず頑健で、半日陰でもよく育ち且つ美しい花を咲かせる。おそらく、昔住んでいた翁島地区の自生地から移植したものの末裔ではないかと思う。
日陰の区画でヒメヒオウギズイセン(モントブレチア)、ウスバサイシン、ヒメカンアオイとフッキソウが入り乱れていたので、5月にフッキソウを除去し且つ他の3種の区分けをした。結果、それぞれ元気に繁茂しているが、ヒメヒオウギズイセンの区画にアヤメが混在していたらしい。アヤメは他の区画にも植えてあるが同じアヤメ科のヒメヒオウギズイセンと相性よさそうである。
姫筍採り
年月日: 2023年6月10日(土)
平日に田舎の用事を済ますべく、6月12日、13日に休暇を取得して4連休とした。9日夜に出発して途中で車中泊し、10日午前中に実家に到着。晴れの予報が10日のみであったため、山遊びを優先。父が老いて2018年を最後にネマガリダケ(チシマザサ)の筍(姫筍)を採取していない。猪苗代や北塩原のフキや姫筍採りのピークは例年5月末から6月初旬だ。今年は季節の進行が早くてシーズンを過ぎていると思われたが、残り物を捜しに5年振りにデコ平を訪ねてみた。
デコ平スキー場にアクセスする舗装道路建設によって山肌が削られ、昔の林道は消失。その支線に当たる廃林道の入り口も失われている。廃林道は中ノ沢右岸を進んでから左岸に渡る。初めて来た頃はまだ橋の残骸があったが、現在は橋脚が残るのみ。
左岸側の林道橋脚
廃林道よりも南にある採取予定地の丘陵に進入。筍採りの季節はものすごい音量のエゾハルゼミの鳴き声が聞こえるものだが、エゾハルゼミの発生も既にピークを過ぎているようだ。此の地は樹木が成長して筍採りの適地とは言えなくなりつつある。元々密度が低いのに加えて、案の定、ほとんどの筍は伸びてしまっている。しかも先客が採った跡有り。クマの仕業だ。節の柔らかい部分だけ上手に食べている。今しがた食った跡ではなさそうだから近くにはいないと思うが、新鮮な筍の折口を見た時はさすがにちと気味悪かった。
クマが筍を食べた跡①
クマが筍を食べた跡②
平日に田舎の用事を済ますべく、6月12日、13日に休暇を取得して4連休とした。9日夜に出発して途中で車中泊し、10日午前中に実家に到着。晴れの予報が10日のみであったため、山遊びを優先。父が老いて2018年を最後にネマガリダケ(チシマザサ)の筍(姫筍)を採取していない。猪苗代や北塩原のフキや姫筍採りのピークは例年5月末から6月初旬だ。今年は季節の進行が早くてシーズンを過ぎていると思われたが、残り物を捜しに5年振りにデコ平を訪ねてみた。
デコ平スキー場にアクセスする舗装道路建設によって山肌が削られ、昔の林道は消失。その支線に当たる廃林道の入り口も失われている。廃林道は中ノ沢右岸を進んでから左岸に渡る。初めて来た頃はまだ橋の残骸があったが、現在は橋脚が残るのみ。
廃林道よりも南にある採取予定地の丘陵に進入。筍採りの季節はものすごい音量のエゾハルゼミの鳴き声が聞こえるものだが、エゾハルゼミの発生も既にピークを過ぎているようだ。此の地は樹木が成長して筍採りの適地とは言えなくなりつつある。元々密度が低いのに加えて、案の定、ほとんどの筍は伸びてしまっている。しかも先客が採った跡有り。クマの仕業だ。節の柔らかい部分だけ上手に食べている。今しがた食った跡ではなさそうだから近くにはいないと思うが、新鮮な筍の折口を見た時はさすがにちと気味悪かった。
田舎で山菜採り
年月日: 2023年5月04日(木)
今年は季節の進行が早いので日当たりの良い場所では既にワラビが出ているかもしれない。例年はタラの芽やコシアブラ目当てであるが、今回はワラビ採りを期待してアルツ磐梯スキー場に向かった。
良いお天気で、低い場所には大勢の山菜採りが入り込んでいる。駐車地から歩き始めてすぐに戻ってくる人の姿が見えたので、藪を突っ切って上部の道路にショートカット。この過程で、予期していなかったドホ(イヌドウナ)を採取。幸先良いんじゃない?
ゲレンデに接続する作業道は積雪で倒れた萱に被われて歩きにくくなった。この辺りは先行者が一通り採取済みであり、めぼしい採取物は遅れて伸びたコシアブラ程度。
さて、本命のゲレンデにはワラビ1本見当たらない。日当たりは良くても冷たい西風が当たる場所だし、萱の下で日光が直射しないためだろう。
初級者用連絡コースの入り口で最初のワラビ発見。路肩側にポツポツと出ている。山側の際にはゼンマイが多い。まとまった収穫ができそうなので、主目的をゼンマイ採りに切り替える。
ゼンマイはV字谷の水分の多い斜面に生えるというイメージがあるが、そのイメージに当てはまらない場所で見つかることも多い。水気の少なそうな日当たりのよい場所や平坦な藪中に生えている場合もある。いまひとつ性質が理解できない山菜である。小屋川左岸ゲレンデのど真ん中にもゼンマイが生えていた。
ゲレンデ西側(小屋川側)から大型獣が移動する音が聞こえる。2017年にこの場所で子連れのクマを見ているので油断できない。正体は白毛の大きなカモシカであった。
戻る途中でリフト方向に少し登ったところにある斜面に立ち寄り。茨藪の中に良質のワラビがポツポツ。ここまでタラの芽採りに来る人はいないみたいで、タラの芽も採り放題。
ゲレンデに伸びるゼンマイ
アオダイショウ
収穫物
スマホの位置を確認しようと思ってPCでNTTドコモにアクセスしてみると、二段階認証でスマホに送った確認コードの入力を求められる。探しているスマホに確認コード送ってどうすんだよ。ボケ!NTTドコモに電話してみると、「ネットワーク暗証番号がないと対応できません。ドコモショップに行ってください。」とのつれない対応。契約してから20年以上一度も使ったことがないネットワーク暗証番号なんて覚えちゃいねーよ。ドコモショップに行ったところで、本人確認できてもネットワーク暗証番号は教えてくれないのだ。困っている時に役に立たないクズキャリアに腹が立ち、「もういいです。」と電話を切った。何なのこの会社?
在宅勤務もスマホの二段階認証を用いているからスマホがないと仕事に支障が出る。バッテリーが上がる前に探し出すべく、母のスマホを借りて翌早朝に前日と同じコースを再トレース。耳を澄ますが呼び出し音は聞こえない。捜索をあきらめて車に戻り、ダメ元でもう一回呼び出してみた。切ろうとしたとき、「もしもし」と応答有り。なんと猪苗代警察署に届けられていた。実家近くの路上で見つかったそうだ。車に轢かれたらしくスマホカバーはぺちゃんこ。スマホ本体は四隅に傷がついているだけで操作面は無傷。機能も正常。さすが富士通製。
出発の際に、車庫内で何か片付けようとして無意識でスマホを車の上に置いたのではないかと思う。そのまま発進して自宅近くの路上に落ちたのだろう。
今年は季節の進行が早いので日当たりの良い場所では既にワラビが出ているかもしれない。例年はタラの芽やコシアブラ目当てであるが、今回はワラビ採りを期待してアルツ磐梯スキー場に向かった。
良いお天気で、低い場所には大勢の山菜採りが入り込んでいる。駐車地から歩き始めてすぐに戻ってくる人の姿が見えたので、藪を突っ切って上部の道路にショートカット。この過程で、予期していなかったドホ(イヌドウナ)を採取。幸先良いんじゃない?
ゲレンデに接続する作業道は積雪で倒れた萱に被われて歩きにくくなった。この辺りは先行者が一通り採取済みであり、めぼしい採取物は遅れて伸びたコシアブラ程度。
さて、本命のゲレンデにはワラビ1本見当たらない。日当たりは良くても冷たい西風が当たる場所だし、萱の下で日光が直射しないためだろう。
初級者用連絡コースの入り口で最初のワラビ発見。路肩側にポツポツと出ている。山側の際にはゼンマイが多い。まとまった収穫ができそうなので、主目的をゼンマイ採りに切り替える。
ゼンマイはV字谷の水分の多い斜面に生えるというイメージがあるが、そのイメージに当てはまらない場所で見つかることも多い。水気の少なそうな日当たりのよい場所や平坦な藪中に生えている場合もある。いまひとつ性質が理解できない山菜である。小屋川左岸ゲレンデのど真ん中にもゼンマイが生えていた。
ゲレンデ西側(小屋川側)から大型獣が移動する音が聞こえる。2017年にこの場所で子連れのクマを見ているので油断できない。正体は白毛の大きなカモシカであった。
戻る途中でリフト方向に少し登ったところにある斜面に立ち寄り。茨藪の中に良質のワラビがポツポツ。ここまでタラの芽採りに来る人はいないみたいで、タラの芽も採り放題。
スマホの位置を確認しようと思ってPCでNTTドコモにアクセスしてみると、二段階認証でスマホに送った確認コードの入力を求められる。探しているスマホに確認コード送ってどうすんだよ。ボケ!NTTドコモに電話してみると、「ネットワーク暗証番号がないと対応できません。ドコモショップに行ってください。」とのつれない対応。契約してから20年以上一度も使ったことがないネットワーク暗証番号なんて覚えちゃいねーよ。ドコモショップに行ったところで、本人確認できてもネットワーク暗証番号は教えてくれないのだ。困っている時に役に立たないクズキャリアに腹が立ち、「もういいです。」と電話を切った。何なのこの会社?
在宅勤務もスマホの二段階認証を用いているからスマホがないと仕事に支障が出る。バッテリーが上がる前に探し出すべく、母のスマホを借りて翌早朝に前日と同じコースを再トレース。耳を澄ますが呼び出し音は聞こえない。捜索をあきらめて車に戻り、ダメ元でもう一回呼び出してみた。切ろうとしたとき、「もしもし」と応答有り。なんと猪苗代警察署に届けられていた。実家近くの路上で見つかったそうだ。車に轢かれたらしくスマホカバーはぺちゃんこ。スマホ本体は四隅に傷がついているだけで操作面は無傷。機能も正常。さすが富士通製。
出発の際に、車庫内で何か片付けようとして無意識でスマホを車の上に置いたのではないかと思う。そのまま発進して自宅近くの路上に落ちたのだろう。
Re:[20] 小法師岳周辺のツツジ
こちらこそご無沙汰しております。
この掲示板、メール連絡機能に欠陥があって使用していないこともあって、気づくのが遅れました。
腫瘍の件が片付いてよかったですね。悪いストレスの原因がひとつ減って心臓にも良い効果が生じると期待します。
今年はツツジやシャクナゲの当たり年なのでシロヤシオ愛でに足尾に行きたかったのですが、あいにく週末に青空が望めないのであきらめました。明日は曇りの予報なので、どうするか思案中です。
投稿者:管理人 投稿日時:2023/05/27(Sat) 21:57 No.21
小法師岳周辺のツツジ
ご無沙汰しております。
やはりこのあたりのツツジはいいですね。アカヤシオ、最盛期は前袈裟丸と比べても劣るものではないと思いますが前袈裟丸の一番の見どころ、1549mあたりはアカヤシオを遮る藪がなくて見栄えがするのとやはりアプローチの良さが人気なんでしょう。この辺りはいつ行っても人がいないのが魅力ですが、熊の勢力が増しているとなるとやはり怖いですね。
今年はナゲも花付がいいですね。いつも不思議なのですが同じアズナゲでも低いところにいる奴らと稜線当たりの標高高めのとこにいる奴らで二極化される気がします。下の方にいる奴らは日陰になる北側にいることが多く、庚申側右岸の支沢横では標高1000mくらいでもいたりしてやはり涼しいところが好きなんだなと。
下りの尾根、二年前にみー猫さんと袈裟丸中尾根を歩いて帰りに歩いたのですがその際にはテープは見かけなかったような。
あまりハイカーが来ないところなのに定期的にテープがつけられるのは不可解ですね。
やはりこのあたりのツツジはいいですね。アカヤシオ、最盛期は前袈裟丸と比べても劣るものではないと思いますが前袈裟丸の一番の見どころ、1549mあたりはアカヤシオを遮る藪がなくて見栄えがするのとやはりアプローチの良さが人気なんでしょう。この辺りはいつ行っても人がいないのが魅力ですが、熊の勢力が増しているとなるとやはり怖いですね。
今年はナゲも花付がいいですね。いつも不思議なのですが同じアズナゲでも低いところにいる奴らと稜線当たりの標高高めのとこにいる奴らで二極化される気がします。下の方にいる奴らは日陰になる北側にいることが多く、庚申側右岸の支沢横では標高1000mくらいでもいたりしてやはり涼しいところが好きなんだなと。
下りの尾根、二年前にみー猫さんと袈裟丸中尾根を歩いて帰りに歩いたのですがその際にはテープは見かけなかったような。
あまりハイカーが来ないところなのに定期的にテープがつけられるのは不可解ですね。
投稿者:ふみふみぃ 投稿日時:2023/05/07(Sun) 10:36 No.20
利根川散策
年月日: 2023年3月05日(日)
行程: 国道122号線・道の駅はにゅう ~ 利根大堰
花粉症とは無縁の体質ではあるが、わざわざ花粉吸い込みに植林された山域にでかける気にはなれない。3月の週末は、田舎に用事がなく且つ天気が好ければ、洗車と菜摘と散策を兼ねて数時間程度外出するのがお気に入りのルーチンとなっている。昨年は近くの江戸川に行くことが多かったが、今年は河川工事で良質な菜の花のコロニーが消滅してしまったので、代替地を求めて利根川に行く機会が増えた。
現住所から羽生市まで渋滞なくほぼ直線的に移動できる。イオンモール羽生の広い駐車場の片隅で車にべったり付着した花粉を水拭きで除去し、近くの道の駅はにゅうに車を置いて菜摘兼ねて開放的な利根川を散策する。利根川河川敷は上流から運ばれた肥沃な土壌が堆積しており、大規模かつ良質な菜の花のコロニーが数多く点在する。生育地の環境(日照、風通し)によって生育の進行具合に差があるので、一ヶ月以上花見と菜摘が楽しめるのが魅力。
利根川右岸
利根大堰
行程: 国道122号線・道の駅はにゅう ~ 利根大堰
花粉症とは無縁の体質ではあるが、わざわざ花粉吸い込みに植林された山域にでかける気にはなれない。3月の週末は、田舎に用事がなく且つ天気が好ければ、洗車と菜摘と散策を兼ねて数時間程度外出するのがお気に入りのルーチンとなっている。昨年は近くの江戸川に行くことが多かったが、今年は河川工事で良質な菜の花のコロニーが消滅してしまったので、代替地を求めて利根川に行く機会が増えた。
現住所から羽生市まで渋滞なくほぼ直線的に移動できる。イオンモール羽生の広い駐車場の片隅で車にべったり付着した花粉を水拭きで除去し、近くの道の駅はにゅうに車を置いて菜摘兼ねて開放的な利根川を散策する。利根川河川敷は上流から運ばれた肥沃な土壌が堆積しており、大規模かつ良質な菜の花のコロニーが数多く点在する。生育地の環境(日照、風通し)によって生育の進行具合に差があるので、一ヶ月以上花見と菜摘が楽しめるのが魅力。
琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳
年月日: 2023年2月18日(土)
行程: 天平の丘公園北側の駐車場 ~ 伝・紫式部の墓 ~ 琵琶塚古墳 ~ 摩利支天塚古墳 ~ 小山市 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳 資料館 ~ 駐車場に帰着
風が弱くて日差したっぷり、且つひんやりとしていて絶好の散策日和。車の洗車と菜摘かねて小山市の古墳を訪ねてみた。
県道18号線(小山壬生線)から天平の丘公園に向かう道の入口にラブホテルがあるので、入るのをためらって通り過ぎてしまった。
しもつけ風土記の丘案内図
紫式部の墓
琵琶塚古墳(北東側から見た図)
摩利支天塚古墳に向かうべく、見学路を南に向かって市道221号線に出たが、その先に案内なし。
市道221号線に在る琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳の配置
後円部には摩利支天塚古墳のように社がなく?和(明和?昭和ではないよな。)年間に建立された石祠があるのみ。昔はおそらく樹木に被われていたと思われるが、発掘のためなのか現在はツルッとしている。
摩利支天塚古墳(西側から見た図)
摩利支天社
行程: 天平の丘公園北側の駐車場 ~ 伝・紫式部の墓 ~ 琵琶塚古墳 ~ 摩利支天塚古墳 ~ 小山市 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳 資料館 ~ 駐車場に帰着
風が弱くて日差したっぷり、且つひんやりとしていて絶好の散策日和。車の洗車と菜摘かねて小山市の古墳を訪ねてみた。
県道18号線(小山壬生線)から天平の丘公園に向かう道の入口にラブホテルがあるので、入るのをためらって通り過ぎてしまった。
摩利支天塚古墳に向かうべく、見学路を南に向かって市道221号線に出たが、その先に案内なし。
後円部には摩利支天塚古墳のように社がなく?和(明和?昭和ではないよな。)年間に建立された石祠があるのみ。昔はおそらく樹木に被われていたと思われるが、発掘のためなのか現在はツルッとしている。
志多見砂丘
年月日: 2023年1月9日(月)
行程: イオンモール羽生 ~ 会の川 ~ 志多見カントリーエレベータ ~ 志多見砂丘南縁を東に移動 ~ T字路 ~ 県自然環境保全地域東側入り口 ~ 西側出口・県道38号線(志多見砂丘通り)~ イオンモール羽生
春になるまで山には行かずに近場の平地で体力維持に努めるつもり。
昨年3月に訪ねた会の川を調べているうちに Wikipedia で志多見(しだみ)砂丘なる河畔砂丘の存在を知った。昨年3月に訪ねたのは会の川左岸側(北側)であって、地形的に見るべきものは乏しい。砂丘は強い季節風によって右岸側(南側)に形成される。春日部市の八幡神社の辺りが古利根川(会の川の下流部)の河畔砂丘であることは知っていたが、加須にも河畔砂丘があると知って訪ねてみようと思った。現住所から加須市志多見までマクロ的にはほぼ直線的に車で移動できるので今回は車を利用する。現地に駐車場がなくても、イオンモールがあるからなんとかなるでしょ。
国道122号線を北上していくと、左手に見えるカントリーエレベータに「志多見砂丘米」と書いてある。これで既に志多見砂丘の近くに達していることを認識。志多見砂丘へのアクセス方法が判らないので、一旦南下して田んぼの中の舗装道路を走って志多見砂丘南縁に接近。道が狭くて怖い。志多見砂丘の案内標識があるのかもしれないが気付かなかった。結局イオンモールに車を置いてウォーキングすることに決めた。
先ず、国道122号を南下して、ただの細い排水路となり果てた会の川に再会してから、カントリーエレベータまで南下して写真撮影。
会の川(国道122号線の橋上から見た上流側)
志多見カントリーエレベータ
国道122号線歩道橋からみる志多見砂丘全景
志多見砂丘の松林(深町)を遠望
加須西中学校の松の木
T字路を左折して緩い坂を上っていくと資材置き場のような場所があって、その塀に沿う空き地は道路には見えないが松林に接近できそう。入り口の案内は無いものの、県自然環境保全地域の標示を見て正しい場所にいることを認識。中間地点に県道38号(志多見砂丘通り)から来る道が接続しており、駐車スペースらしきものもあるので、そちらが正式な入り口かもしれない。
志多見砂丘の中に立ち入ることはできない。自然環境保全地域であるからではなく、「私有地につき立ち入り禁止。」とのこと。県が土地を買い上げたのではなく、地権者に毎年金を払っているということか?
自然に形成された地形が残っているのは半分くらい。自然環境保全地域に指定される以前は地権者が好きなように利用していたはずで、削られて広い平坦地になってしまっている場所もある。その平坦地にあるアカマツの林が自然の植生でないことは明らかだ。砂丘の林にも人の手が加わっているはずで、大木が存在しない。でも、此の地に人が居つく前の様子を想像するには十分と思う。久しぶりに知的好奇心を搔き立てられて楽しい散策であった。
県自然環境保全地域(昭和51年指定)
志多見砂丘の松林①
志多見砂丘の松林②
行程: イオンモール羽生 ~ 会の川 ~ 志多見カントリーエレベータ ~ 志多見砂丘南縁を東に移動 ~ T字路 ~ 県自然環境保全地域東側入り口 ~ 西側出口・県道38号線(志多見砂丘通り)~ イオンモール羽生
春になるまで山には行かずに近場の平地で体力維持に努めるつもり。
昨年3月に訪ねた会の川を調べているうちに Wikipedia で志多見(しだみ)砂丘なる河畔砂丘の存在を知った。昨年3月に訪ねたのは会の川左岸側(北側)であって、地形的に見るべきものは乏しい。砂丘は強い季節風によって右岸側(南側)に形成される。春日部市の八幡神社の辺りが古利根川(会の川の下流部)の河畔砂丘であることは知っていたが、加須にも河畔砂丘があると知って訪ねてみようと思った。現住所から加須市志多見までマクロ的にはほぼ直線的に車で移動できるので今回は車を利用する。現地に駐車場がなくても、イオンモールがあるからなんとかなるでしょ。
国道122号線を北上していくと、左手に見えるカントリーエレベータに「志多見砂丘米」と書いてある。これで既に志多見砂丘の近くに達していることを認識。志多見砂丘へのアクセス方法が判らないので、一旦南下して田んぼの中の舗装道路を走って志多見砂丘南縁に接近。道が狭くて怖い。志多見砂丘の案内標識があるのかもしれないが気付かなかった。結局イオンモールに車を置いてウォーキングすることに決めた。
先ず、国道122号を南下して、ただの細い排水路となり果てた会の川に再会してから、カントリーエレベータまで南下して写真撮影。
T字路を左折して緩い坂を上っていくと資材置き場のような場所があって、その塀に沿う空き地は道路には見えないが松林に接近できそう。入り口の案内は無いものの、県自然環境保全地域の標示を見て正しい場所にいることを認識。中間地点に県道38号(志多見砂丘通り)から来る道が接続しており、駐車スペースらしきものもあるので、そちらが正式な入り口かもしれない。
志多見砂丘の中に立ち入ることはできない。自然環境保全地域であるからではなく、「私有地につき立ち入り禁止。」とのこと。県が土地を買い上げたのではなく、地権者に毎年金を払っているということか?
自然に形成された地形が残っているのは半分くらい。自然環境保全地域に指定される以前は地権者が好きなように利用していたはずで、削られて広い平坦地になってしまっている場所もある。その平坦地にあるアカマツの林が自然の植生でないことは明らかだ。砂丘の林にも人の手が加わっているはずで、大木が存在しない。でも、此の地に人が居つく前の様子を想像するには十分と思う。久しぶりに知的好奇心を搔き立てられて楽しい散策であった。